「おっと、いけない」
え? と聞き返す前に、ジュブナイルさんが私の手を引いて、自分の腕の中にぽすんと私を入れちゃった。
シャツ越しに胸板が感じられて、思わずどきっとしつつ、
「な、何事ですか!?」
「うん、あれ」
私のすぐ横で、弓がうなった。
そして今まで私がいた場所に手を伸ばしてきてたサルみたいな影を、ジュブナイルさんが射た矢が打ち抜く。
「まったく、油断も隙もない。でも、もうすぐ片づくかな」
美術室の奥を見ると、もうほとんど影は残ってなかった。
ファンタジーさんが、ぐったりと壁にもたれた、背の高い人を介抱してる。
あれが……
「ミステリだよ。僕らも行こう」
近づいてみると、ミステリさんは、青い長髪の男の人だった。
顔立ちは高校生くらいに見える。ほっそりとして、鼻筋が通ってた。そしてその服装は、なんていうか……
「あの人、イギリスのあの名探偵そっくりですね。えーと、そう、シャーロック・ホームズ!って感じです」
「だよね。チェックの鹿撃ち帽、淡いブラウンのインバネスコート、その下はベストとワイシャツ。名探偵ホームズのイメージだね」
ミステリさんが立ち上がる。ファンタジーさんよりちょっと背が高い。
「ああ、諸君、ファンタジーにジュブナイル、それにおちびさんたち……ずいぶんと久しぶりに会う気がいたしますな……」
「気がついたかよ、ミステリ。相変わらずのファッションセンスしてんな」
「フッ、わたくしとしたことが、年中黒ずくめの卿に言われるとは。……おや、そちらのお嬢さんは?」
「そしてしゃべり方も相変わらずおっさんくせえな。いつのミステリ小説のイメージだ? 花音、こいつミステリ。あいさつしてやってくれ」
私はファンタジーさんの前に歩み出た。
「おお、では卿は『夜の図書室』の司書なのですかな? おっといけない、その前に」
ミステリさんは、コートの中から一冊の本を取り出した。茶色い皮の表紙で、タイトルは読めない字で書かれてる。
それをミステリさんが広げると、中のページは白紙だった。
「恥ずべき者たちよ、知の迷宮に閉ざされるがいい!」
ミステリさんがそう言うと、まだ美術室の端のほうに残ってた影が、掃除機に吸い込まれるみたいに本の中に吸い込まれた。
「ミ、ミステリさんて、……そんなことできるんですか?」
「相手の数がたいしたことがなければ、わたくしもそれなりに戦えますとも。改めまして、お嬢さん。わたくしがミステリです。いわゆる推理小説の精霊です」
「私、七月花音です。三島さんに魔法書をもらって、司書になりました」
すると後ろから、ジュブナイルさんが私の横に並んできた。
「花音ちゃんのおかげで、僕もファンタジーも助かったんだ。素敵な司書さんだろ?」
「ジュ、ジュブナイルさん!」
また恥ずかしいことを言われちゃったけど、ミステリさんはまじめな顔で私をじっと見つめてくる。
「確かに、どんな難事件にも立ち向かう勇気を与えてくれそうな、うるわしいレディですな」
「わ、わあもう! さ、早速ですけど、ミステリさんは、なにかかなえたい願いはありますか?」
「わたくしの願いですか。ありますとも。謎が解きたいのです」
「謎? ……ですか?」
ミステリさんは、頭をゆらゆらと振った。見た目は十代後半なのに、身振りが大げさで、ちょっと面白いな。
「そう。謎です。推理小説のファンは、常に謎に飢えているものなのです。目に映るものことごとく、森羅万象を解き明かさずにはいられないのですよ」
「そうかあ?」と絵本さんが黒い毛をつくろいながら言う。「お前だけじゃない?」
ファンタジーさんとジュブナイルさんも、うんうんとうなずいてる。
「むう、名探偵は時に孤独でであります。おっと、そうだ。確かこの近くに、理科用の特別室がありましたね?」
「あ、はい。すぐ先に、生物室と科学室があります」
「確かそこに、ホラーが捕まっているはずです。司書がいてくれれば、踏み込むのはたやすい。どうか、もう一仕事お願いできませんか」
「そうなんですか? もちろんです、行きましょうみなさん!」
私たちは、まず科学室のドアを開けた。
覗き込んでみると、部屋の中では、やっぱり「夜の底の使い」がうごめいてる。
「でもここには、誰もいないみたいですね……じゃあ、生物室に行きましょう!」
