彼から自分の名前の音がしたのは初めてだった。だからか、どういう反応をすればいいのか、少しだけ悩んでいると。
「そのままでいいから聞け」
いつもの口調じゃない。
男の子の声に、思わず緊張が走る。
「葵。俺らは、お前の友達だからな」
敢えて一度そう前置きしてから、彼は続けた。
だから、無理はするなと。つらかったらつらいって言えばいいと。別に理由までは聞かないからと。
でも……感情にまで、嘘はつくなと。
「……何があったかいだ。違うだろ」
気づけないほど馬鹿じゃない。今は言えなくても、いつか言える時が来たら、その時は受け止めてやるから。
だから、溜めるな。溜め込むな。
「……俺も、言ってもらえるように頑張るから」
葵が返せるのは、沈黙だけ。
それを察してくれたのか、後方で小さく笑う音がした。
「……それじゃ、おやすみ。葵」
彼の足音が遠ざかっていく。
その音が完全に消えてしまう前に、葵は弾けるようにして彼の後を追った。
「つばさく――」
慌てて角を曲がると、思い切り誰かにぶつかる。謝る前に抱き締められて、「遅え」と叱られた。
その声があまりにもやさしかったからか、それとも抱き締めてくれる腕が力強かったからか。
「つ。ばさ。くん……」
「うん?」
「ち。がう。の……」
「……何が?」
次の瞬間には気が緩んで、勝手に涙がこぼれ落ちた。
「……っ。ごめん。なさい……っ」
「葵……」
それ以上は何も言えなかった。
それでも彼は、葵が泣き止むまでずっと、側にいてくれた。
「き、聞かないでいてくれるの……?」
「そりゃ聞きたいけど、まだ言えないんでしょう? それまでアタシも、アンタに言ってもらえるような女になるわ」
「戻ってるし。しかも男だし」
「何よ」
「いいえ! 何でもありません! ……ふふっ」
「ふはっ」
二人で笑い合った。
これは葵とツバサだけの内緒のお話。



