プロローグのはじまり
薄暗い路地裏で、高梨美緒は息を切らして走っていた。背後から迫る不審な足音。父親の会社を狙った脅迫が現実になった瞬間だ。

「誰か……！」と叫びかけた時、影が彼女を押し倒すように庇う。男の腕が固く、傷跡だらけの手が目に飛び込む。「動くな。俺が守る」低く響く声に、美緒は反発するように睨む。

「命令しないで！」だがその男——瀬戸恭司は無表情で「絶対に生きてもらわないと困るんだよ」と返す。
その夜、父が雇ったボディーガードとして恭司が家に現れる。「どうして私のボディーガードに？」と問う美緒に、「父親に頼まれた」とだけ答える彼。

窓の外、庭の花壇にカスミソウが白く揺れている。恭司がその花を見回る背中をじっと見つめ、美緒は唐突に口を開く。
「カスミソウ好きなの？」と聞くと恭司は一瞬動きを止め、「……別に」と意味深に呟いて視線を逸らす。
その声に奇妙な響きを感じ、美緒の胸がざわつく。

部屋に戻り、机の引き出しから古い手紙を取り出す。幼い字で書かれた「美緒と僕は絶対に運命の赤い糸で結ばれている」
近所に住んでいた「きょうちゃん」からの最後の贈り物だ。

「まさか……ね。そんな訳、ないよね……」と呟きながら、花壇の記憶が脳裏を掠める。
カスミソウがたくさん咲く庭で笑い合った日々。あの少年の声が、今の恭司と重なる気がして、首を横に振る。

一方、恭司は任務前に見た美緒の写真を思い出す。あの笑顔は、昔カスミソウを摘んで渡した初恋の少女と重なる。
心の距離はまだ遠くとも、運命が二人を再び引き寄せていた。
終