回っていた手が、両手とも私のほうへさっと差し出された。

「そういうこと! 特別なキモチを抱いちゃうのも、納得でしょ?」

「で、でも、それはたまたま私が『夜の図書室』の司書になれたからで、別に私じゃなくても」

 しどろもどろになってそう言うと、ファンタジーさんが首を横に振った。

「それは違うぜ、花音。『夜の図書室』の司書になれるかどうかは、確かに才能のありなしによる。でもな、弱って消えていこうとするおれたちを助けて、一緒に図書室をよみがえらせようとしてくれたのは、花音の人柄だろ? おれたちが花音を好……好、す、つまりその、好感を持ったのは、そういうところなんだよ」

「その通りです」とミステリさん――手帳はいつの間にかしまってた。「わたくしとも、謎自体は他愛ないものだったとはいえ、ともに事件現場をめぐりながら真相へ近づいていく楽しさ、高揚、達成感……あれは、精霊の事件を自分事として駆け回ってくださった花音殿とだからこそ味わえたもの」

「悪かったね、他愛もなくてさ」とホラーさんが半目になる。

 とりあえず状況は分かったものの、なにをどうしていいのかは相変わらず分からない。
 みんなが私を、好……好き、だとして、それが冗談でも嘘でもないとして、私はどうすれば!?

「いやあ、いいね! みなの者それぞれのラブ、尊いよ!」

 果てしなく明るい笑顔でそう言うラブロマンスさんを、私はつい、ちろりとにらんじゃった。

「ラブロマンスさんのせいで、こんな、収拾がつかなくなっちゃってるわけですよね……?」

「ラブに収まりなんてつける必要があるのかい!? でもそうだね、このままで、めくるめくラブストーリーをつづることはできないようだ。なにしろ、ここしばらく、この学校はかつてない規模の『夜の底の使い』に襲われていたのだからね! そして今のところはなんとかやつらを退けているものの、根本的な解決はしていない……」

「え。あれを、根本的に解決する方法なんてあるんですか?」

 私が『夜の図書室』に来てから、あの「使い」たちは当たり前にいたから、なくせるなんて考えつきもしなかった。
 そうだ、もっと早く気にするべきだったんだ。あれさえ出なくなれば、この学校の図書室は守れるんだから。

「あるとも。ミステリとも話したんだけどね、あの量の『使い』が一斉に発生することは考えられない。誰かが、呼び込みでもしない限りね」

「呼び込み……? ですか?」

「そうだよ。我らが夜世界に呼び込むわけだから、もちろん、夜世界の住人の手によってだね」

 夜世界の住人……それって……

「そうさ。ここにいる、精霊の誰かさ」

「なっ……!」

 なんてこと言うんですか! みんな、ラブロマンスさんの友達なんでしょう!?
 そう言おうとして、……ラブロマンスさんの瞳を見たら、なにも言えなくなっちゃった。
 今までに見たことのない、とても悲しく、寂しそうな瞳。涙が流れてないのが、不思議なくらい。

「我はね、人の心の壁を開放する力がある。だから分かってしまうんだ、心の壁を持つ者のことが。時折、そんな自分に嫌気がさすよ。でも、黙っていることはできない」

 ラブロマンスさんは、とある精霊の一人を見つめる。
 そして、言った。

「君が呼び寄せていたんだね。それが君の、マドモアゼル花音にかなえてもらったのとは別の、もう一つの願いだったから……」



 夜世界の地の底から、黒いものが這い上がってくる。
 名前はない。ただ、「夜の底の使い」とだけ呼ばれている。
 人が光の当たるところ立てば必ず影が差すように、学校というものがあれば、必ずそれらは忍び寄ってくる。
 多くの場合は、そこで過ごす人々の活気や、夜世界の精霊の力で振り払うことができる。
 けれど時々、自らそれらを呼び寄せてしまう者がいる。
 今この時も、「夜の底の使い」は、ある精霊に招かれてその中学校に殺到してきていた。



