テラスはタキノリと別れ、久しぶりに図書館を訪れた。
少なくとも今アンセムはいないはずだから、この隙必要な本を借りてしまおうと思ったのだ。
タキノリと2人きりになりたくない思いもあった。
テラスはタキノリとのキスを思い出す。
それは、リツとは全く違うものだった。
嫌悪はなかった。
ただ、タキノリのストレートな感情を受け取れない自分に罪悪感を持っていた。
タキノリとの交際はお試しで、友達の延長だと思っていた。
でも、付き合うというかたちをとったからには、友達から何かが変わらなければおかしいのかもしれない。
(タキノリは変わったのかな…)
でも、自分は何も変わっていない。
だから、タキノリの変化についていくのが辛くなっている。たまにタキノリが見せる今までとは違う目が、テラスは恐かった。
だから、2人きりになりたくなて、急ぎではない課題を言い訳にして自分は逃げたのだ。
「テラス、ちゃんとした時間にくるなんて久しぶりだなぁ!」
テラスが挨拶する前に、カイが気付いて声をかけてきた。
「カイさん、こんにちは」
「どうした?泣きそうな顔して」
「え…?」
そんなことないと言おうとして、声にする前にテラスの目から涙がこぼれた。
「あ…」
「どうしたんだ?」
カイは受付から出る。
「なんでもないです」
「なんでもないのに泣くのか?そんなわけあるか」
涙はポロポロとテラスの目から溢れてくる。
「話を聞かせてくれるか?」
テラスは少しだけ考えてから頷いた。
カイは、受付に「外出中」の札を立て、受付の奥にある部屋へテラスを連れて行った。
「コーヒーでも入れてこよう」
テラスをイスに座らせると、カイは一度部屋を出て行った。
何が理由の涙?テラスにもさっぱりわからない。
ただ、一度溢れた涙はなかなか止まらなかった。
カイが戻ってくるまでに泣き止まなければ。
しばらくして、カイがコーヒーを持って戻ってきた。
テラスは目をこすって、平常心を取り戻そうとする。
「無理に泣き止もうとしなくていいぞ」
そう言って、カイはテラスの前にコーヒーを置き、自分は角の席に座った。
「涙はストレスも一緒に洗い流してくれるんだ。出てくる涙は無理に止めなくていい」
そう言って、カイはコーヒーを飲みながら、テラスが落ち着くのを静かに待った。
部屋に沈黙が落ちる。しかし、それは居心地の悪いものではなかった。
テラスはカイの心遣いが嬉しかった。
ときどきコーヒーを口にして、自然と涙が収まるのを待った。
10分ほどで、かなり落ち着いた。
「カイさん、すみません…。ありがとうございます」
「少しは落ち着いたか?」
カイの声は優しい。
「はい」
そしてテラスは席を立つ。
「コーヒー、おかわり入れてきましょうか?」
カイのカップもテラスのカップも空になっていた。
「そうだな、次はお茶にするか」
「わかりました」
そして、テラスは部屋を出て、コーヒーカップを洗い、カイと自分のためにお茶を入れた。
「お待たせしました」
部屋に戻り、カイの前にカップを置く。
「ありがとう」
それを受け取り、早速口にするカイ。
テラスはイスに座った。
そして、また沈黙が訪れた。
「あの…、聞かないんですか?」
「何が?」
「さっき、話してくれるかって」
「ああ、別にどっちでもいいんだ。話すことでテラスの気持ちが軽くなるなら、僕はいくらでも聞くぞ」
「カイさんが親切だ…」
ちょっと不気味だ。
「前にも言ったろう?僕はたまにためになることを言うんだ」
カイはニヤリと笑った。
テラスの顔にも少し笑顔が戻る。
「無理に話す必要はないぞ」
カイは無理強も急かしもしない。
テラスは少し考えてから、ぽつりぽつりと話し出した。
「カイさん、私はやっぱり好きという気持ちがわかりません」
テラスの表情に影が落ちる。
「今、付き合っている人がいます。一番の男友達でした。その人も、私を一番の女友達だと思ってくれていました。
少し前に、その人からお試しで付き合おうって言われて…、それで付き合い始めたんでし」
「ほう~、テラスがOKを出すとはなぁ」
