家が近づくにつれ、朝に感じた温もりが、指の隙間からこぼれ落ちていくのを感じた。

名前も知らないあの男性が確かにくれた優しさは冷え切った現実に触れるたびに、消えていってしまう儚いものだった。

玄関の前で、一度だけ深呼吸をする。そして、できるだけ普段通りを装って「ただいま」とつぶやいた。でも、その声は思った以上に頼りなく、静まり返った家の中に吸い込まれていった。

リビングでは、京介がシャツの袖を整えながら冷蔵庫を開けていた。その背中を見た瞬間、胸の奥が鋭く痛む。

――かつては、この背中が私を支えてくれていたのに。

昨日の記憶がよみがえる。浮気現場を目の当たりにした、あの光景。私の存在なんて最初からなかったかのように、京介は平然と他の誰かに微笑んでいた。

開き直ったような彼の態度に失望したはずだった。

なのに、私はまだ、京介の「昔の顔」を思い出してしまう。あんなにズタズタに傷つけられたのに、捨てられたはずなのに。こんな自分が、たまらなく情けない。

京介は振り向くこともなく、冷蔵庫からペットボトルを取り出して無造作に一口飲んだ。そして、それをテーブルの上に雑に置く。

「何だ、帰ってきたのかよ」

その一言で、私の中の小さな灯がまた一つ消えていく。

――どれだけ求めても、もうあの笑顔は向けられない。

「帰ってきてんなら、飯くらい作れよな。俺、もうすぐ出るんだからさ」

無造作に投げつけられた言葉に、私は「……ごめん」と反射的に口にした。

何度繰り返してきただろう、この「ごめん」を。

謝るたびに、いつか彼が変わってくれると信じていた。でも、それが間違いだったことは、もう痛いほどわかっている。

――私が何をしても、京介は変わらない。