そう言ったファンタジーさんの手元から、さっきのカップがなくなってた。夜世界のことは知らないことがまだたくさんあるけど、こういうものなのかな。
「それにしても、ファンタジーはずいぶん七月さんの前では態度が柔らかくなるね」
「……ああ? そんなことねえだろ、普通だ普通」
当たり前だというようにと答えるファンタジーさんの横で、でも、童話さんと絵本さんはそうはいかなかった。
「ええっ!? ファンタジーさん、もしかして……花音さんを女の子として意識してるんですう!?」
「ファンタジー! そういやお前……昨日、花音への好意がどうとか言ってたよな!?」
あ、聞いてたんだ……。というか、今、なんだかとんでもない話になってない!?
「ああ!? い、いや待て、言ったは言ったがあれはそういうことじゃ――」
「動揺してます! ファンタジーさんが動揺してますう!」
「お前、いくらなんでも惚れっぽくないか!? 昨日会ったばかりだろ!? 一目ぼれってやつか!? ていうか顔真っ赤だ! お前のそんな顔初めて見たなあ!」
私はどうしていいか分からずに、おろおろとみんなを見回すだけだった。
三島さんだけが、この話のおおもとなのに、ゆったり紅茶を蒸らしてる。
「花音さんはあ、花音さんはどうなんですか!? この目つきの悪い黒ずくめ、男の子としてどうなんですか!?」
「え、ええっ!? 私!?」
「そうだそうだ、こんな剣は振り回すわ攻撃魔法ぶっぱなすわの危険人物、どうなんだよ!?」
「ええいどさくさまぎれに悪口並べるんじゃねえ、黙りやがれ! 今はそれどころじゃねえだろが!」
そこへ三島さんが、ティーカップを三つとスープ皿を二つ、紅茶を入れて――ようやく――割って入ってくれた。
「ほらほら、ここは図書室だよ、騒がないように。七月さんもどうぞ。昨日と同じダージリンだけど、ほかに好きな紅茶はある?」
「えっ、えーと、そんなに種類知らないですけど……アールグレイ? とか? いい香りですよね」
「ふふ、分かった、用意しておくよ。……さてみんな、飲みながら聞いて欲しい。七月さん、私がこの『夜の図書室』から出られないという話は聞いたね?」
私はうなずいた。
ファンタジーさんが、ぼそっと「地獄耳め」とつぶやく。
「七月さんの魔法書があれば、本の精霊たちの場所は突き止められる。彼らは校内のどこかにいるはずだ。ボディガードにファンタジーとちび二匹をつけるから、どうか彼らを探し出して助けてあげて欲しい」
「は、はい。私にできることなら。でも、助けるって言っても、どうしたらいいのか」
ファンタジーさんが、紅茶を一口飲んでから言ってきた。
「おれの時と同じだ。あいつらの望みをかなえてやればいい。とにかく、見つけてからの話だ」
「は、はい……。やってみます。えっとじゃあ、このストラップを手に持って、まずは……この校内に、ジュブナイルさんはいますか? 教えてくださいっ」
チャームの光が強くなった。
そしてふらふらと宙に浮いて、図書室の外を指し示す。
「ファンタジーさん」
「ああ。行こう。行くぞ、猫にうさぎ」
私たちはカップを傾けて紅茶を飲み干すと、うなずきあった。
「七月さん、ありがとう。ファンタジーがついていれば、めったなことはないと思う。でももし危険を感じたら無理しないで。頼んでおいてなんだけど、人助けというのは、自分が無事に帰って初めて成功だからね。危なそうなら、迷わず引き返すんだ」
「あの……そんなに危ないことがあるんですか……?」
「ファンタジーの時ほどの直接的な危険はないだろうね。けれど、『夜の底の使い』は常に人間や精霊を狙っている。安全地帯は、『夜の図書室』の中だけだ」
また、初めて聞く言葉が出てきた。
「夜の底の、使い……?」
「ファンタジーを襲った敵たちのおおもとさ。地の底から湧いて出て、人間や精霊にとりつき、知力や生命力を吸い取りに来る。寿命を迎える気がなかった精霊たちが、自ら衰退してしまうのはやつらにとりつかれたからなんだ」
「じゃあ、ジュブナイルさんたちは、それにとりつかれてるんですか?」
もし精霊のみんなが、もう安らかに眠りたいって思ってたら、私のしようとしてることはおせっかいなんじゃないかっていうのを、ちょっと気にしてたんだけど。
