そのとき、背後から低く落ち着いた声が聞こえた。

「村上さん、すみません。木崎さんを少しお借りしてもいいですか? 先程の件で確認したいことが」
「……いいわよ。本当にこの子の不手際でご迷惑をおかけして申し訳ないわね」

村上さんの嫌味混じりの声を背に、藤堂さんは自然な動作で私のデスクへと近づいてきた。

「木崎さん、さっきのデータなんだけど、やっぱり元がずれてた。木崎さんの不手際にさせてしまって申し訳ない。上にはちゃんとそう報告しておいたから」

大きめの声でそう言いながら、藤堂さんの視線がふっと鋭くなる。

「……犯人探しをする趣味はないけど、このデータを整理した人は誰なんだろうな?ミスだらけで確認に酷く時間がかかったよ」

周囲の空気が一変する。村上さんはバツが悪そうに顔をそらし、席を立った。

その姿を横目に見て、書類で隠しながらイタズラが成功したような笑顔を見せる藤堂さんは意外だった。

「木崎さん、資料自体は問題ないから何も直さなくていいよ」

声のトーンを通常に戻した藤堂さんの優しい微笑みに、胸がじんと熱くなる。

業務の話をするふりをしながら、藤堂さんは手元のメモ帳にさらさらと何かを書きつけた。そしてそれを、私の手元にさりげなく滑らせる。

ーー駅で待ってる。

短い言葉に驚きつつ顔を上げると、一瞬だけ藤堂さんの視線が私と交差した。何事もなかったかのように会話を終え、彼は立ち去る。

胸が小さく高鳴るのを感じながら、そのメモを見つめた。嫌味に押しつぶされそうだった気持ちが、彼のわずかな行動でふっと軽くなっていた。