カイはテラスの相手に感心した。どんな男なのだろうか。
「カイさん、付き合うって、どういうことですか?」
唐突に質問されたが、カイは面食らう様子もなく答えた。
「そうだな。2人の時間をたくさん過ごすことかな」
「そうですよね」
「後は、付き合うとなったら、やっぱり自然と男と女の関係にはなるだろうなぁ」
「…やっぱり、そうですか?」
テラスが聞き返す。
「そりゃそうだろう。それがないなら、単なる友達だからなぁ。
付き合うとなったら、誰だってそういう関係を期待するんじゃないか?」
「お試しでも?」
「そもそも、お試しってなんだ?」
聞き返されて、テラスは答えられなかった。
タキノリから提案されたときの雰囲気で、なんとなく会う頻度が増える程度かなと思っていた。
だけど、確認したわけではない。
「なんだ?テラスは相手を異性として好きじゃないってことか?」
カイに言われて、テラスはまた考え込んだ。
「わからないんです」
困ったという顔をするテラス。
「私、本当にわからないんです。異性として好きってどんな感じですか?一緒にいて楽しいのと、何が違うの?」
「口で説明するのは難しいけど、友達との違いがわからないんだから、テラスは相手を異性として見ていないんだろうなぁ」
「…そうなるんですか?」
「僕は男だからね、女の子の本当の気持ちはわからないよ。
だけど、男だったら、女の子として好きな相手だったら、キスしたい、抱きしめたい、それ以上のことをしたいって考えるだろうなぁ普通は。そういうのは友達には求めないものだろう」
キスした後に嬉しそうにしていたタキノリを思い出す。
「私は相手のそういう気持ちを、どう受け止めればいいですか?」
真摯な質問だった。
「テラス、それは違うぞ」
「え?」
「テラスの気持ちはどこへ行った?」
「どこへって…」
「相手を男として好きなら、そんなことは悩まないはずだ。求められることが嬉しいと感じるんじゃないのか?」
確信を突かれて、テラスはうろたえた。
「もし、相手の男がテラスのことを良く知った上で、テラスを好きになったのなら、気持ちがないまま、無理に受け入れようとすると、酷く相手を傷つけることになるぞ」
「私…」
テラスの目にまた涙が浮かんだ。
「大切な友達を、自分のせいで傷つけることなんて、したくない…」
「答えが出てるじゃないか。「友達なんだろう、その男は。
それ以上には、どうにもならない存在なんだろう?」
カイの言葉がテラスに染み込んでいく。
「もし、友達を傷つけたくないから付き合っているなら、今すぐ相手に頭下げて、恋人関係を白紙に戻してもらうんだな」
「でも…」
「テラス、恋愛っつーのはな、どちらかの気持ちがなければ成立しないんだ。
一方がどんなに強い感情を持っていても。
相手を思いやっているつもりで、自分に嘘ついてその感情を受け止めようと思っても、いつか、限界が来るぞ。相手に嘘をついた期間が長ければ長いほど、相手の傷は深くなる」
カイはお茶を一口飲んだ。
「私、やっぱりその人を好きじゃないってことですか?」
「違うのか?」
「その…、その人とキスをしたんです。
イヤじゃなかった。リツにされたときは猛烈にイヤだったのに」
「ほう~」
意外な展開に、カイは思わず身を乗り出しそうになる。
「でも、すごい罪悪感があったんです」
「罪悪感?」
「その人に、なんだか申し訳ない気持ちになって、顔も見れませんでした」
「なんだそれは?」
「なんだと思います?考えたんだけど、自分の気持ちがわからなくて…」
「ふむ…」
カイは答えを教えるべきか迷った。本来は悩んで自分で答えを出すことだ。
しかし、目に涙をためて不安そうなテラスを見ると、つい甘やかしてしまう。
「嬉しさや恥ずかしさがないなら、少なくとも男として好きではないんだろう。
もしかしたら、その時確信したんじゃないか?相手に恋愛感情がないことを」
指摘されてテラスは絶句した。
その通りかもしれない。
「前に僕が言ったこと覚えてるか?」
「はぁ…」