「おそらくはね。そうでなければ、本が自ら滅びを望むことはないはずだ。学校に通う人間がとりつかれると、勉強に全然身が入らなくなったり、暴力的になって人を傷つけたり、学校で起きるあらゆるトラブルを起こす人になってしまう。僕やファンタジーはずっとそいつらと戦ってきたから、いまさら多少危ない目にあっても慣れているけど。君をそんな目に遭わせるわけにはいかないからね」
ぴょん、と童話さんが長い耳を羽ばたかせながら元気よく言った。
「だーいじょうぶですう! ウチたちや、あとファンタジーもいますからあ!」
「なんでお前らが先だ?」
半目になっているファンタジーさんをなだめながら、二人と一匹は図書室を出た。
魔法書の指し示すとおりに歩いてると、階段を通り過ぎた。ジュブナイルさんは、一階のどこかにいるんだろうか。
「それにしても、ファンタジーさんて、三島さんから信用されてるんですね」
「なにがだ?」
「だって、ファンタジーさんがいれば大丈夫みたいなこと言ってたじゃないですか」
「ああ、ま、戦闘能力はこの学校の精霊の中でも随一だからな。だからって別に偉いわけじゃねえけど」
「え、じゅうぶんすごいじゃないですか」
「でもなあ、大陸を股にかけた大冒険譚が、アパートの一室を舞台にしたジュブナイル小説より優れてるかっていうとそんなこともねえし。ただの特徴の一つだよ、おれの力なんて」
そういうものですか、とうなずいて、ふと思い出した。
「いまさらなんですけど……ホラーとかミステリとかはだいたい分かるんですけど、ジュブナイルってどういう小説のジャンルなんですか?」
ここまできてそんなことも知らないのかって呆れられるかと思ったけど、ファンタジーさんはまじめな顔で答えてくれた。
「ああ、一般的な言葉じゃねえもんな。最近はヤングアダルトって呼ばれることのほうが多いし」
「あ、図書室にもそう書いてありました。でもヤングアダルトっていうのもあんまりよく……」
「簡単に言っちまうと、若者向けの小説ってことだ。本のジャンルは単純に分け切れるものでもないから、ホラー仕立ての恋愛小説もあればミステリ風のファンタジーもあるが、中でもジュブナイルは幅広いかもな。たとえば十代の繊細な心の機微を描いた作品も、明快で爽快な冒険小説もジュブナイルといえる。ま、あんまり難しく考えることはねえよ」
分かったような分からないような、と思いつつ歩いてると、それまで前を示してた魔法書が、くりっと真横―――右側―を向いた。
思わずつられて、私も右に首を回す。
……パソコン室だ。
「ここか。開けるぜ」
「えっ、いきなりですか? それにこんなにあっさり?」
「司書なしで探しても、おれたち精霊は迷っちまって、『夜の底の使い』が巣くった空間にはたどり着けないんだ。だが司書の道案内があれば、こんなふうに簡単に着く。分かっただろ、花音がどれだけありがたい存在か」
「じ、実感はありませんけど……お役に立ててなによりです」
そう言う私とファンタジーさんの間に、絵本さんが割り込んできた。
頭の角を器用に引き戸に差し込んで、ガラッと戸を開けちゃった。
「ミーたちがいるんだ、びびることはないね!」
おそるおそる、中を覗いてみた。
もちろん、真っ暗。
入口にある電気のスイッチを押したけど、明かりはつかない。
夜世界は暗いなりに、変なふうに目が利いて、ちょっとくらい離れてても人の姿やものの形は見える。
でもやっぱり、電気がつかないと気味が悪いし、おっかないな……。
「あのう……誰か、というか、ジュブナイルさん……いますか?」
首だけをパソコン室に入れる私をよそに、ファンタジーさんがずいっと中に踏み込んでいった。
童話さんと絵本さんが後に続く。
「……いた」とファンタジーさん。
「それにしても、ファンタジーはずいぶん七月さんの前では態度が柔らかくなるね」
「……ああ? そんなことねえだろ、普通だ普通」
当たり前だというようにと答えるファンタジーさんの横で、でも、童話さんと絵本さんはそうはいかなかった。
「ええっ!? ファンタジーさん、もしかして……花音さんを女の子として意識してるんですう!?」
「ファンタジー! そういやお前……昨日、花音への好意がどうとか言ってたよな!?」
あ、聞いてたんだ……。というか、今、なんだかとんでもない話になってない!?
