隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

 翌日、社長室にいたわたくしに喫煙室がたいへんなことになった、と男性社員から電話がかかってきました。
「なんでかわからないんすけど、女子社員が詰めかけてて! しかも『くさいからタバコやめて』って言ってくるんすよ! ここ喫煙室だっての!」
 こずえさんが教えたカードゲームが、どんどん輪をかけて広まり、ファンクラブや秘書以外の躾――おっと失礼、マナーがなってない女子社員も押しかけているようでした。
「とにかく、社長は今日は喫煙室来ないほうがいいっす! 俺らがなんとかしとくんで!」
 女子社員に隠れて電話で警告をしてくださった男性社員に感謝して、わたくしは電話を切りました。
 とにかく、こずえさんを連れてどこかに避難しなければ。
 わたくしは急いで総務部に向かいました。
 総務部に着くと、こちらはこちらで非常事態でした。
 総務部の部長がこずえさんの肩に手をかけて、ニヤついた顔でこずえさんを誘っているのを見たときの嫉妬と怒りは忘れられません。
「――残念ながら、彼女はわたくしと先約がありまして」
「しゃ、社長!?」
 突然のわたくしの登場に、部長は泡でも吹きそうな顔をしておりました。
 こずえさんも同様に驚いていたようでした。
「そろそろお昼休みですね。行きましょうか、能登原さん」
 指の一本でも折ってやろうか、と思いながら部長の手を引き剥がし、こずえさんの手をとって、わたくしは足早に歩き出しました。
 あとで人事部に報告して、あの部長を異動か左遷でもしてもらおう。セクハラ・モラハラ・パワハラで有名な常習犯だったのでちょうどいい機会だ。
「あ、あの、社長――」
「今日は喫煙室ではなく、場所を変えます」
 説明は後回しにすることにしました。わたくしは社長室直通のエレベーターのボタンを押しました。
 エレベーターにさえ入ってしまえば、邪魔者は追ってこれない。
 わたくしはこずえさんを、社長室に連れ込みました。
 こずえさんは落ち着かない様子で、部屋の中をキョロキョロと見回していました。
「どうぞ、座ってください」とソファを手で指し示しても、彼女はオドオドと迷っているようでした。
「……能登原さん。座って?」
 わたくしは自分の声がいいと言われているのも存じておりました。
 こずえさんが私のささやき声を聞いてふっと身体の力を抜いたのをわたくしは見逃さず、我ながら見事な体捌きでソファに座らせることが出来ました。
 彼女は驚いて立ち上がろうとしますが、腰が抜けていたようでした。
「お隣、失礼しますね」
 緊張で固まっているらしいこずえさんの隣に座ると、彼女の身体はさらにこわばりました。
 こんなに接近したのは初めてのような気がします。二人がけのソファなのでどうしても身体が近づいてしまいます。
「あ、あああ、あの、社長」
「はい」
「き、昨日はその、すみませんでした……突然逃げてしまって……」
 こずえさんは目を泳がせながらしどろもどろに謝っていました。
「わたくしは気にしておりませんよ。それより、今日は体調は大丈夫ですか?」
「は、はい、それはもう……」
「なら良かった」
 私は怖がらせないようにニッコリと笑いかけましたが、こずえさんはまぶしそうに目を背けました。
「あの……どうして今日は喫煙室に行かず社長室に……?」
 彼女の疑問はもっともでした。
「能登原さんが、今日も体調を崩されていると、タバコの煙はあまり良くないかな、と」
 わたくしは素知らぬふりをしておりましたが、体調不良が原因ではないことは、探偵を通して存じておりました。
「それと、ですね……能登原さん、昨日いろんな女性に『マジック&サマナーズ』を教えたそうですね?」
「え、はい」
「あれで、女性たちがカードゲームをしようと喫煙室に詰めかけてしまいまして、いま喫煙室は満員なんですよ……」
「えっ」
 わたくしの言葉に、こずえさんは目を見開きました。
「喫煙室なのに男性社員に『くさいからタバコやめて』などと申しておりまして、いま大混乱です」
