ぽかんと口を開けている私に、黒猫はなかなかの口の悪さを発揮してくる。
 よく見ると、黒猫のおでこには小さな角が一本生えてた。……そんな猫、いたっけ?
 いや、そもそも、しゃべる猫なんて。ていうか、空飛ぶうさぎもだけど。

「そ、そうなんですよう、『絵本』! この人間さんは、ほんとに普通の人間みたいなんですう。ウチが飛んだりしゃべったりするのを見て、びっくりしてるみたいですから」

「おいどこから迷い込んだんだ、人間。悪いこと言わないからどっかに隠れとけ。くそっ、あいついったいどこに行ったんだ」

 その時、上のほうになにかの気配を感じた。
 ぱっと見上げると、屋上から、なにかが飛んできた。
 私は思わず叫んじゃう。

「えっ!? な、なにあれ……人間!?」

 それは確かに人間に見えた。地上に――私のほうにぐんぐん向かってきた、っていうか落ちてきた。
 と、飛び降り!?

「ちいっ!」

 そう短く吐き捨てた人影は、地面の近くでくるっと体を縦に一回転させると、
 ずだんっ!
 って音を立てて、私の前に着地した。

「な……な……」

 あっけにとられてる私をよそに、その人は、空飛ぶ白うさぎと角の生えた黒猫をきっとにらんだ。

「お前ら、こんなところでうろちょろしてんな! 童話うさぎに、絵本猫が!」

「ミーは、お前を心配して探してやってたんだろー! それに危ないのはお前のせいだろ!」

「そうですよう、『ファンタジー』さん! ほかはみんな心温まるお話とかが多いのに、あなたはやれドラゴン退治だとか、伝説の魔王退治とか、いっつも命がけの冒険してるじゃないですかあ!」

「しょうがねえだろ、ファンタジーってそういうのが醍醐味なんだから! ……って、あれ? なんだ……女の子?」

 屋上から落ちてきた人は、目を見開いて私を見てる。
 まっすぐな黒い髪は少し長めで、前髪が少し目にかかってた。でも、そんなものじゃ隠し切れないくらい、眼の光が鋭い。
 服は上も下も黒ずくめで、黒いマントまで羽織ってる。……マント着けた人って、生まれて初めて見た気がするな。
 いや、その前に。

「い……今、屋上から……落ちてきませんでした?」

「失礼な。降りただけだ、ひょいっとな」

「へ、平気なんですか? 足、折れたりとか」

「鍛え方が足りなけりゃそうなるかもな。おれはどうってことねえ……って、なに言ってんだ? お前誰だよ?」

「あ、わ、私、七月花音ていいます。今、二年生です」

「ああ? なんだ、人間みたいな名前名乗ってんな?」

 眉をひそめた男の人に、じろじろと見られる。
 よく見ると、背は高いし目つきは鋭いけど、顔つきはどこかあどけなさがあって、私より少し年上くらい――高校生とか?――に見えた。

「ファンタジーさん、ファンタジーさん。この人、普通の人間みたいですう」

「んなわけねえだろ。ああ、見ろよ、魔法書持ってるじゃねえか。司書なんだろ? 歳も、見た目通りの子供ってわけじゃないんだろう」

「え、違います、私まだ中学生で、司書には……いつかなれたらいいなって思ってますけど」

「司書じゃない? じゃあその魔法書はなんだよ?」

 男の人――男の子は、私のスカートのポケットを指さした。
 見ると、ほんのり布地が光ってる。
 なにかと思って中身を出すと、私のスマホだった。いや、スマホの画面じゃなくて、ストラップでつけた、あの本の形をした銀のチャームが、豆電球みたいに光ってる。

「えっえっ、なにこれ? どういう仕組み?」

「……お前、いったいなんなんだ? ……あっ、まずい! おい、お前ら早く建物の中に入れ!」

 空を見上げた男の子が叫ぶ。
 私もつられて上を見て、

「きゃああああっ!?」

 と悲鳴を上げた。
 屋上のすぐ横のあたり。大きく翼を広げた、ワシとかタカとかよりもずっと大きい――市営バスくらいある――鳥が、こっちに急降下してきてた。

「くそ、間に合わねえか! せめて伏せてろ!」

 男の子がマントをばさりと広げた。
 その腰には。

「け、剣!?」

 男の子はつかを握ると、鞘に入ってた剣を一気に抜いた。
 剣だ。本当に、ゲームのキャラクターとかが使う、剣。

「なにしてんだ人間お前、とっとと伏せろー!」

「デスイーグルの爪につかまったら、死の山まで連れてかれちゃいますう!」

 猫とうさぎが、私の肩を上からどすっと押さえた。
 二匹とも小さくて軽くてもふっとしてるけど、その勢いに押されて、私は地面に倒れる。

 デスイーグル――っていうらしい――が、爪を広げて、男の子に今まさにつかみかかろうとしてた。
 その寸前、男の子が、頭上に構えた剣を素早く振り下ろす。

 ざんっ!