「やっぱり違う、好きじゃないかもしれない、と思ったら、その気持ちに正直になることだってやつだ」
「覚えています…」
なぜかキスされたときに急に思い出した言葉だった。
「テラスは違うと思ってるんじゃないのか?」
「……」
答えは出た気がした。
「だけど、なんて言えばいいんだろう」
力なく呟くテラス。
「正直に、気持ちを伝えるしかないだろうなぁ。
相手を友達として大切に思う気持ちがあるなら尚更、いつわらないことだ。
傷つけたくない、なんて思わない方がいい。どうやったって相手は傷つくんだからな」
テラスは胸が痛んだ。
今までたくさん助けてくれて、たくさん励ましてくれた大切な友達。
タキノリが傷つくようなことを、自分がしなければならない現実が辛かった。
「恋愛ってそういうもんだ。自分を責めない方がいいぞ」
テラスは顔を伏せた。
「ところで、アンセムとはどうなった?」
「はぁ!?」
テラスは顔を上げた。
「なんでいきなりアンセムが出てくるんですか?」
平静を装ってみる。
「そりゃぁ~、アンセムの一大決心の行方は気になるだろう?」
ニヤニヤと楽しそうに言うカイ。
「あ、いつものカイさんらしくなった…って、カイさん、何か知ってるんですか?」
「知ってるも何も、告白されたんだろう?アンセムに」
「なんで知ってるの?!」
「アンセムから報告があったからなぁ」
実に楽しそうなカイなのである。
「アンセム、カイさんにも言ったの?」
「ありゃ~、マジだな。うん。簡単に諦めてくれるレベルじゃないぞ。
テラスの付き合っている男がどんなもんか知らないが、そっちより、アンセムのほうが問題かもなぁ」
「げげ」
「ダメか?アンセムは」
「ダメかって…」
「見ての通りの美男子だぞ、って、テラスは面食いじゃなさそうだからなぁ。
でも顔だけじゃない。頭もいいし、人当たりもいいぞ。若干今までの女関係に難ありだがなぁ」
そしてカイは、はっはっは、と一人で大きく笑った。
「カイさん…面白がってる?」
「当然だろう」
満面の笑みで頷くカイ。
「狙った女は全て打ち落としてきたアンセムが、テラスに無残に振られる姿も見てみたいし、鉄壁の要塞を持つテラスが、ついにアンセムに落とされる姿も見てみたいし、どっちに転んでも、面白いだろう」
「なんてこと言うんですか」
テラスは呆れた。
「まぁ、少し真面目な話、僕は嬉しいんだけどね。アンセムが一人を真剣に好きになったってことが」
「はぁ…」
なんて答えていいのかわからず、曖昧な返事をするテラス。
「成就するかどうかはともかく、本気で人を好きになるってのは、幸福なことだからな。辛い経験になったとしても」
その言葉はテラスの胸にグサリと突き刺さった。
自分は、そういう風に人を好きになる日がくるのだろうか。
そんなテラスの様子に気付いて、カイは優しく言った。
「テラス、焦る必要も無理する必要もない。ゆっくりじっくり自分の気持ちを見つめればいい。相手がどうなるか、は考えなくていいんだ。
それに、今好きな気持ちがわからなくても、もし、誰かを異性として好きになったら、必ずわかる。初めてでも、わかるもんだ」
「はい…」
「そんな心細そうな顔するな。こうやって色々考えるようになっただけでも成長だ。
以前のテラスなら、『よくわかりませんから』で終わりだったからなぁ」
そして、ガシガシとテラスの頭を乱暴になでた。
「ところでテラス、まさかこの僕が無償でここまで親切なアドバイスをするとは思っていないよなぁ?」
「え…?」
嫌な予感がするテラス。
「そこの隅にある本なんだが」
指差された方向には、真新しい本が50冊ほど積まれていた。
「これ、新書なんだ。リスト追加作業、頼まれてくれるよな?」
断れるはずのないテラスである。
「わかりました…。カイさんって、いつでも何か仕事を溜めてるんですね」
「おまえらのためにな~」
そしてカイは自分の湯飲みを持って部屋を出て行った。
受付をいつまでも不在にしておくわけにもいかない。
「はぁ」
新書の山を見てテラスはため息をついた。
