「やっぱりあなた、マキアの孫だったのね。目元がそっくりだと思っていたの。」

 雪で覆われた図書館まで続く敷石の通路に足を踏みいれると、グレーの毛糸のショールを肩に掛けた人影が見えた。
 入り口の扉の前に立って待っていてくれたのはエミさんだった。

 エミさんは、ボクを見るなり「萌音でしょ?」と、人の好い笑いを浮かべた。

「先週、ここに来たわよね?
  ちゃんと覚えているわよ。
 今日は休館日で誰も居ないから、大声を出してもいいからね。」

(あの日、大声を出して退出したことをからかわれているんだ!)

 それに気づいたボクは、耳まで赤くなってフードを目深にかぶった。
 そして笑いをこらえている様子の太陽先輩とユウくんをにらんでから、エミさんの後をついていった。
 
 ※

 カウンター奥の小部屋に案内されたボクは、丸いロココ調のテーブルセットの布張りの椅子の背に太陽先輩を掛けた。
 ユウくんはフラフラと吸い込まれるように本棚の奥に行ってしまったけど、たぶん絵本を探してるんだろう。

 それからワイングラスに注がれた麦茶と一緒に出された個包装のミルクチョコをいただいた。
 口いっぱいに広がる甘さが、なんだか懐かしい。
 
「マキアもね、そのミルクチョコレートが好きだったの。」

 深いシワの入った目尻を下げて、エミさんが向かいの席に座る。
 エミさんはどことなく、おばあちゃんの面影があるような気がする。
 
「大体の話は萌絵から電話で聞いているよ。ずいぶん不思議な体験をしたそうじゃないか。
 ・・・友だちがブランケットになったんだって?」
「はい。学校の先輩が、急に黒いブランケットになったんです。」
「もしかして、そこにあるブランケットのこと?」

 エミさんが、椅子の背に行儀よく掛けられている太陽先輩を指さした。

「ですです。」

 太陽先輩が返事をしてもエミさんが無反応だったので、ボクはコクリとうなずいた。
 エミさんには魔女の力はないのかな?

 先輩の声も聴こえてないみたいだし、ユウくんの姿も見えてなさそうに見える。
 でも、あのキルトの刺繍には名前があったのに・・・。

 ボクは気になってすぐに聞いてみた。

「エミさんは、不思議な物が見えたりはしないんですか?」
「残念ながらね。
 マキアは運命の女神の末裔だとか魔法が使えるって言っていたけど、だからって特に何もなかったのよ。
 魔法が使えるなら、もっと楽に生きれば良かったのにね。」

 エミさんは少し悔しそうな色をにじませて横を向いた。
 お母さんの話だと、おばあちゃんはボクが生まれるまでは仕事ばかりしていたらしいから、訳があって苦労していたのかもしれない。

「あと、ボクが昔から使ってるブランケットが・・・。」

 ボクがユウくんのことを言いかけた時、急に黒い髪に黒いワンピースの年配の女性が柱の陰からスッと現れて、太陽先輩を素早く奪い取った。
 あまりにも突然のことでポカンとしてしまい、ボクらは反応が遅れた。

「ワッ、何だ⁉」

 女性がハッカの匂いがするスプレーを布全体にふりまくと、太陽先輩が短く呻いて身動きをしなくなった。

「なにをするんですか⁉」

 ボクは驚いてその場に立ちあがった。
 でも急に頭が重くなって、クラクラして床に座り込む。

「頭が・・・。」
「じっとしてなさい。麦茶に入れた薬が効いてきたのよ。
 10分くらいは動けなくなるわ。」

 薬?
 脂汗をかいたボクは、エミさんが支えようとした手を横に払った。

「ッ・・・騙したの⁉」
「エミの言うことを聞きなさい。」

 黒髪の女性が鋭く叫んだ。

「そうしないと、このブランケット・・・友だちを切ってしまうわよ!」

 黒い髪の女性の手にはいつの間にか、大きな裁ち切りバサミが握られている。

「・・・!」

 ボクは青ざめて口を押さえた。

(何が、何が起きてるの⁉)

「ゴメンね。少し協力してもらうよ。」

 エミさんが耳元でつぶやいてボクの後ろに回り、手首に縄をかけた。

「な、なんでこんなことを? あの人は誰ですか⁉」
「マキアの葬式で会ったけど、覚えてないみたいね。
 あの子は私の妹のメレよ。」

 ボクはエミさんとメレさんを交互に見比べて妙に納得した。
 おばあちゃんにも、運命の三姉妹の絵にもソックリだったから。

「魔女の力が萌絵と萌音にも遺伝していたなんてね。
 唯には受け継がれなかったから、すっかり油断していたわ。」

 エミさんの表情が曇り、声のトーンも低くなった。

(怖い。)