「花音、張り切ってんなあ」
「だって、ここのところ、図書室に人が来るようになったんですよ! やる気出ちゃいますよ!」
「……ああ。それは、おれだって本気で感謝してるよ。毎日、生きがいを感じてる。ジュブナイルにミステリ、お前らもすぐにそうなるからな」
ファンタジーさんの言葉に元気づけられて、私は一つ先の生物室のドアを開けた。
中には、さっきよりも少ないけど、「夜の底の使い」がちらほら見える。
「えっと……でも、ホラーさんは、見当たらない……かな?」
「まさかあいつ、もう寿命迎えて消えちまったんじゃないだろうな」
ファンタジーさんの言葉に、ジュブナイルさんが指を立てて言ってきた。
「そうとは限らないよ。どこか別の場所に移ったのかも。……ん? なんだか、この生物室、変じゃない?」
「なにがだよ?」
「ほら、あの南側の隅のあたり、なにか置いてなかったっけ」
そう言われて、私たちはうごめく影をファンタジーさんが切り払うのに続いて、その隅へ近づいてみる。
私は、あっと声を上げた。
「人体模型です。ここ、確か人体模型が置いてあったはずですよ」
人間と同じサイズの、頭や内臓の中身を見えるようにしてある、ちょっと不気味な模型。
それが置いてあったはずの場所に、なにもなくなってる。
童話さんが、空中で首をかしげた。
「でもお、あんなものがないくらいでウチらが気にすることはないですう」
「だよなあ。ミーたちが探してるのはホラーであって……ん? なんだこれ」
見ると、人体模型がなくなった床の上に、白い封筒が落ちてた。
私が拾い上げて、開いてみる。
「中に便せんが入ってますね。読みますよ。……『七不思議を体験し、謎を解け。さすれば仲間は戻るであろう』……って、子供みたいな字で書いてあります」
ファンタジーさんが口をとがらせて言う。
「七不思議だ? この学校のか? おれ知らねえな。花音、知ってるか?」
「いえ、なんだか昔そういうのもあった、ってうわさくらいしか」
「そっか。ジュブナイル、お前知ってる?」
「うーん、一つか二つ、聞いたことがあったかな。ミステリはどう――」
そう言ってジュブナイルさんが振り返ると、ミステリさんは、黒い手帳を開いてぶつぶつとなにかつぶやいてた。
「――ミ、ミステリ? どうしたの?」
「七不思議……わたくし、存じておりますぞ」
「そうなんですか? 七つ全部?」と私。
「いかにも。一、動き出す人体模型。二、無人の音楽室から聞こえるピアノの音。三、保健室のベッドの下の死体。四、トイレの個室で『こっちにおいで』と呼ぶ何者かの声。五、屋上から身投げする女子学生の幽霊。六、永遠に続く階段。七、最後の秘密。……でございます」
「あれ、私が聞いたことあるやつ入ってないかも」
私がそう言うと、
「こうしたものはたいてい七つ以上不思議があったり、年代によって内容が変わったりしますからな。わたくしが存じているのも、そのうちの一つのパターンに過ぎません」
そうミステリさんに言われて、なるほどそういうものかもと思う。
ミステリさんがさらに続けた。
「一つ目の謎の、動き出す人体模型。これはもうわたくしたちは体験したということでいいのでしょう。なくなったのではなく、自分でどこかに行ってしまったというわけですな」
ええ……それはそれで、気味が悪いよう……。
「いやその前にだけどよ、ミステリ。七つ目の『最後の秘密』ってなんだよ?」
「これは七不思議では珍しくないのですが、六つまでの不思議を体験した者だけが知る不思議というものです。七つすべてをはっきり決めてしまうと味気ないと感じる人間が多いので、ぼかすために用いられるという話も聞きますが」
「ああ。人間って、それこそ謎なとこあるよなー」
「ともあれ」とミステリさんが手をあごに当てて、「謎を解けと言われたのなら、解かないわけには参りますまい。いざ、七不思議に挑みましょう」
「えっ……わ、私たちがですが?」
「むろん」
「で、でも、……怖くないですか? 夜世界ってただでさえ真っ暗なのに、そこで七不思議って」
ファンタジーさんがちょっとびっくりした様子で言ってきた。
「いや、そりゃ暗いけどよ。え、花音、七不思議なんてのが怖いのか?」
「……悪いですか?」
私はじろっとファンタジーさんをにらむ。