「Oh...」
 こずえさんは思わず英語が口から出てしまうほど、なんとも言えない顔をしておりました。
「なんか……すみません……」
 彼女はうつむいて後悔しているようでした。
 しかし、彼女の事情を知っていたわたくしは責めるつもりはございませんでした。
「まあ、わたくしも能登原さんにタバコの副流煙を吸わせるのはどうかとは思っていたので、今度からは会議室を借りて皆さんで遊べればいいかな、と思っております」
 わたくしは彼女をとりなすように微笑みかけました。どうやら効果はてきめんだったようで、彼女は頬を赤らめてわたくしを見ておりました。
「なので、今日は二人でゲームしましょうか」
 わたくしが目を細めてそう言うと、彼女が喉を鳴らすのが聞こえました。
「その前に私、言わなければならないことがあります。その……昨日逃げた理由について」
 彼女は真剣な顔でわたくしの目を見ました。だいたい何を言われるか予測はしておりましたが、わたくしは黙って聞くことにしました。
「私、怖くなったんです。社長はみんなに好かれているから、社長を好きな人たちに嫉妬されたり嫌われたり、そういった感情を向けられるのが怖かった。でも社長の手を離したとき、社長の悲しそうな顔を見て、社長に嫌われるのも怖い自分に気づいたんです。それで、どっちのほうがより怖いか考えたら……社長に嫌われることのほうが怖かった。傷つけてごめんなさい。私が臆病で、逃げてしまってごめんなさい」
 わたくしはすでに「みんな」なんてどうでもよかった。こずえさんだけがわたくしを見つめていてくださればそれで満たされておりました。
 こずえさんに嫉妬や嫌悪を向ける人間がいたら、わたくしが握りつぶしたかった。
 わたくしに嫌われるのを恐れるこずえさんが、愛おしかった。
「能登原さん」
 うつむいて、見えませんでしたがきっとつらそうな顔をしているこずえさんに、わたくしは語りかけました。
「わたくしも……反省しておりました」
「え?」
 わたくしの言葉に、こずえさんは弾かれたように顔を上げました。近距離で目が合いました。
「男だらけのタバコ臭い喫煙室に連れて行って、イヤだったかな、とか。しかも毎日わたくしが迎えに行って、半ば強制的だったので、断りきれなかったのが昨日とうとう爆発したのかな、とか。社長が迎えに来たら普通断れませんしね。でも、能登原さんとお話したり、一緒にゲームするのが楽しくて、つい……。男同士の悪ノリにも女性はついていけませんよね、すみません」
「それは違います。前も言いましたけど、私はタバコ平気だし、ゲーム友だちというか、ゲーム仲間というか……そういう人たちが増えたのも嬉しかった。しかも憧れの社長に紹介してもらえて、社長と一緒にお話したり、ゲームするのは、私も楽しかったんです」
 わたくしが申し訳無さそうに正直な気持ちを言うと、こずえさんは首を横に振って否定してくださいました。
「憧れ……」
 わたくしは、こずえさんの言葉を、反芻するようにつぶやきました。
「はい。私はずっと、社長に焦がれてきました」
 こずえさんがわたくしに好意を抱いているのはすでに存じておりましたが、彼女からこういった率直な言葉を直接いただくのは初めてのことで、じんわりと胸があたたかくなりました。
「社長。――好きです」
 わたくしは、目が見開いていた気がします。その目を細めて、彼女の肩に両手をかけました。彼女の額にゆっくりと顔を近づけ――口づけをしました。
「わたくしも……能登原さんとお話しているうちに、いつしか惹かれていました」
 わたくしが静かにそう言うと、こずえさんは呆然とした様子でした。どうやら頭が働いていないようでした。
 彼女がぼうっとしている隙をついて、わたくしは彼女を抱きしめました。
「今夜、飲みに行くと部長には嘘をついてしまいましたが……よろしければ、今夜、私の家に来ませんか?」
 そんな殺し文句をささやいて。
 やっと彼女を手に入れた。わたくしの手の中に堕ちてくれた。
 彼女に見えないように、抱きすくめながらわたくしはほくそ笑んでいたのでした。

〈続く〉