しかし、心は少し軽くなっていた。
少なくとも今アンセムはいないはずだから、この隙必要な本を借りてしまおうと思ったのだ。
タキノリと2人きりになりたくない思いもあった。
テラスはタキノリとのキスを思い出す。
それは、リツとは全く違うものだった。
嫌悪はなかった。
ただ、タキノリのストレートな感情を受け取れない自分に罪悪感を持っていた。
タキノリとの交際はお試しで、友達の延長だと思っていた。
でも、付き合うというかたちをとったからには、友達から何かが変わらなければおかしいのかもしれない。
(タキノリは変わったのかな…)
でも、自分は何も変わっていない。
だから、タキノリの変化についていくのが辛くなっている。たまにタキノリが見せる今までとは違う目が、テラスは恐かった。
だから、2人きりになりたくなて、急ぎではない課題を言い訳にして自分は逃げたのだ。
「テラス、ちゃんとした時間にくるなんて久しぶりだなぁ!」
テラスが挨拶する前に、カイが気付いて声をかけてきた。
「カイさん、こんにちは」
「どうした?泣きそうな顔して」
「え…?」
そんなことないと言おうとして、声にする前にテラスの目から涙がこぼれた。
「あ…」
「どうしたんだ?」
カイは受付から出る。
「なんでもないです」
「なんでもないのに泣くのか?そんなわけあるか」
涙はポロポロとテラスの目から溢れてくる。
「話を聞かせてくれるか?」
テラスは少しだけ考えてから頷いた。
カイは、受付に「外出中」の札を立て、受付の奥にある部屋へテラスを連れて行った。
「コーヒーでも入れてこよう」
テラスをイスに座らせると、カイは一度部屋を出て行った。
何が理由の涙?テラスにもさっぱりわからない。
ただ、一度溢れた涙はなかなか止まらなかった。
カイが戻ってくるまでに泣き止まなければ。
しばらくして、カイがコーヒーを持って戻ってきた。
テラスは目をこすって、平常心を取り戻そうとする。
「無理に泣き止もうとしなくていいぞ」
そう言って、カイはテラスの前にコーヒーを置き、自分は角の席に座った。
「涙はストレスも一緒に洗い流してくれるんだ。出てくる涙は無理に止めなくていい」
そう言って、カイはコーヒーを飲みながら、テラスが落ち着くのを静かに待った。
部屋に沈黙が落ちる。しかし、それは居心地の悪いものではなかった。
テラスはカイの心遣いが嬉しかった。
ときどきコーヒーを口にして、自然と涙が収まるのを待った。
10分ほどで、かなり落ち着いた。
「カイさん、すみません…。ありがとうございます」
「少しは落ち着いたか?」
カイの声は優しい。
「はい」
そしてテラスは席を立つ。
「コーヒー、おかわり入れてきましょうか?」
カイのカップもテラスのカップも空になっていた。
「そうだな、次はお茶にするか」
「わかりました」
そして、テラスは部屋を出て、コーヒーカップを洗い、カイと自分のためにお茶を入れた。
「お待たせしました」
部屋に戻り、カイの前にカップを置く。
「ありがとう」
それを受け取り、早速口にするカイ。
テラスはイスに座った。
そして、また沈黙が訪れた。
「あの…、聞かないんですか?」
「何が?」
「さっき、話してくれるかって」
「ああ、別にどっちでもいいんだ。話すことでテラスの気持ちが軽くなるなら、僕はいくらでも聞くぞ」
「カイさんが親切だ…」
ちょっと不気味だ。
「前にも言ったろう?僕はたまにためになることを言うんだ」
カイはニヤリと笑った。
テラスの顔にも少し笑顔が戻る。
「無理に話す必要はないぞ」
カイは無理強も急かしもしない。
テラスは少し考えてから、ぽつりぽつりと話し出した。
「カイさん、私はやっぱり好きという気持ちがわかりません」
テラスの表情に影が落ちる。
「今、付き合っている人がいます。一番の男友達でした。その人も、私を一番の女友達だと思ってくれていました。
少し前に、その人からお試しで付き合おうって言われて…、それで付き合い始めたんでし」
「ほう~、テラスがOKを出すとはなぁ」