え? と聞き返す前に、ジュブナイルさんが私の手を引いて、自分の腕の中にぽすんと私を入れちゃった。
シャツ越しに胸板が感じられて、思わずどきっとしつつ、
「な、何事ですか!?」
「うん、あれ」
私のすぐ横で、弓がうなった。
そして今まで私がいた場所に手を伸ばしてきてたサルみたいな影を、ジュブナイルさんが射た矢が打ち抜く。
「まったく、油断も隙もない。でも、もうすぐ片づくかな」
美術室の奥を見ると、もうほとんど影は残ってなかった。
ファンタジーさんが、ぐったりと壁にもたれた、背の高い人を介抱してる。
あれが……
「ミステリだよ。僕らも行こう」
近づいてみると、ミステリさんは、青い長髪の男の人だった。
顔立ちは高校生くらいに見える。ほっそりとして、鼻筋が通ってた。そしてその服装は、なんていうか……
「あの人、イギリスのあの名探偵そっくりですね。えーと、そう、シャーロック・ホームズ!って感じです」
「だよね。チェックの鹿撃ち帽、淡いブラウンのインバネスコート、その下はベストとワイシャツ。名探偵ホームズのイメージだね」
ミステリさんが立ち上がる。ファンタジーさんよりちょっと背が高い。
「ああ、諸君、ファンタジーにジュブナイル、それにおちびさんたち……ずいぶんと久しぶりに会う気がいたしますな……」
「気がついたかよ、ミステリ。相変わらずのファッションセンスしてんな」
「フッ、わたくしとしたことが、年中黒ずくめの卿に言われるとは。……おや、そちらのお嬢さんは?」
「そしてしゃべり方も相変わらずおっさんくせえな。いつのミステリ小説のイメージだ? 花音、こいつミステリ。あいさつしてやってくれ」
私はファンタジーさんの前に歩み出た。
「おお、では卿は『夜の図書室』の司書なのですかな? おっといけない、その前に」
ミステリさんは、コートの中から一冊の本を取り出した。茶色い皮の表紙で、タイトルは読めない字で書かれてる。
それをミステリさんが広げると、中のページは白紙だった。
「恥ずべき者たちよ、知の迷宮に閉ざされるがいい!」
ミステリさんがそう言うと、まだ美術室の端のほうに残ってた影が、掃除機に吸い込まれるみたいに本の中に吸い込まれた。
「ミ、ミステリさんて、……そんなことできるんですか?」
「相手の数がたいしたことがなければ、わたくしもそれなりに戦えますとも。改めまして、お嬢さん。わたくしがミステリです。いわゆる推理小説の精霊です」
「私、七月花音です。三島さんに魔法書をもらって、司書になりました」
すると後ろから、ジュブナイルさんが私の横に並んできた。
「花音ちゃんのおかげで、僕もファンタジーも助かったんだ。素敵な司書さんだろ?」
「ジュ、ジュブナイルさん!」
また恥ずかしいことを言われちゃったけど、ミステリさんはまじめな顔で私をじっと見つめてくる。
「確かに、どんな難事件にも立ち向かう勇気を与えてくれそうな、うるわしいレディですな」
「わ、わあもう! さ、早速ですけど、ミステリさんは、なにかかなえたい願いはありますか?」
「わたくしの願いですか。ありますとも。謎が解きたいのです」
「謎? ……ですか?」
ミステリさんは、頭をゆらゆらと振った。見た目は十代後半なのに、身振りが大げさで、ちょっと面白いな。
「そう。謎です。推理小説のファンは、常に謎に飢えているものなのです。目に映るものことごとく、森羅万象を解き明かさずにはいられないのですよ」
「そうかあ?」と絵本さんが黒い毛をつくろいながら言う。「お前だけじゃない?」
ファンタジーさんとジュブナイルさんも、うんうんとうなずいてる。
「むう、名探偵は時に孤独でであります。おっと、そうだ。確かこの近くに、理科用の特別室がありましたね?」
「あ、はい。すぐ先に、生物室と科学室があります」
「確かそこに、ホラーが捕まっているはずです。司書がいてくれれば、踏み込むのはたやすい。どうか、もう一仕事お願いできませんか」
「そうなんですか? もちろんです、行きましょうみなさん!」
私たちは、まず科学室のドアを開けた。
覗き込んでみると、部屋の中では、やっぱり「夜の底の使い」がうごめいてる。
「でもここには、誰もいないみたいですね……じゃあ、生物室に行きましょう!」
