隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

 私、能登原こずえ――もとい、藤井こずえは、スバルさんとともに有給休暇を取り、藤井家にご挨拶に伺うことになった。
 正直めちゃくちゃ緊張する。胃が痛い気がしてきた。もしかしたらただの空腹かもしれないし、錯覚かもしれないけど。
 車で連れてこられた藤井家の邸宅は、スバルさんの大きな家よりさらに大きい。というか、家に辿り着くまでの敷地が広すぎる。こんな面積を、都内に? 一坪いくらなんだろう……。
 私の緊張はいよいよ限界だった。スバルさんが隣で「大丈夫ですか?」と心配している――言い忘れていたが、スバルさんと私は後部座席に乗っている。運転しているのは、花火大会に行くときに運転手をしてくれた影山さんだ。
「坊ちゃまが入籍とは、めでたいですな」影山さんは愛想良く笑っている。
「影山、『坊ちゃま』はやめてください。わたくしはもう子供ではないのですから」スバルさんは苦笑していた。
「ああ、申し訳ございません。私の記憶の中のスバル様は、まだ学生で止まっておりましたから」
 スバルさんは大学進学のときに家を出て、一人暮らしを始めていたそうだ。実家は学費以外は一切援助せず、生活費はすべてスバルさんが一人でまかなっていたという。実家がお金持ちなのに、そういう教育方針のおうちなんだなあ。私は妙に感心してしまった。
 家の門をくぐってしばらく車で走って、ようやく邸宅に着いた。これ、家なのか? 美術館とか博物館の間違いじゃないのか。よくわからないオブジェが並んでるし。
「こずえさん、こちらです。迷子になるといけないので、わたくしから離れないでください」
 そう言って、スバルさんは私の手を握る。わあ……この家、迷子になる可能性があるんだ……。
 絶対手を離さないぞ、という強い意志で、私はスバルさんの手を握り返す。
 毛の長い絨毯の敷かれた、長い廊下を渡って、私たちはとある部屋の前に立った。
「失礼いたします」
 スバルさんがドアを開けると、応接室っぽい部屋に入った。
 藤井コーポレーションの社長室と同じ、黒い革張りのソファに、ひとりの男性が座っていた。この人が――。
「おお、スバル。その娘がこずえちゃんかい?」
「お久しぶりです、父さん」
 やはり、スバルさんのお父様らしい。見た目では年齢がわからない。スバルさんの歳を考えると五十から六十代くらいのはずだが、まだ四十代くらいにも見える。
「は、はじめまして、能登原こずえと言います」
「こずえさんはもう藤井こずえでしょう」
「あっ」
 スバルさんにツッコまれて、私は緊張がピークに達し、しどろもどろになる。
「はっはっは、そんなに緊張しなくていいよ。こんなバカでかい家に住んでるが、もともと私も無一文みたいなもんでね。一から会社を立ち上げて今この状態になってるだけなんだ。要は成金さ」
 お父様は豪快に笑う。
「今の時代、会社なんて大企業でもいつ倒産するかわからないしね」
「父さん」
 スバルさんは苦笑いをする。一企業の社長として耳が痛いのだろう。
「ああ、すまんすまん。まあとりあえずふたりとも座ったら? いまお茶を用意させてるから」
 お父様の言葉に従い、私たちはお父様の向かいのソファに並んで座る。
「お茶が入りましたよ~」
 部屋の奥にあったドアが開いて、女性が入ってきた。
「あら~、あなたがこずえさん? はじめまして~、スバルの母です」
「は、はじめまして……」
 美人なお母様だった。多分スバルさんは顔はお母様に似たのだろう。とてものんびりした口調の、穏やかで優しそうな女性だった。
 お母様はお茶を配ると、お父様の隣に座った。
「こずえちゃんはスバルの会社の社員だったかな」
「は、はい」
「あら~、オフィスラブってやつね? 同じ会社に好きな人がいるなんて運命的で素敵ね~。よかったじゃない、スバル」
 お父様とお母様は私に対して好意的なようだった。
 私は「うちのスバルとこんな庶民が結婚なんてとんでもない! もっと良家のお嬢様との縁談があったのに!」みたいにいびられると勝手に妄想してたので安心した。
「か、母さん、あまり……からかわないでください……」
「あらあら、いいじゃないの~。おふたりの馴れ初めとか聞かせてちょうだいな~」
「母さん……!」
 スバルさんが本気で恥ずかしそうなの初めて見た。
 私は思わずスバルさんを二度見する。
 お母様のマイペースさがすごい。
「そ、それより! 父さん、花火大会のときは船と人を貸してくださってありがとうございました」
 スバルさんは座ったまま、深々とお父様に頭を下げた。
「おう、それでデートはうまくいったのかい? まあ、うまくいかなきゃ今こずえさんはここにいないか。がっはっは」
「お、おかげさまで……」
 お父様はまた豪快に笑う。スバルさんは赤面していた。
「デート、どんな感じだったの~? 手はつなげた? ちゅーとかしたの?」
「母さん……っ、もう勘弁してください……」
 スバルさんは顔を手で覆った。
 私はスバルさんの隣で笑いをこらえるのに必死だった。
「仲のいいご家族なんですね」
 私は微笑ましい気持ちで言った。
「私は、こずえさんとも仲良くなれたら嬉しいわ~。もう家族だものね」お母様は、スバルさんによく似た顔で優しく微笑む。
 まあ、まだ婚約という形はとっているが、入籍は済ませているのでそういうことになるのか。
 家族かあ……。
 最初は不安に思っていたが、なんだか思っていたよりも早くスバルさんのご家族と打ち解けたと思う。
「お~、やっとるか~」
「やっほー。あ、その娘がこずえちゃん?」
 急に応接室のドアが開いて、男女がひょっこり顔を出した。
「兄さん、姉さん!? え、今日仕事があるんじゃないの?」
「スバルの嫁さんがご挨拶にいらっしゃるって言うから事務所を臨時休業して来たんだよ」
「私も。まあ自営業みたいなもんだし、自由がきくよね」
 ご兄弟もいらっしゃるのは初耳だった。なんでも、お兄様が弁護士でお姉様がお医者様とか。
 っていうか、事務所や病院を休みに出来るって、もしかして法律事務所の所長さんだったり病院の院長さんだったりする……?
 うーん、どのご家族もみんな稼いでそうだな。
「はっ、はじめましてっ、こずえと申します!」
「やーん、こずえちゃん緊張してる? かわいい~」
 お姉様が私を抱きしめて、思わず緊張で身体がこわばる。
「ほんと、スバルにはもったいないな。俺がもらっちゃいたいな~」
 お兄様がそんなジョークを飛ばすと、スバルさんがちょっと睨む。
「兄さんが言うとシャレにならないんだよ」
「冗談に決まってるだろ、怒るな怒るな」
「こずえちゃん、スバルのことよろしくね? スバルすっごい寂しがりで、小さい頃なんてね……」
「姉さん、いらないこと言わなくていいから!」
 スバルさんって、会社だと落ち着いてるけど、ご家族の前だとこんな顔もするんだなあ。
 私はスバルさんの意外な側面を見た気がして、少し嬉しかった。

