さて、お隣さんに後のことを託して私も王都を出発した。
 【アッシャーラ】は現在【トルクゥア】に管理され島全体が観光保養地になっている。保養施設は岩盤浴やサウナ的なもので、一般には開放されていないけれど普通の温泉もあるらしい。この国には公衆浴場は存在しないので、当然他人と裸で入浴するなんてことはないし、そもそも水がとても豊富というわけでもない。湯に浸かることがあるのはお貴族様か、財力のある富豪ぐらいだ。
 観光保養地になっているおかげで、島へ渡る港町まで王都からも馬車が出ていたりする。ただ最終的には船に乗らなくてはだから、できるだけ節約したいので歩きメインで目指していく予定だ。
 王都から離れるにつれ街道はがたぼこになっていくけれど、歩くのに不都合はない。一日黙々と足を動かし、暗くなったら近くの宿や旅人小屋を使い、無理に移動したりしない。旅人小屋がちょうどいい位置にあるのはこれも保養地に向けて移動をしやすくするためだ。……というのは建前で、王妃様のために故郷への道を整えさせたというのが専らの話だ。あの俺様王子様は、心が通じ合ったあとはフィルーゼにでろ甘だったからな。うん。
 旅人小屋は眠るためのロッジが男女と家族用と別れてはいるけれど、基本は雑魚寝だ。屋根があり壁に囲まれているだけで大変に有り難いし、中には暖炉まであるからもしかすると冬の旅は宿屋より暖かいまである。外には共同の炊事場所があり、周辺で野営する人たちもいるので簡易なキャンプ場みたいになっている。
 道中行きあう人にデーツを売りつつ、時には食料と物々交換をしたりして順調に進んでいくこと二週間弱。まもなく着くだろう旅人小屋に泊まれば、次の日には港町に到着できる見込みだ。今夜のために薪になる枝を拾って行くかと考えていたところで、ふと森側の方から小さな声が聞こえたような気がした。……子供の悲鳴、みたいではなかったか。
 前世の物語ファンタジーに合ったようなモンスターの類いはこの世界にはいないけれど、野生動物で甲高い鳴き声のものがいるのは確かだ。だけどここは街道沿い。その線は薄いのでは。一瞬の逡巡のち、森側へ足を踏み入れる。

「誰かいますか! 大丈夫ですか!」
「……いるわ! 申し訳ないけれど、手を借りてもいいかしら!」

 思ったよりもすぐに返事がきてホッとする。良かった、聞き間違いでは無かったようだ。声を頼りにガサガサと落ち葉を踏んで進んでいくと、大きな木の前で止まるよう静止の声がかかる。

「ここよ、落ちないように気をつけて」

 どこからと思ったら、木の根元に穴がありそこから小さな手が出ていた。便宜的に根元と言っているけれど、この辺りは木の大半が地面に埋まっている森で、太い木の洞にひょんなことで穴ができ地面ごと滑り落ちることがあると聞いたことがあった。場合によっては埋まった木の奥深くまで落ち込むこともあるらしい。クレバスにハマってしまうようなものだろうか。想像するだけでもゾッとする。

「動けますか? 手を持って引っぱり上げても大丈夫?」
「問題ないわ。お願いします」

 私は荷物からロープを出して問題なさそうな隣の木の幹に結ぶと、体にもくくりつける。自分までいきなり落下しないよう慎重に穴の中に手を伸ばすと、手をしっかり掴んで少しずつ声の主を引き上げていく。穴から十分に距離をとると、全身にどっと疲れが出たように重く感じた。
 引っ張り上げたのは、黒髪の女の子だった。私より歳下、というよりやっと十歳になるかどうかの子供と言って差し支えない歳頃だ。どうしてこんなところで一人で……いやそれよりも、なんというか……にじみ出るオーラが、すごい。ぱっと見ただけでもなんとなくあふれてくる高貴な空気というか。……もしかして、お貴族様のお忍びというやつ、なのかも?!

「私はルル。改めて、助けてくれてありがとう」
「私はアイリーンです。
 えっと、下まで落ちなくて良かった!」

 とりあえずいつまでもこの場所に座っているわけには行かない。陽が落ちれば一気に気温が低くなってしまうし、ひとまず安全なところに移動しなくては。
 ルル……ちゃんに手を貸して立ち上がった時、微かに顔を歪めたのが見えた。

「もしかして足を──」
「……大丈夫よ!」

 歩くのに支障はないと大変にこやかな顔で主張するので、気持ちゆっくりめを意識しながら最寄りの旅人小屋を目指した。

「アイリーン……さんは旅人なの?」
「はい、【アッシャーラ】に向かう途中でして」
「あら、じゃあ私達と同じだわ!」

 ルルちゃんは、家の用事のために【アッシャーラ】を目指していたらしい。一緒にいた兄姉とはぐれて──それ自体は旅人小屋が合流先になっているので問題ないらしいけれど、話に聞く地面に埋まった木立を直に見てみたくてうろうろしていたら、あそこに落ちてしまったと。なんというか、チャレンジャーだな。
 隣を歩くルルちゃんを不自然にならない程度にチラチラと見てしまう。全身土で汚れて葉っぱもたくさんついているけれども、ちょっとした立ち居振る舞いや声の調子、それにかなり整った顔立ちと、少なくとも庶民階級ではなさそう。(推定)貴族に出会うのは初めてだ。彼女は普通ににこにこ私と喋っているけれど、もし本当に貴族なら何か失礼はしてないだろうか無駄にどきどきする。

 無事旅人小屋にたどり着けたので、まずはルルちゃんの足を見せてもらう。痛みを感じたのは足首らしい。見た目に腫れている感じはしないけれど、違和感があるなら無理しないのが一番だ。応急処置にテーピングの要領で足首の固定だけしておいた。