「ああ!? い、いや待て、言ったは言ったがあれはそういうことじゃ――」
「動揺してます! ファンタジーさんが動揺してますう!」
「お前、いくらなんでも惚れっぽくないか!? 昨日会ったばかりだろ!? 一目ぼれってやつか!? ていうか顔真っ赤だ! お前のそんな顔初めて見たなあ!」
私はどうしていいか分からずに、おろおろとみんなを見回すだけだった。
三島さんだけが、この話のおおもとなのに、ゆったり紅茶を蒸らしてる。
「花音さんはあ、花音さんはどうなんですか!? この目つきの悪い黒ずくめ、男の子としてどうなんですか!?」
「え、ええっ!? 私!?」
「そうだそうだ、こんな剣は振り回すわ攻撃魔法ぶっぱなすわの危険人物、どうなんだよ!?」
「ええいどさくさまぎれに悪口並べるんじゃねえ、黙りやがれ! 今はそれどころじゃねえだろが!」
そこへ三島さんが、ティーカップを三つとスープ皿を二つ、紅茶を入れて――ようやく――割って入ってくれた。
「ほらほら、ここは図書室だよ、騒がないように。七月さんもどうぞ。昨日と同じダージリンだけど、ほかに好きな紅茶はある?」
「えっ、えーと、そんなに種類知らないですけど……アールグレイ? とか? いい香りですよね」
「ふふ、分かった、用意しておくよ。……さてみんな、飲みながら聞いて欲しい。七月さん、私がこの『夜の図書室』から出られないという話は聞いたね?」
私はうなずいた。
ファンタジーさんが、ぼそっと「地獄耳め」とつぶやく。
「七月さんの魔法書があれば、本の精霊たちの場所は突き止められる。彼らは校内のどこかにいるはずだ。ボディガードにファンタジーとちび二匹をつけるから、どうか彼らを探し出して助けてあげて欲しい」
「は、はい。私にできることなら。でも、助けるって言っても、どうしたらいいのか」
ファンタジーさんが、紅茶を一口飲んでから言ってきた。
「おれの時と同じだ。あいつらの望みをかなえてやればいい。とにかく、見つけてからの話だ」
「は、はい……。やってみます。えっとじゃあ、このストラップを手に持って、まずは……この校内に、ジュブナイルさんはいますか? 教えてくださいっ」
チャームの光が強くなった。
そしてふらふらと宙に浮いて、図書室の外を指し示す。
「ファンタジーさん」
「ああ。行こう。行くぞ、猫にうさぎ」
私たちはカップを傾けて紅茶を飲み干すと、うなずきあった。
「七月さん、ありがとう。ファンタジーがついていれば、めったなことはないと思う。でももし危険を感じたら無理しないで。頼んでおいてなんだけど、人助けというのは、自分が無事に帰って初めて成功だからね。危なそうなら、迷わず引き返すんだ」
「あの……そんなに危ないことがあるんですか……?」
「ファンタジーの時ほどの直接的な危険はないだろうね。けれど、『夜の底の使い』は常に人間や精霊を狙っている。安全地帯は、『夜の図書室』の中だけだ」
また、初めて聞く言葉が出てきた。
「夜の底の、使い……?」
「ファンタジーを襲った敵たちのおおもとさ。地の底から湧いて出て、人間や精霊にとりつき、知力や生命力を吸い取りに来る。寿命を迎える気がなかった精霊たちが、自ら衰退してしまうのはやつらにとりつかれたからなんだ」
「じゃあ、ジュブナイルさんたちは、それにとりつかれてるんですか?」
もし精霊のみんなが、もう安らかに眠りたいって思ってたら、私のしようとしてることはおせっかいなんじゃないかっていうのを、ちょっと気にしてたんだけど。
