「お前の兄・陽太が亡くなった事件について、お前に話しておきたいことがある」
「お兄ちゃんの……?」
「ああ、だが、今からでは話す時間が足りない」
「だったら、どうして今話されたんですか?」
「先に心の準備をしておいてもらいたかった」
ちょうどその時、近江のスマホに着信音が鳴る。初期設定の無機質なアラーム音だ。
彼が電話口で話している。どうやら何かの事件の足取りが掴めたのかもしれない。
「堂本紗理奈、すまない。続きはまた帰ってからにでも話そう」
けれども、紗理奈の胸の中はゴチャゴチャしていて、近江になんて声をかけて良いのか分からなかった。気持ちを落ちつけたくて、皿洗いのために、椅子から立ち上がる。
ふと、頭上に陰が差す。
見上げると、近江が目の前にまで近づいてきていた。
しかも……
皿に手を伸ばそうとしていた紗理奈の手を、近江の大きな掌が掴んできたのだ。
ドクン。
紗理奈の鼓動が跳ね上がる。
「近江さん……?」
「堂本陽太の話以外にも、お前に伝えておきたいことがある」
ドクンドクン。
近江の真剣な眼差しに頭の芯がクラクラしてくる。
「……俺がお前と一緒に暮らしたいとプロポーズしたのは事件解決のためだった」
ドクンドクンドクン。
心臓が嫌な音へと変わった。
紗理奈は唇をきゅっと噛み締めた後、再び開く。
「それはもちろん分かっていて……」
「だが、今は違う」
ドクンドクンドクンドクン。
近江の真摯な声音が鼓膜を震わせてくる。
「確かにこれまでは期間限定の恋人として一緒に暮らしてきたが……君が迷惑でなければ……」
だがしかし、ちょうど、朝の八時の時報がなった。
「……続きはまた後で話そう。おそらく今晩は帰って来れない」
「帰って来れないんですか?」
「ああ」
すると、近江が思いがけないことを口にしはじめた。
「君を危険な目に遭わせたくはない。どうか、君が俺の想像とは違う行動をとることを願う」
「近江さん、それはいったい……?」
「まあ、万が一のことがあっても、俺は君を絶対に守ってみせるがな」
先ほどから近江が何の話をしているのか、見当もつかない。
「それでは」
それだけ言い残すと、近江の手がそっと離れた。
今度こそ仕事へと向かう彼の背を、彼女は見送った。
(近江さん……)
彼の触れていた手が熱い。
紗理奈はそっともう片方の手で覆ったのだった。


