朝起きてすぐに玄関に積もった雪かきのお手伝いをしたボクは、朝ごはんを簡単に済ませて荷物を抱えた。

「唯ちゃん、お世話になりました。」

 ペコリとおじぎをすると、唯ちゃんはクシャクシャの顔で笑った、

「またいつでも遊びにおいで。姉さんにもよろしくね。」

 仕事に行く唯ちゃんと玄関でバイバイすると、ボクは空を見上げた。
 昨日の吹雪がウソみたいにスッキリとした青い空に、まっすぐ残るひこうき雲。

(天体観測の時も思ったけど、空ってこんなに高かったんだ。)
 ボクは急に部屋の低い天井ばかり眺めていた自分が、もったいないことをしていたように感じた。

 外に出た途端、すぐにユウくんが雪玉を作って軒先のツララにぶつけて遊んだ。
 
「コラ、あまり時間がないんだぞ。」

 ボクの肩の上の太陽先輩がユウくんをたしなめると、ユウくんがボクの肩めがけて雪玉を投げてきた。

「ゲッ!」

 雪玉が黒いブランケットにヒットして、雪の上に落下する。

「ってーな、コノヤロー!」
「こういうの、やってみたかったんだよね♪」
「今じゃないだろ!」

 雪の上でわめく黒いブランケットとユウくんに、散歩中の犬がギャンギャンと吠えた。

 ※

 昨日、三人でもう少し神話について調べようという話をした結果、ボクらは図書館に行くことにしていた。
 ボクが魔女かどうかはともかく、魔法の糸を知るヒントになるかもと思ったんだ。

 おばあちゃんの家から20分くらい歩くと、木に囲まれたレンガ造りの家が現れる。
 これが地元のみんなに愛される『煉瓦の図書館』だ。

 本好きなお金もちの奥さんが趣味で始めた個人経営の図書館だけど、善意の寄付や治安の良いコミュニティのおかげで、長年この場所に鎮座している。

「けっこう大きな図書館だな。」
 肩に乗った太陽先輩が、ボクの耳元で感想をつぶやいた。

 ボクは唇に人差し指を当てて太陽先輩を見た。

「もしかしたら子どもに先輩の声が聴こえるかもしれないから、音量ミュートでお願いします。」
「オケ。」

 雪の積もる藤棚をくぐり抜けて玄関フードを開けると、上に設置されていた鈴が澄んだ音を鳴らした。

「こんにちは。」

 受付兼図書貸出カウンターの中で上品なシルバーグレイの髪の小柄な婦人が、目を合わせて会釈をする。
 小さい頃からなんとなく見覚えのある人で、安心する。

 太陽先輩を肩にかけユウくんと手を繋いで新着図書の横を通りすぎたボクは、外国書物のコーナーを目指して歩き出した。 

 図書館は好き。
 インクの匂い、本棚に詰め込まれた紙の書物、静かに自分の好きな世界を探す作業をする人たちの空間。
 昔、おばあちゃんが忙しいときは、朝から晩まで図書館で過ごしていたっけ。
 
「神話の本は・・・確かココ。」

 ボクはまっすぐに窓側の一角の洋書がまとめて置いてある棚に向かった。
 ひなびた匂いのする布張りの表紙の本や美しい装飾が施されているのに日焼けした本を何冊か手に取ると、ボクは閲覧用のテーブルに腰かけた。

 パラパラと本をめくってから、目次を見直してもう一度ページを開く。
 ペルセウスの神話を調べていると、『運命の女神』の字を見つけてボクは手を止めた。

「運命の女神は3人居て、それぞれが役割分担して人間の運命を司る。運命の糸を紡ぎ、糸の長さをはかり、糸を断ち切る・・・。」

 2人に聞こえるくらいの小声で本の内容をつぶやくと、肩の上の太陽先輩が「もう一度、キルトを見せて」と言った。

 ボクがキルトを広げると、太陽先輩はブランケットの角で本の挿絵とキルトの刺繍を照らし合わせた。
「これがクロートーかな。」
「じゃあ、こっちがラケシスですね。で、これがアトロポス。」

 刺繍は挿絵とそっくりだった。
 でもキルトの方はよく見たら、人物の上に筆記体で刺繍されている名前が違うようだ。

「変だな。クロートーがマキア、ラケシスがメレ、アトロポスがエミになってる。」
「マキアって、どこかで聞いたことがあるような・・・。」
「マキアなら僕、知ってるよ。」

 ボクの横で口に両手を当てて大人しくしていたユウくんが、突然口を開いた。

「ホントに?」
 ボクは驚いてユウくんを見た。
 
「萌音もよく知ってる人なのに。」
 ユウくんは寂しそうに笑った。

 ボクとユウくんが知ってる『マキア』って?
 女の人だと思うけど、ぜんぜん思いつかない。

「誰?」
「思い出してみて。」

 思い悩むボクを見ても、ユウくんはなかなか答えを教えてくれなかった。

「ユウくん、今日はいじわるだね。」
「萌音だって、最近いじわるじゃない。」
「なんのこと?」
「太陽が来てから、ぜんぜんユウくんにくるまってくれないんだもん。」
「そ、それは!」

 どストレートにヤキモチを妬くユウくんに、ボクは思わず大きな声をあげてパイプ椅子から立ちあがった。
 閲覧用テーブルの端にいた白髪の紳士がチラリとこちらを見たので、ボクは顏が火照って変な汗をかいてしまった。

「ごめんね。」

 ボクが謝ると、太陽先輩が鼻で笑った。

「なんで古明地が謝るんだよ。
 こんなクソガキの言うこと、相手にすんな。」
「マキアのことが知りたかったら、萌音をくるませてよ。
 萌音で充電しないと、僕動けない。」
「お前に電源タップはないだろう。」
「もー、太陽ウルサイ。」

 また先輩とユウくんがケンカしそうになって、ボクはため息を吐いた。

「太陽先輩、ちょっとスミマセン。」

 ボクは太陽先輩を肩から外して、机の上に置いた。

「ユウくん、くるんでいいよ。」
「萌音ー♡」

 ユウくんは両手を大きく広げて座っているボクに横から抱きついた。
 ふわりと柔かい大判のブランケットの感触といつもの懐かしい匂いに全身が包まれる。

(すっごい癒される! 幸せ!!)

 ユウくんの包容力にうっとりとしていると、ユウくんが耳元で囁いた。

「教えてあげる。
 マキアは、萌音のおばあちゃんの名前だよ。」