***

「それにしても、大きなおうちでしたね。お掃除大変そうだなあ」
 帰り道、車に揺られながら率直な感想を口にすると、スバルさんは笑みをこぼした。
「一応、メイドというか家政婦さんも何人か雇ってはいるのですが、やはり掃除は大変ですね。しかし、父が骨董品やオブジェを集めるのが趣味でして。途中でも、なにかよくわからないものがたくさん並んでいたでしょう?」
 たしかに、庭や廊下に謎の彫刻や絵がたくさん並べられていた。
「ああいうものを集めるために、家を増築し続けて大きくしていたら、いつの間にかあんな状態になっていたそうです」
 そんな話を聞いて、私は思わず吹き出してしまった。
「ふふ、本当に好きなんですね」
「ええ、最初は本当に無一文の状態で、一から会社を立ち上げて……わたくしは、父が社長の頃から、ずっとその背中を見てきました」
 スバルさんは、後部座席に背を預けながら、まぶしそうに目を細めました。
「わたくしは父を尊敬しています。その父に、こずえさんを認めてもらって、本当に良かった……」
「……私も、優しそうなご家族で、本当に安心しました」
 私は、スバルさんに、多分にっこり笑えたと思う。スバルさんも、嬉しそうな笑顔を返してくれたから。
「次は、こずえさんのご実家にご挨拶に行かなければいけませんね」
「父がスバルさんを認めてくれるといいんですけど……」
「おや、娘さん思いのお義父様なんですね。わたくしも気を引き締めてかからねば」
 そんな会話をしながら、車は東京の道を走るのだった。

〈おわり〉