 信じられなかった。

「そんな……」

 ほかの精霊のみんなも、驚いてる。
 それはそのはずだ。

「ジュブナイルさんが……!?」

 うつむいたまま、ジュブナイルさんが口を開いた。その声はとても弱弱しい。

「はは。ひどいじゃないか、ラブロマンス。みんなで花音ちゃんに告白し合おうって時に、そんなことを暴くなんて……」

 ラブロマンスさんが、立ち尽くしてるジュブナイルさんに一歩近づいた。

「ジュブナイル。我の感覚によると、君は今この時も、新たな『使い』を呼び寄せている。そうだね?」

「……そうだよ。一応言い訳するけど、呼びたくて呼んでるんじゃない。自動的に呼び寄せてしまうんだ……」

「理由を聞かせてもらえないか? ここには、それによって君をさげすむような情けない者は一人もいない。分かるだろう?」

 その時、私たちの後ろから、穏やかな声がした。

「私から説明しよう」

 私たちはいっせいに振り向く。

「み、……三島さん?」

「みんなには隠していたが、ジュブナイルはね。もとは、私が切り離した魂の一部が、精霊になったものなんだ」

 え?
 ジュブナイルさんが……もとは三島さんの一部?
 突然のことに、精霊のみんなが、あぜんとしてる。みんな知らなかったことなんだ。
 ていうか、ジュブナイルさんも口を開けてぽかんとしてる。ファンタジーさんが、「お前も初耳なのかよ」って突っ込んだ。

「私はここに来るまでに、いくつかの学校で『夜の図書室』の司書を務めてきた。どこの学校でも、生徒はみんな本と親しんでくれたよ、幸せだった。でもね、学校を変わった理由は、ほとんどが廃校さ。子供が減っているからね」

 三島さんは一度、悔しそうに唇を噛んでから続けた。

「そのたびに、図書室にあった多くの物語が廃棄されていった。それに、どんなにいい子たちと出会っても、やがて卒業し、数年で私たちとは離れ離れになっていく。本とも、人とも、出会いの数だけ別れなくてはならない。それがつらくて、耐えられなくてね。この学校に来た時、私の傷ついた心を、自分の魂から切り離したんだ。それがここで、ジュブナイル・ジャンルの精霊となった」

 そうだったんだ。それで、三島さんとジュブナイルさんは似てたんだ……。

「私とジュブナイルは、今や完全に別物になってしまって、今更もとには戻れない。でも、この図書室から精霊が消えるなら、私も『夜の図書室』の司書をやめるいい区切りかもしれないと思った」

 なっ!?

「そ、そんな。三島さんがいなくなったら、本当に図書室がだめになっちゃいますよ」

「ありがとう、七月さん。でもね、精霊を害する『夜の底の使い』を呼び寄せているのはジュブナイルで、それを生み出したのは私なんだ。彼は表面上は明るくふるまっているが、繊細過ぎるがために、常に別れと喪失の恐怖を抱いている。今こうしている間も、七月さんや精霊たちとの、いずれ迎える別れにおびえているんだ。人も本も、出会ったものとはいつか、必ず別離するものだからね。その彼が苦しみ、自ら消えようとまでしているのに、原因である私がのうのうと司書を続けるわけにはいかない」

「そんな……」

 たじろぐ私の、ふらついた肩を、誰かが優しく支えてくれた。
 ファンタジーさんだ。三島さんじゃなくて、ジュブナイルさんを見つめてる。

「なるほどな。その恐怖のあまり、いっそ自分から終わりにしたくて、無意識に『使い』どもを呼んじまってたわけか。知の守り神である精霊が自分から手引きすれば、そりゃやつらも限りなく押し寄せるよな」

 私もジュブナイルさんを見た。
 華奢な体が震えてる。

「……そうだよ。自分であいつらを呼び寄せておきながら、なに食わぬ顔で君たちと一緒にいた。本当は、僕一人で消えればよかったんだけどね」

「ほお。じゃあどうして、おれら精霊全員、巻き添えにしようと思ったんだ?」

「ずっと、自分が『そう』だなんて気づかなかったんだ。君の言うとおり、無意識だったんだよ。気づいた時には、もう、あいつらにつかまって身動きできなくなっていた。……軽蔑してよ」 

「あー……まあ、軽蔑するとしたら、ミシマエルのほうだな」

 え? とジュブナイルさんが顔を上げる。ほっぺたに、涙の跡があった。

「だってお前を生み出しておきながら、お前もおれらもまとめて、この学校の図書室をあきらめるっていうんだろ? そんな勝手があるかよ」

 三島さんが立ち上がる。

「ち、違う。私なりに君らを助けようとはしたんだ。それに私自身、ジュブナイルが『使い』を自覚なく呼んでいると気づいたのはつい最近のことで――」

「それは分かるさ。だからこそ『夜の図書室』はお前の魔力で強固に守られて、『使い』どもは侵入して来られなかったし、最後の砦であり続けたんだろ。……もう一人のお前であるジュブナイルは、つらさのあまりもう消えちまいたかった。一方、お前はなんとかこの図書室を守ろうとした。どっちも嘘じゃないってだけだ」

 いつか抱きかかえられた時と同じに、私は、すぐ目の上にあるファンタジーさんの顔を見た。

「なんだ、そうするとミシマエルのことも、別に軽蔑することはなかったな」