「ありがとう。
 なんだか手際がいいのね」
「兄が結構やんちゃな人だったので、色々な手当てができるようになりました」
「あら、お兄様がいるの?」

 同じね、と言ってクスリと笑うのが上品だ。
 そこにくぅ〜〜という可愛い音が響いた。ルルちゃんはそっと頬を赤らめながら目を逸らす。もしかして、お腹の音、かな。お腹のすいてる小さい子をそのままになんてしておけない。

「えっと、私の作るものでよければ食べますか?」
「いいの……?」
「もちろん!」

 そうと決まれば早速準備しなければ。とりあえずルルちゃんには我が家のデーツをあげて食べていてもらう。旅人小屋は今の所貸し切り状態だ。他の人達がいれば火種をおすそわけしてもらったりもできるけれど、今日は一からやらなきゃいけない。途中で拾ってきた枝やその辺りの乾燥した落ち葉類をかまどに入れて火をおこす。町のひとつ手前だからか、有り難いことにこの小屋には井戸がある。そこから水をくんで、まずはお湯を沸かす準備をした。

「アイリーンさん!!」
「どうしたの?!」
「これ! デーツ! とても美味しいわ!」

 急にすごい勢いで呼ばれたので何かと思った。疲れたときには甘い物、と思って渡したけれど大分気に入ってもらえたみたいで嬉しい。

「ありがとうございます!
 それ家の農場のデーツなんです」
「そうなのね。こんなに甘いデーツは初めて!」

 家のデーツが褒められるのはやっぱり誇らしい。噛みしめるように残りをかじっている様が小動物みたいに可愛らしくてほっこりとした。
 鍋に乾燥させたキノコとひよこ豆、挽き割り麦をいつもより少し多めに入れてしばらく煮る。とろみが出てきたら、塩少々ともらったお店の秘蔵スパイスをパラリと入れて、キノコの麦粥完成!
 一つしかないお椀はルルちゃんに譲って、私はマグカップに麦粥をよそう。いただきます!
 味はちょっと薄いけれど、スパイスのおかげで深みが出ていていい感じだ。麦がプチプチとした食感で楽しい。
 それにしてもルルちゃん、食べ方の所作が優雅だ。手とかもそこまで荒れて見えないし、やはり……だとしたら、こんな簡素な麦粥食べさせちゃったけど大丈夫かな。美味しいと言って食べてくれているけれども。

「ルルー!」

 二人で麦粥を食べていると、遠くからルルちゃんを呼ぶ声が聞こえた。どうやらお連れさんたちが到着したみたいだ。辺りは少し薄暗くなってきたし、夜になる前に合流できたようで良かった。

「遅かったわね、二人とも」
「……ルル! 聞こえてるなら返事くらい……しろよ……」
「心配しましたよ!! め……ルル!」

 街道の向こうから走ってきた男の子と、その後ろに着いてくる女性。同じ黒髪と緑の瞳、ルルちゃんのお兄さんとお姉さん……かな? 息を整えながらも文句をつけているところに口うるさい兄を思い出してなんだか懐かしい。勝手に居なくなるな、などと説教を受けている側のルルちゃんは素知らぬ顔で麦粥のおかわりを食べている。

「お前なぁ……俺たちがどれだけ心配したと……」

 と、今度はぐぅ〜〜っと大きな音が響いた。えーと、これはお兄さんの方のお腹の音。だろうな。

「アイリーンさんの作った麦粥、美味しいよ。
 あとほら、デーツも!!」

 ルルちゃんは、そう言ってさっきあげたデーツを取り出した。どうやら二人のために残していたようだ。お腹が空いてたはずなのに、なんていい子なんだ。

「貴女は……」

 そこでお兄さんは初めて私の存在を認識したようで戸惑った顔をした。お兄さんは顔立ちがルルちゃんと似ている。私と同じくらいの歳頃だろうか。お姉さんの方は中性的な雰囲気でシュッとしていて、護身用か腰に剣をさしている。なんとなく見定めるように見られている気がして居心地が悪い。
 ……というか、真正面から対峙した二人のオーラがルルちゃんと同じくすごい。なんだか気圧されて言葉が上手く出てこない。なんなんだ、やはりこの人たちお貴族様なのでは!? ええと、お二人にどこから説明したらいいだろうか。

「通りすがりに助けてくれたアイリーンさん。
 木の洞に落ちて動けなかったところ引っ張り上げてくれたの」

 私がドギマギしているうちに、先程手当てをした足を示してルルちゃんが説明してくれた。

「木の洞ってまさか……」
「この辺りの大木は危ないから近づかないようにと昨日も伝えたでしょう?!」
「ええ、身を持って知ることができたわ!」

 アイリーンさんが通りかかってくれて本当に良かった、とルルちゃんは楽しそうに笑っている。お兄さんとお姉さんの反応を見るに、この子は普段からお転婆さんなんだろうな。

「すみません、妹がご迷惑をおかけしたようで……」
「いえ、とんでもない!」

 お兄さんはジャンくんで、お姉さんはベステさん。私も改めて名前と、王都から【アッシャーラ】に向かって旅をしているところだと説明しておく。一応怪しいものではないですよ〜というアピールのつもりだ。よければ麦粥もどうぞと勧めてみたけれど、貴重な食料をこれ以上分けてもらうわけにはとやんわり断られて逆にホッとした。いやこれは本当に、味はそれなりでも(推定)お貴族様に献上できるものではない。
 三人からは、お礼にととても美味しそうな干し肉をいただいた。今までお目にかかったことがなさそうなとんでもなく良さげな肉で、興奮して思わず「すごい」と呟いてしまった。人助けはするものだなぁ。