クールなエリート警視正は、天涯孤独な期間限定恋人へと初恋を捧げる



 懐かしい夢を見た。
 目が覚めた時、紗理奈の眦からは勝手に涙が溢れていた。

「お兄ちゃん……」

 ふと。影が差す。

「起きたのか?」

 少しだけくぐもった声が聞こえた後、額に大きな掌がそっと添えられた。
 ひんやりとして気持ちが良い。
 声の主は兄ではない。
 ぼんやりとした視界の中で、相手の顔がくっきりと輪郭を伴ってくる。

「近江……さん」

 そばにいたのは警察の近江圭一だった。
 流麗な黒髪がさらりと揺れる。眼光の鋭さが少しだけ和らいだ気がする。
 兄が生きていたら、このぐらいの年齢だろう。
 紗理奈は漠然と思った。

(そういえば、ここはどこだろう?)

 きょろきょろと周囲を見渡す。
 見知らぬ場所だ。
 けれども、まだ完全に酔いが醒めていないし、眠いからか思考がうまくまとまらない。
 近江が紗理奈に向かって声をかけてくる。

「意外と熱いな。今から熱が上がってくるかもしれない。病院に連れて行こうか?」

 どうやら紗理奈は発熱しているようだ。
 薄ぼんやりとした室内の中、チクタクと音がする頭上へと視線を向ける。
 アナログ時計の針は四時を指している。窓の向こうの外は、まだ暗いようだし、まだ朝方の四時ということになる。

「病院に連れて行っても、すぐには何か分からないと思います。朝になっても続くようなら自分で行きますから。良かったら、このままで」

 触れる肌は少しだけ硬くて、冷たくて気持ちが良い。
 身体を起こそうとしたが、彼の掌を払いのけるのは、なんとなく嫌でそのままになった。

「大丈夫だろうか?」

「……はい」

 なんとなく熱い気もするのだが、なんとなく肌寒い。
 発熱前の前兆だろう。
 歯がカチカチと噛み合わなくなってきた。

「寒い……」

「寒いか、悪いが布団がこれ以上はないな」

 ふと、何か思いついたかのように、近江が声をかけてきた。

「すまない、失礼する」

 身体と布団の間に隙間風が入ってきて、ひんやりする。
 だが、すぐに熱源を感じた。

「あ……」

 紗理奈は動揺してしまう。
 なぜならば、近江が同じ布団の中に入ってきたからだ。
 気付いた時には、彼の腕の中に抱きしめられていた。
 抱きしめられると全身が熱くて仕方がない。

「俺で暖を取ってくれ」

 相手が薄着だからか、筋肉ががっちりしているのが分かる。細身だけれど、警察官なので鍛えているのだろう。
 恥ずかしくてドキドキして緊張して身体が強張る。
 けれども、同時に温かくて気持ちが良い。
 そのまま過ごしていたくなったが、相手は憎き警察なのだ。
 紗理奈が近江の腕から逃げ出そうとした、その時。

「すまない」

 近江から一言だけ返事があった。
 紗理奈は瞠目する。

「何が……?」

「君の兄の堂本陽太の一件だ」

「……っ」

 紗理奈は動揺した。
 これまでどの警察も謝ってくれなかった。
 なのに……

「すまなかった」

 どことなく重みのある発言。
 心の奥底から謝罪されていることが分かる。
 紗理奈の胸がきゅうっと苦しくなった。
 そもそも近江に当たるのは八つ当たりでしかない。
 おずおずと口を開いた。

「ごめんなさい、貴方が当事者なわけではないのに、子どもっぽい八つ当たりをして」

 だが、近江は何も答えなかった。
 しばらく沈黙が落ちる。

「君の自由を奪うつもりはない。ちゃんとこれまで通りの生活を送れるように保護するつもりだ」

「だったら、住んでいるマンションの前を警察が見張ったりするとか、そういうことでしょうか?」

 それぐらいなら、仕方がないようにも思う。
 これまで意固地になって警察官を拒否してきた。
 だが……

(単純すぎると思われるかもしれないけれど、この人の話なら少しは耳を傾けてみても良いかもしれない)

 警察官への不信感がそんなにすぐに払拭されるわけはない。
 そもそも近江に対しては、あまりにも不遜な態度をとられすぎて、全面信用は出来ない。
 ちょうど紗理奈の歯の根が合わずカチカチと音を立て始める。

「また明日話をしよう。今は眠れ」

 背中に回された彼の手が力強い。

「……ありがとう、ございます」

 出会ったばかりの近江に抱きしめられながら、紗理奈は夢見心地のまま眠りに就いたのだった。