その時。
「……堂本紗理奈に手を出すな」
天上から声が聞こえた。
張り巡らされた配管に陰がちらつく。
紗理奈は思わず目を瞑った。
目の前に何かが降ってくる。
勢いで風が吹いて思わず目を閉じる。
何かが潰れるような音が聞こえた。
目を開けてみれば……
「近江さん!」
近江が牛口のことを組み敷いている姿だった。
まさか天井から降りてくるとは思わず、紗理奈は目を真ん丸に見開いた。
「……残念だったな、牛口。お前は昔から余計なことを喋りすぎる。堂本陽太の件は後で話を聞かせてもらおう。ひとまず、婦女への暴行未遂で現行犯逮捕だ」
下敷きになった牛口が呻き声を上げている。
近江が淡々と続けた。
「兄だけでなく妹にまで手をかけようとするなんてな。刑事だったのに愚かな真似を……昔からどうにも目立ちたがる気性だったが、災いしたようだな。わざわざ警察署に脅迫状を送ってさえこなければ、真実は闇の中のままだったのかもしれないのに」
すると、牛口が悔し紛れに叫んだ。
「俺は脅迫状なんか送っちゃいない! どこの誰だか知らないが、そいつのせいで、俺は堂本の妹に接近する羽目になったんだよ!」
近江が顔をしかめる。
「脅迫状を送ったのは、お前じゃないだと……?」
その時。
「警察署に脅迫状を送ったのは私よ」
現れたのは駿河千絵だった。逆光で表情が見えない。
彼女を見て、牛口が叫ぶ。
「千絵! お前だって、堂本よりも俺のことを愛しているから、俺と結婚しようと思ってくれたんだろう?」
彼女は近江が組み敷く牛口のことを見下ろした。
「わたしがあんたなんかのことを愛しているわけないでしょう! こうしたら、貴方が絶対にボロを出すって思ってたから近づいたのよ!」
「なっ」
「堂本くんを殺したあなたのこと、私は絶対に許さない!」
その瞬間。駿河が俊敏な動きで近江へと手を伸ばした。
彼女の指先にあるのは……近江の拳銃だ。
そう認識した瞬間。
紗理奈の身体が勝手に動いた。
「待って! 千絵さん!」
駿河千絵の身体に体当たりすると、そのまま二人して床に倒れ伏す。
紗理奈は声をかける。
「お兄ちゃんが私に紹介したいって言ってた、大事な同僚の刑事さん。お兄ちゃんが好きになった貴女に犯人を罰してほしいなんて、お兄ちゃんは思ってないと思うんです」
駿河千絵がハッと身体を強張らせた。瞳を潤ませた後、嗚咽を漏らす。
紗理奈は彼女の身体の上からそっと離れる。
ふらりと身体が傾いだ。
すぐそばにいた近江が支えてくれる。
「堂本紗理奈! 勇気と無謀は違うとあれほど……」
近江がすぐそばにいるのだと思うと安堵して全身の力が抜けていく。
「良かった、近江さん、捕まってなかったんですね」
「ああ、一連の話は、牛口を追い詰めるためのものだった。俺としては、君に一番とってもらいたくない選択を選ばれたものだから冷や冷やしたよ」
「ふふ、だけど、お兄ちゃんの事件の真実が分かって……良かったです」
気を張りつめすぎていたのか、それとも飲まされた酒が強すぎたのか、そこで紗理奈はふっと意識を失ったのだった。


