クールなエリート警視正は、天涯孤独な期間限定恋人へと初恋を捧げる


 突然、凛とした女性の声が耳に届いた。
 振り向くと、青いスレンダーなドレスを纏う美人が立っていた。髪は黒のワンレングスボブで、まるでモデルか女優のように綺麗な女性だ。
 彼女は近江のことをまじまじと見つめている。

(近江さんの知り合い?)

 すると、彼女の隣に立っていた男性が顔を覗かせてくる。
 彼の姿を見た瞬間、紗理奈はドキリとした。

(この男の人……)

 決して、異性としてカッコイイから反応したのではない。
 明るい髪色と清潔そうな短い髪、それに背格好や服装のセンスなんかが、兄・陽太に酷似していたのだ。もちろん顔は全然似ていないが、遠目で見たら勘違いしてしまいそうだ。

「近江、久しぶりだな」

 男性の方もどうやら近江と知り合いのようだ。
 近江の様子はといえば少々険しい雰囲気を醸しており、紗理奈は少々動揺してしまった。

(いったいぜんたい何なの……?)

 兄に似た雰囲気の男性が紗理奈に向かって声をかけてくる。

「お嬢さん、私は牛口幸三と言います。高校時代からの友人で、しばらくは警察として一緒に働いていました。現在は会社経営をしています。どうぞお見知りおきを」
 そう言いながら、牛口幸三と名乗る人物は紗理奈に名刺を渡してきた。会社経営者と名乗るぐらいなのだから、社交的な人物なのだろう。けれども、紗理奈としては、なんとなく相手にうさん臭さを感じた。兄と姿が似通っているから特に違いを強く感じてしまうのかもしれない。

「そうして、私と一緒にいる、こちらの女性は……」

「駿河千絵と申します」

 女性は深々と頭を下げてくる。優雅な所作で、身に着けているものも上品で、紗理奈はなんとなく気遅れしてしまった。

「堂本紗理奈と申します。どうぞよろしくお願いします」

 すると、牛口と駿河の二人が顔を見合わせた。駿河の声が上ずる。

「堂本? もしかして陽太さんの?」

「ええっと……」

 紗理奈が「そうです」と答えようとしていたら……

「わざわざ教えてやる必要はない」

 近江が話に割り入ってきた。
 普段耳にしないような鋭く刺のある口調で、紗理奈の身体がびくりと跳ねる。

(どうしたんだろう、近江さん)

 すると、牛口が喜々として口を開いた。

「近江は堂本と仲が良かったから、妹さんとも懇意にしているってとこか。ああ、そうだ、近江」

「なんだ?」

 すると、牛口が口の端をにやりと吊り上げる。

「俺と千絵は結婚することになったんだ」

 近江はと言えば無言だったし、表情は普段通りに平坦なものへと戻っていた。
 そうして、駿河千絵は二人には視線を向けずに俯いている。
 ただならぬ三人の関係に紗理奈はなんとなく嫌な感じがした。話に入れないのが嫌だというわけではなく、三人の関係性から、あまり耳にしない方が良い話題な気がしたからだ。
 何も答えない近江に代わって、駿河が牛口を制した。

「牛口くん、人前でそれ以上、おかしな話はしないで」

「おっと、すまない」

 そうして、これみよがしに牛口が近江に向かって告げた。

「千絵は昔はお前の婚約者だったかもしれないが、今はもう俺の婚約者なんだ」

 ……近江の婚約者。
 思いがけない単語を耳にしたせいか、紗理奈の身の内に衝撃が走る。
 ドクンドクンドクンドクン。
 心臓の音が煩い。
 瞳が忙しなく左右に動き、焦点が定まらない。

(確かに、近江さんは恋人ができたことはないと話していたけれど、婚約者の有無については放していなかった)

 だから、決して嘘を吐かれていたわけではない。
 けれども、どうしようもなく嫌な感覚が襲ってきていて、みぞおちがずっしり重たい感じがする。

「近江、お前、かなりモテる男なんだから、千絵にフラれたのを根に持たずに、さっさと次の恋を見つけて結婚しろよ」

 そうして、なぜか牛口は紗理奈に耳打ちしてくる。

「ああ、今日はミントグリーンのドレスじゃないんだね」

 ゾクリ。
 嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
 そうして、牛口が駿河の名を呼ぶ。

「千絵、じゃあ、行くぞ」

 牛口の明るい声音が、なんとなく不協和音のように耳障りに感じてしまった。
 紗理奈はぼんやりとしたまま、膝の上に置いていたナプキンの端を両手でぎゅっと掴んだ。

「さて、食事は終わった」

 近江に話し掛けられ、紗理奈はハッと正気に戻った。
 周囲に人だかりができていたが、もう散ってしまっている。

「おれ達も帰るとしよう」

「……はい、そうですね」

 なんとなく元気が出ないまま、紗理奈は近江と一緒にレストランを後にしたのだった。