すべてはあの花のために②


 彼から自分の名前の音がしたのは初めてだった。だからか、どういう反応をすればいいのか、少しだけ悩んでいると。


「そのままでいいから聞け」


 いつもの口調じゃない。
 男の子の声に、思わず緊張が走る。


「葵。俺らは、お前の友達(、、)だからな」


 敢えて一度そう前置きしてから、彼は続けた。

 だから、無理はするなと。つらかったらつらいって言えばいいと。別に理由までは聞かないからと。
 でも……感情にまで、嘘はつくなと。


「……何があったかいだ。違うだろ」


 気づけないほど馬鹿じゃない。今は言えなくても、いつか言える時が来たら、その時は受け止めてやるから。
 だから、溜めるな。溜め込むな。


「……俺も、言ってもらえるように頑張るから」


 葵が返せるのは、沈黙だけ。
 それを察してくれたのか、後方で小さく笑う音がした。


「……それじゃ、おやすみ。葵」


 彼の足音が遠ざかっていく。
 その音が完全に消えてしまう前に、葵は弾けるようにして彼の後を追った。


「つばさく――」


 慌てて角を曲がると、思い切り誰かにぶつかる。謝る前に抱き締められて、「遅え」と叱られた。
 その声があまりにもやさしかったからか、それとも抱き締めてくれる腕が力強かったからか。


「つ。ばさ。くん……」

「うん?」

「ち。がう。の……」

「……何が?」


 次の瞬間には気が緩んで、勝手に涙がこぼれ落ちた。


「……っ。ごめん。なさい……っ」

「葵……」


 それ以上は何も言えなかった。
 それでも彼は、葵が泣き止むまでずっと、側にいてくれた。


「き、聞かないでいてくれるの……?」

「そりゃ聞きたいけど、まだ言えないんでしょう? それまでアタシも、アンタに言ってもらえるような女になるわ」

「戻ってるし。しかも男だし」

「何よ」

「いいえ! 何でもありません! ……ふふっ」

「ふはっ」


 二人で笑い合った。
 これは葵とツバサだけの内緒のお話。