 ボクは無意識に後ずさりした。
 メレさんは太陽先輩をクルクルと丸めて紐を巻き付けると、ジッパーのついた袋に入れた。

「私たち三姉妹は、ずっと木のボビン糸と魔女の秘密を守っていたわ。
 この木のボビンの糸は運命の女神の糸。
 このことだけは、絶対に外部に漏らしてはいけない我が家の掟なの。」
「言いません! この糸のことは絶対に秘密にすると誓います!
 だから・・・太陽先輩を返してください‼」

 ボクは遠くなる意識の中、必死にお願いをした。
 それを嘲笑うかのように、エミさんとメレさんは鋏を太陽先輩に突き立てたまま扉まで後ずさりした。

「この秘密を知った以上、誰もこのまま帰すわけにはいかないの。
 このブランケットを処分する間、萌音にはしばらくここに居てもらうわね!」
「待って! 太陽先輩ーーー‼」

 ボクの絶叫とともに、エミさんとメレさんが部屋から出ていく靴音が響いた。
 シャッターが落ちるようにボクの目の前が暗くなって、外から鍵を掛ける絶望の音だけが耳に残った。


 ※

「萌音、起きて。」

 どれくらい時間が経ったんだろう。
 気がついて薄目を開けると、ユウくんがボクを包んでくれていた。

「ああ良かった。絵本のシンデレラみたいにもう起きないのかと思ったよ。」
「それを言うなら白雪姫でしょ。あ・・・。」

 ボクは髪をかきあげようとして、手首に縄をかけられたままなことに気がついた。
 エミさんに縛られたんだった。

「もう!」

 油断して無防備だったことと、何もできなかった自分が悔しくて、ボクは自分にイライラした。

「その縄、痛そうだね。すぐに外してあげるね。」
「ありがとう。ユウくんが居てくれて助かったわ!」

 少し苦労して縄を外したユウくんは、眉毛をハの字にしながらボクの様子をうかがっている。 

「太陽を人質に取られるなんて、ねぇ。
 萌音は具合、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ。」

 ぜんぜん大丈夫じゃないけど、怯えるユウくんを安心させたくてボクは平気なフリをした。

「でも、外に聞こえたら困るから小さい声で喋ろう。」

 ボクは部屋に監視カメラがないかを確認するために、部屋をぐるっと一周した。
 特に怪しいモノは何もなさそうに見える。

 ボクは長いため息を吐いた。
 
「ミエさんたち、ユウくんのことは見えなかったみたい。」

 ユウくんの存在が知られていないのが不幸中の幸いだ。
 ボクは二人に魔女の目がないことに感謝した。

 ボクはユウくんに紐を解いてもらうと、ドア以外の出口がないかを調べた。
 天井近くの小さな明かり窓が開きそうだけど、人が通れる大きさではない。

 その時ユウくんがパッと明るい顏でボクを振り向いた。

「僕が太陽みたいに動けるブランケットになれば、あの小窓を通れるかもしれないよ!」
「え、どうやって?」
「萌音、僕に触ってブランケットに戻れって言ってみて!」
「無理だよ・・・。」
「やってみなくちゃ分からないじゃない。」

 ユウくんの顏は真剣そのものだった。

「じゃ、やってみるね。」

 覚悟を決めたボクは、目を閉じて思い切り念じてみた。

(ユウくん、動けるブランケットになれ!
 できれば小窓を通れるくらいに、小さく‼)

 一瞬、体が大きくビクッと震えて、ユウくんはみるみるうちに小さくなった。
 スモーキーピンクのブランケットが、真ん中からピョコンと飛びあがった。 

「萌音、やったね!」 
 
 ユウくんはその場で一周したあとにスルスルッと壁を伝い登って、明かり窓まで到着するとロックを外して窓を押し開けた。
「外から鍵を開けるから、待っててね。」

 少し開いた窓から冷たい外の風が狭い室内に流れ込む。
 薬でクラクラしていた頭の中が、少しマシに感じる。

(うまくいきますように!)

 両手を組んで祈っていると、部屋の鍵の開く音がしてボクは緊張に身を固くした。
 もしエミさんかメレさんなら部屋が開いた途端、窓が開いていることを怪しむかもしれない。

(どっち⁉)

 ボクは部屋のドアを少しだけ開いて外の様子をうかがった。

「誰?」
「僕でーす!」

 ブランケットのユウくんがちょこんと立っていて、ボクはホッと胸をなでおろした。

「うまくいったね。さぁ、太陽を取り戻しに行こう!」