 生々しい音を立てて、デズイーグルが真っ二つになり、地面に墜落した。

「さあっすがファンタジーさん、一撃ですう!」

 うさぎが飛び跳ねる中、私は、近づくこともできずに、体の中心から二つに切り分けられた巨大な鳥の姿を見つめた。
 ……こんな鳥が、日本に、っていうか地球にいるの……?

「まだだ! まだ来るぞ、気を抜くんじゃねえ!」

 黒猫がぴんとしっぽを立てる。

「お、おう。じゃあミーたちは校舎の中にでも。おい人間――」

「だめだ、もう校舎には入るな! 見ろ!」

 黒ずくめの男の子が見た先、昇降口に、赤い光がぽつぽつと二つともってる。
 非常ボタンのランプかなにかかな? と思ったら、少し動いてた。

「ニャアアッ!? あ、あれは!?」

「キングダークバイパー……巨大毒蛇ですう!」

 昇降口から、黒く太い――近所の神社の杉の木くらい――管が飛び出てきた。
 こ、これが蛇!? 学校の中から!?
赤い二つの光は、この巨大な黒い蛇の目だったんだ。

 男の子が駆け出した。
 巨大蛇も頭をもたげて、それから一気に男の子に向かって素早く首を伸ばす。
 だんっ! という踏み込みの音とともに、蛇の頭が切り飛ばされて、宙に舞った。

 私はもう目の前で起きてることに全然ついていけなくて、ただ地面に腹ばいになってた。
 ……その地面が、ぐらりと動いた。

「ひゃっ!? こ、今度はなに!?」

「ゴーレムか!」

 男の子が、私たちのほうに向かってくる。でも私たちとは、まだかなり距離がある。

 白うさぎは「ひええですう!」と言って空に逃げた。
 黒猫は「おっとお」と言って、こっちも素早く逃げていく。
 ず、ずるい!
 逃げ遅れた私は、地面から現れた土人形の肩にかつがれて、身動きできない。
 土人形は目鼻がなくて、身長はお父さんの二倍くらいある。これじゃ飛び降りるのも怖い。ただでさえ、がっちりつかまってるのに。

「人質ときたか! やるじゃねえか!」

「ひ、人質!? 私ですかっ!?」

 男の子は、剣を構えて歩きながら答えてきた。

「そうだ! おれがおとなしくしないと、お前の命の保証はねえってことだな!」

「その割に、えーと黒いお兄さん、全然止まる気なくないですか!?」

「かもなあ! おい、そいつの顔面をこっちに向かせろ!」

 が、顔面? 確かに私の体のすぐ横に土人形の頭部はあるけど、ほとんどただの直方体で、顔の向きなんて分からない。

「顔面ってどこですか!?」

「額に短い呪文が彫ってあるだろ! それが正面だ! その文字を消すか砕くかしなくちゃならねえんだよ!」

 だからその額が分からないのにっ。
 それでもなんとか文字らしいものを見つけて、両手で直方体を押さえてぐりっと男の子のほうを向かせた。

「そうだ、いいぞ! そのまま動くなよ! あとだな――」

 土人形の五メートルくらい手前で、男の子が何かを振りかぶる。
 次の瞬間、その手から飛んできたのは、例の剣だった。

 ずどっ!

 剣の先端は、ゴーレムの額の、なにか文字みたいなのが書いてあるところに突き刺さった。
 たちまち土人形は形を失って、私も地面に向かって落ちていく。

「わ、わあっ!?」

「おっと」

 駆け寄った男の子が両手を広げて、私を受け止めてくれた。
 体は細身に見えるのに、その腕から伝わってくる力強さに、頼もしさを感じてつい赤面しちゃう。

「あ……ありがとうございます……」

「――あと、おれはファンタジーだ。そう呼んでくれよ」

 ファンタジーさん。
 変わった名前だな……。
 私の顔のすぐ上に、ファンタジーさんの顔がある。
 近くで見ると、目つきの鋭さもあって、思わずぞくっとするほど整った顔立ちだった。
 少し怒ったような、不機嫌そうな表情。
 でも、声はさっきまでよりずっと優しい。