カイはテラスの相手に感心した。どんな男なのだろうか。
「カイさん、付き合うって、どういうことですか?」
唐突に質問されたが、カイは面食らう様子もなく答えた。
「そうだな。2人の時間をたくさん過ごすことかな」
「そうですよね」
「後は、付き合うとなったら、やっぱり自然と男と女の関係にはなるだろうなぁ」
「…やっぱり、そうですか?」
テラスが聞き返す。
「そりゃそうだろう。それがないなら、単なる友達だからなぁ。
付き合うとなったら、誰だってそういう関係を期待するんじゃないか?」
「お試しでも?」
「そもそも、お試しってなんだ?」
聞き返されて、テラスは答えられなかった。
タキノリから提案されたときの雰囲気で、なんとなく会う頻度が増える程度かなと思っていた。
だけど、確認したわけではない。
「なんだ?テラスは相手を異性として好きじゃないってことか?」
カイに言われて、テラスはまた考え込んだ。
「わからないんです」
困ったという顔をするテラス。
「私、本当にわからないんです。異性として好きってどんな感じですか?一緒にいて楽しいのと、何が違うの?」
「口で説明するのは難しいけど、友達との違いがわからないんだから、テラスは相手を異性として見ていないんだろうなぁ」
「…そうなるんですか?」
「僕は男だからね、女の子の本当の気持ちはわからないよ。
だけど、男だったら、女の子として好きな相手だったら、キスしたい、抱きしめたい、それ以上のことをしたいって考えるだろうなぁ普通は。そういうのは友達には求めないものだろう」
キスした後に嬉しそうにしていたタキノリを思い出す。
「私は相手のそういう気持ちを、どう受け止めればいいですか?」
真摯な質問だった。
「テラス、それは違うぞ」
「え?」
「テラスの気持ちはどこへ行った?」
「どこへって…」
「相手を男として好きなら、そんなことは悩まないはずだ。求められることが嬉しいと感じるんじゃないのか?」
確信を突かれて、テラスはうろたえた。
「もし、相手の男がテラスのことを良く知った上で、テラスを好きになったのなら、気持ちがないまま、無理に受け入れようとすると、酷く相手を傷つけることになるぞ」
「私…」
テラスの目にまた涙が浮かんだ。
「大切な友達を、自分のせいで傷つけることなんて、したくない…」
「答えが出てるじゃないか。「友達なんだろう、その男は。
それ以上には、どうにもならない存在なんだろう?」
カイの言葉がテラスに染み込んでいく。
「もし、友達を傷つけたくないから付き合っているなら、今すぐ相手に頭下げて、恋人関係を白紙に戻してもらうんだな」
「でも…」
「テラス、恋愛っつーのはな、どちらかの気持ちがなければ成立しないんだ。
一方がどんなに強い感情を持っていても。
相手を思いやっているつもりで、自分に嘘ついてその感情を受け止めようと思っても、いつか、限界が来るぞ。相手に嘘をついた期間が長ければ長いほど、相手の傷は深くなる」
カイはお茶を一口飲んだ。
「私、やっぱりその人を好きじゃないってことですか?」
「違うのか?」
「その…、その人とキスをしたんです。
イヤじゃなかった。リツにされたときは猛烈にイヤだったのに」
「ほう~」
意外な展開に、カイは思わず身を乗り出しそうになる。
「でも、すごい罪悪感があったんです」
「罪悪感?」
「その人に、なんだか申し訳ない気持ちになって、顔も見れませんでした」
「なんだそれは?」
「なんだと思います?考えたんだけど、自分の気持ちがわからなくて…」
「ふむ…」
カイは答えを教えるべきか迷った。本来は悩んで自分で答えを出すことだ。
しかし、目に涙をためて不安そうなテラスを見ると、つい甘やかしてしまう。
「嬉しさや恥ずかしさがないなら、少なくとも男として好きではないんだろう。
もしかしたら、その時確信したんじゃないか?相手に恋愛感情がないことを」
指摘されてテラスは絶句した。
その通りかもしれない。
「前に僕が言ったこと覚えてるか?」
「はぁ…」