「おそらくはね。そうでなければ、本が自ら滅びを望むことはないはずだ。学校に通う人間がとりつかれると、勉強に全然身が入らなくなったり、暴力的になって人を傷つけたり、学校で起きるあらゆるトラブルを起こす人になってしまう。僕やファンタジーはずっとそいつらと戦ってきたから、いまさら多少危ない目にあっても慣れているけど。君をそんな目に遭わせるわけにはいかないからね」
ぴょん、と童話さんが長い耳を羽ばたかせながら元気よく言った。
「だーいじょうぶですう! ウチたちや、あとファンタジーもいますからあ!」
「なんでお前らが先だ?」
半目になっているファンタジーさんをなだめながら、二人と一匹は図書室を出た。
魔法書の指し示すとおりに歩いてると、階段を通り過ぎた。ジュブナイルさんは、一階のどこかにいるんだろうか。
「それにしても、ファンタジーさんて、三島さんから信用されてるんですね」
「なにがだ?」
「だって、ファンタジーさんがいれば大丈夫みたいなこと言ってたじゃないですか」
「ああ、ま、戦闘能力はこの学校の精霊の中でも随一だからな。だからって別に偉いわけじゃねえけど」
「え、じゅうぶんすごいじゃないですか」
「でもなあ、大陸を股にかけた大冒険譚が、アパートの一室を舞台にしたジュブナイル小説より優れてるかっていうとそんなこともねえし。ただの特徴の一つだよ、おれの力なんて」
そういうものですか、とうなずいて、ふと思い出した。
「いまさらなんですけど……ホラーとかミステリとかはだいたい分かるんですけど、ジュブナイルってどういう小説のジャンルなんですか?」
ここまできてそんなことも知らないのかって呆れられるかと思ったけど、ファンタジーさんはまじめな顔で答えてくれた。
「ああ、一般的な言葉じゃねえもんな。最近はヤングアダルトって呼ばれることのほうが多いし」
「あ、図書室にもそう書いてありました。でもヤングアダルトっていうのもあんまりよく……」
「簡単に言っちまうと、若者向けの小説ってことだ。本のジャンルは単純に分け切れるものでもないから、ホラー仕立ての恋愛小説もあればミステリ風のファンタジーもあるが、中でもジュブナイルは幅広いかもな。たとえば十代の繊細な心の機微を描いた作品も、明快で爽快な冒険小説もジュブナイルといえる。ま、あんまり難しく考えることはねえよ」
分かったような分からないような、と思いつつ歩いてると、それまで前を示してた魔法書が、くりっと真横―――右側―を向いた。
思わずつられて、私も右に首を回す。
……パソコン室だ。
「ここか。開けるぜ」
「えっ、いきなりですか? それにこんなにあっさり?」
「司書なしで探しても、おれたち精霊は迷っちまって、『夜の底の使い』が巣くった空間にはたどり着けないんだ。だが司書の道案内があれば、こんなふうに簡単に着く。分かっただろ、花音がどれだけありがたい存在か」
「じ、実感はありませんけど……お役に立ててなによりです」
そう言う私とファンタジーさんの間に、絵本さんが割り込んできた。
頭の角を器用に引き戸に差し込んで、ガラッと戸を開けちゃった。
「ミーたちがいるんだ、びびることはないね!」
おそるおそる、中を覗いてみた。
もちろん、真っ暗。
入口にある電気のスイッチを押したけど、明かりはつかない。
夜世界は暗いなりに、変なふうに目が利いて、ちょっとくらい離れてても人の姿やものの形は見える。
でもやっぱり、電気がつかないと気味が悪いし、おっかないな……。
「あのう……誰か、というか、ジュブナイルさん……いますか?」
首だけをパソコン室に入れる私をよそに、ファンタジーさんがずいっと中に踏み込んでいった。
童話さんと絵本さんが後に続く。
「……いた」とファンタジーさん。