「花音、張り切ってんなあ」
「だって、ここのところ、図書室に人が来るようになったんですよ! やる気出ちゃいますよ!」
「……ああ。それは、おれだって本気で感謝してるよ。毎日、生きがいを感じてる。ジュブナイルにミステリ、お前らもすぐにそうなるからな」
ファンタジーさんの言葉に元気づけられて、私は一つ先の生物室のドアを開けた。
中には、さっきよりも少ないけど、「夜の底の使い」がちらほら見える。
「えっと……でも、ホラーさんは、見当たらない……かな?」
「まさかあいつ、もう寿命迎えて消えちまったんじゃないだろうな」
ファンタジーさんの言葉に、ジュブナイルさんが指を立てて言ってきた。
「そうとは限らないよ。どこか別の場所に移ったのかも。……ん? なんだか、この生物室、変じゃない?」
「なにがだよ?」
「ほら、あの南側の隅のあたり、なにか置いてなかったっけ」
そう言われて、私たちはうごめく影をファンタジーさんが切り払うのに続いて、その隅へ近づいてみる。
私は、あっと声を上げた。
「人体模型です。ここ、確か人体模型が置いてあったはずですよ」
人間と同じサイズの、頭や内臓の中身を見えるようにしてある、ちょっと不気味な模型。
それが置いてあったはずの場所に、なにもなくなってる。
童話さんが、空中で首をかしげた。
「でもお、あんなものがないくらいでウチらが気にすることはないですう」
「だよなあ。ミーたちが探してるのはホラーであって……ん? なんだこれ」
見ると、人体模型がなくなった床の上に、白い封筒が落ちてた。
私が拾い上げて、開いてみる。
「中に便せんが入ってますね。読みますよ。……『七不思議を体験し、謎を解け。さすれば仲間は戻るであろう』……って、子供みたいな字で書いてあります」
ファンタジーさんが口をとがらせて言う。
「七不思議だ? この学校のか? おれ知らねえな。花音、知ってるか?」
「いえ、なんだか昔そういうのもあった、ってうわさくらいしか」
「そっか。ジュブナイル、お前知ってる?」
「うーん、一つか二つ、聞いたことがあったかな。ミステリはどう――」
そう言ってジュブナイルさんが振り返ると、ミステリさんは、黒い手帳を開いてぶつぶつとなにかつぶやいてた。
「――ミ、ミステリ? どうしたの?」
「七不思議……わたくし、存じておりますぞ」
「そうなんですか? 七つ全部?」と私。
「いかにも。一、動き出す人体模型。二、無人の音楽室から聞こえるピアノの音。三、保健室のベッドの下の死体。四、トイレの個室で『こっちにおいで』と呼ぶ何者かの声。五、屋上から身投げする女子学生の幽霊。六、永遠に続く階段。七、最後の秘密。……でございます」
「あれ、私が聞いたことあるやつ入ってないかも」
私がそう言うと、
「こうしたものはたいてい七つ以上不思議があったり、年代によって内容が変わったりしますからな。わたくしが存じているのも、そのうちの一つのパターンに過ぎません」
そうミステリさんに言われて、なるほどそういうものかもと思う。
ミステリさんがさらに続けた。
「一つ目の謎の、動き出す人体模型。これはもうわたくしたちは体験したということでいいのでしょう。なくなったのではなく、自分でどこかに行ってしまったというわけですな」
ええ……それはそれで、気味が悪いよう……。
「いやその前にだけどよ、ミステリ。七つ目の『最後の秘密』ってなんだよ?」
「これは七不思議では珍しくないのですが、六つまでの不思議を体験した者だけが知る不思議というものです。七つすべてをはっきり決めてしまうと味気ないと感じる人間が多いので、ぼかすために用いられるという話も聞きますが」
「ああ。人間って、それこそ謎なとこあるよなー」
「ともあれ」とミステリさんが手をあごに当てて、「謎を解けと言われたのなら、解かないわけには参りますまい。いざ、七不思議に挑みましょう」
「えっ……わ、私たちがですが?」
「むろん」
「で、でも、……怖くないですか? 夜世界ってただでさえ真っ暗なのに、そこで七不思議って」
ファンタジーさんがちょっとびっくりした様子で言ってきた。
「いや、そりゃ暗いけどよ。え、花音、七不思議なんてのが怖いのか?」
「……悪いですか?」
私はじろっとファンタジーさんをにらむ。