「やっぱり違う、好きじゃないかもしれない、と思ったら、その気持ちに正直になることだってやつだ」
「覚えています…」
なぜかキスされたときに急に思い出した言葉だった。
「テラスは違うと思ってるんじゃないのか?」
「……」
答えは出た気がした。
「だけど、なんて言えばいいんだろう」
力なく呟くテラス。
「正直に、気持ちを伝えるしかないだろうなぁ。
相手を友達として大切に思う気持ちがあるなら尚更、いつわらないことだ。
傷つけたくない、なんて思わない方がいい。どうやったって相手は傷つくんだからな」
テラスは胸が痛んだ。
今までたくさん助けてくれて、たくさん励ましてくれた大切な友達。
タキノリが傷つくようなことを、自分がしなければならない現実が辛かった。
「恋愛ってそういうもんだ。自分を責めない方がいいぞ」
テラスは顔を伏せた。
「ところで、アンセムとはどうなった?」
「はぁ!?」
テラスは顔を上げた。
「なんでいきなりアンセムが出てくるんですか?」
平静を装ってみる。
「そりゃぁ~、アンセムの一大決心の行方は気になるだろう?」
ニヤニヤと楽しそうに言うカイ。
「あ、いつものカイさんらしくなった…って、カイさん、何か知ってるんですか?」
「知ってるも何も、告白されたんだろう?アンセムに」
「なんで知ってるの?!」
「アンセムから報告があったからなぁ」
実に楽しそうなカイなのである。
「アンセム、カイさんにも言ったの?」
「ありゃ~、マジだな。うん。簡単に諦めてくれるレベルじゃないぞ。
テラスの付き合っている男がどんなもんか知らないが、そっちより、アンセムのほうが問題かもなぁ」
「げげ」
「ダメか?アンセムは」
「ダメかって…」
「見ての通りの美男子だぞ、って、テラスは面食いじゃなさそうだからなぁ。
でも顔だけじゃない。頭もいいし、人当たりもいいぞ。若干今までの女関係に難ありだがなぁ」
そしてカイは、はっはっは、と一人で大きく笑った。
「カイさん…面白がってる?」
「当然だろう」
満面の笑みで頷くカイ。
「狙った女は全て打ち落としてきたアンセムが、テラスに無残に振られる姿も見てみたいし、鉄壁の要塞を持つテラスが、ついにアンセムに落とされる姿も見てみたいし、どっちに転んでも、面白いだろう」
「なんてこと言うんですか」
テラスは呆れた。
「まぁ、少し真面目な話、僕は嬉しいんだけどね。アンセムが一人を真剣に好きになったってことが」
「はぁ…」
なんて答えていいのかわからず、曖昧な返事をするテラス。
「成就するかどうかはともかく、本気で人を好きになるってのは、幸福なことだからな。辛い経験になったとしても」
その言葉はテラスの胸にグサリと突き刺さった。
自分は、そういう風に人を好きになる日がくるのだろうか。
そんなテラスの様子に気付いて、カイは優しく言った。
「テラス、焦る必要も無理する必要もない。ゆっくりじっくり自分の気持ちを見つめればいい。相手がどうなるか、は考えなくていいんだ。
それに、今好きな気持ちがわからなくても、もし、誰かを異性として好きになったら、必ずわかる。初めてでも、わかるもんだ」
「はい…」
「そんな心細そうな顔するな。こうやって色々考えるようになっただけでも成長だ。
以前のテラスなら、『よくわかりませんから』で終わりだったからなぁ」
そして、ガシガシとテラスの頭を乱暴になでた。
「ところでテラス、まさかこの僕が無償でここまで親切なアドバイスをするとは思っていないよなぁ?」
「え…?」
嫌な予感がするテラス。
「そこの隅にある本なんだが」
指差された方向には、真新しい本が50冊ほど積まれていた。
「これ、新書なんだ。リスト追加作業、頼まれてくれるよな?」
断れるはずのないテラスである。
「わかりました…。カイさんって、いつでも何か仕事を溜めてるんですね」
「おまえらのためにな~」
そしてカイは自分の湯飲みを持って部屋を出て行った。
受付をいつまでも不在にしておくわけにもいかない。
「はぁ」
新書の山を見てテラスはため息をついた。
しかし、心は少し軽くなっていた。



