少し日も暮れてきた放課後の体育館裏。
いかにも告白って雰囲気の中、1組の男女が気恥ずかしそうに立っている。
男子の方は私の幼馴染のうみ、女子は我らが学校のマドンナのきららちゃんだ。
先程まで下を見ていたきららちゃんが、顔を上げて口を開いた時、私の頭の中ではゴングが鳴った。
「さぁ、始まりました、告白ターイム!!実況は私、ほのかが務めさせていただきたいと思います!」
教室のバルコニーから、双眼鏡を構えて叫ぶ。
どう考えても変人にしか見えない私にかけられた声は、ひどく優しかった。
「ほのちゃん」
隣に座る彼もまた、私の幼馴染のせつくんだ。
彼とは小学校で出会ったため、厳密には幼馴染じゃないらしいが、細かいことはこの際どうでもいい。
親友ともちょっと違うこの関係性を、他に表すいい言葉がなかったんだから仕方ない。
「どうしたの、せつくん?」
「応援してるよ」
事前の打ち合わせにはなかったせつくんからの応援の言葉に、どう対応すればいいか分からず、そのまま次のセリフを続ける。
私が無視した…って思われないといいけど。
「本日は、解説役にスペシャルゲストをお呼びしています。せつさん、お願いします!!」
「はーい、ほのちゃんの足を引っ張らないように頑張るね」
「ではまず、ここまでの経緯を振り返っていきたいと思います」
◇◇◇
事の発端は、今朝、うみの下駄箱にメモが入ってたことだ。
「伝えたいことがあります。今日の放課後、体育館裏に来てください…だってよ」
うみはメモを乱暴に、私に投げて寄こす。人の書いてくれたものへの扱いとして、ちょっとどうかと思う。
解釈によっては、この紙自体がラブレターなのだ。もっと大切にしろ。
「うみくん、これ告白だよ。ね、ほのちゃん?」
「もう間違いないね」
せつくんに全面同意してから、大きく息を吸う。
そして、そのまま──心の声をうみにぶつけた。
「他人の、しかも他の女子に投げていい代物じゃないでしょうが!」
「えー、ほのかに説教されたー」
「一旦黙れ」
うみは不満そうに口を尖らせる。私の怒りオーラに気圧されたのか大人しく黙っているものの、表情が既にうるさい。
「それで、送り主は誰だったの?」
「お、いい質問だな、せつ」
普段、相手のことをあんまり気遣ったりしないうみだけど、せつくんには優しい。多少からかったりはするものの、それでも私に対する態度の1億倍は優しい。
たぶん、体の弱いせつくんのことを、同じく病弱な妹に重ねてるんだろう。うみってばシスコンだからな…。
うみに優しくされない私は(紳士っぽい態度取られる方が嫌だけど)、普段はあいつのことを荷物持ちとしてパシっている。
パワーだけはあるから、なかなか使い勝手はいい。
「お前もそういうの気にするお年頃か」
「僕は………別に」
「そうか、気になるんだな」
せつくん。なんだ今の間は。
眉間にしわが寄っているし、悩み事?
「えー、下の方にきららって書いてあるぞ」
「うっそでしょ! え、きららちゃん!??」
きららちゃんは、私やせつくんに比べれば記憶力の乏しいうみですら、覚えているに違いない有名人だ。
とある男子生徒は、こう言った。彼女は星より舞い降りし俺らの女神だ、と。
とある女子生徒は、こう言った。彼女と同じ学年に生まれた事に感謝したい、と。
そんなとてつもない、絶世の美少女のことをうみは……。
「誰だそれ」
覚えていなかった。
「学年1の美少女!!! この学校に差し込む一筋の光!!!!」
「へー、初めて知ったわ」
「はぁ…。ったく、残念な奴だな……」
校内の情報に疎すぎるうみを前に、私は大きなため息をついた。
◇◇◇
「──という訳で、せつくん。うみの奴、まさかのきららちゃんに呼び出されましたよ」
「びっくりだったね…。さすがうみくんって感じ」
「あいつ、女子ウケは良いからな………」
そうなのだ。悔しい事に、うみは非常にモテる。その人気はまさかの、学年トップらしい。
…訂正。なんかムカつくから、そこそこモテることにしとく!
あと、せめて学年2番!!
私としては、こんな奴のどこがいいのか全く分からないが、恋する乙女たち曰く、奴はものすごく顔が良いらしい。
そんで、なんだかんだ面倒見は良く、嫌そうにしながらも根は優しく、一応頼りになるうみのことを、好きになってしまうそうな。
頬をほんのりと染める彼女たちには申し訳なかったが、私には1ミリも共感できなかった。
たぶん、好きな人の何もかもが輝いて見える幻術にかかっているのだと思う。可哀想に。
うみは、顔は割と整ってる方だけど、別にかっこいいとは思わないし。
確かに面倒見は良い。それだけは否定しないけど!
ただ、奴の性根はねじ曲がってると、幼馴染の私的には確信している。
だって、あいつ、過去何百という女子たちに告白されたが、全員泣かせたし。
それに──、
「この前、私が元彼と別れた時、めっちゃ嫌味ばっか言ってきたし!!」
私が元彼のことを好きだった前提で話されたのが、本当に本当に嫌だった。
ちなみに、お前は可愛くないだとか、色々と悪口を言われたことは少ししか気にしてない。
「…は、」
ふいに聞こえた吐息に、思わず隣を見遣る。
今度はこちらが驚かされた。
私の隣にいるのは、せつくんだ。それは間違いない。
なのに、何かがおかしい。
いつもの柔らかい、今にも溶けてしまいそうな儚い笑顔は完全に消えている。
こんなにも険しい表情をした彼を、私は見たことがない。
とくん、と心臓が大きく音を立てる。
その真剣な横顔から、目が離せない。
でも、私はそれらを飲み込んで、何もなかったかのように問いかけた。
「せつくん?どうしたの?」
「ねぇ、ほのちゃん。元彼とやらの話、初耳なんだけど」
「あ、あの」
「他に好きな人、いたんだね」
せつくんの口調は、すごく冷たくて寂しい。
突き刺すような雰囲気に負けそうになりながらも、私は、それでも彼に言わなければいけないことがあった。
「…違う。違うよ」
「何」
せつくんは、ちょうど留学の準備やらで忙しかった頃の話だ。
知らないのも無理はない。
「毎日、私の後を付けてきて、自分と付き合うまでやめないって……。本当にしつこかったんだ」
「じゃあ、ほのちゃんは、そいつと無理矢理付き合わされてたの?」
「そうだね。まぁ、ね。私、こんな性格だからさ、相手もすぐに別れてくれたよ」
負けず嫌いで、勝ち気な性格。
清楚系と言われた見た目(自分でもそこそこ可愛いとは思ってる)とは正反対で、ぜんっぜん可愛くない。
性格なんて、変えようと思っても変えきれないもので。
どれだけ嫌いでも、それすら受け入れて、愛さなければいけなくて。
何の策もなしに、逃げるために元彼と付き合った訳じゃない。
付きまとってくる人には、あちらから冷めてもらった方が早い。
つまり私は、自分のコンプレックスに賭けたのだ。
見た目だけで告白してきた元彼は、私の性格を知るとやっぱり、今までの執着っぷりが嘘かのように、すんなりと冷めてくれた。
私は、自分の顔と性格が全く一致していないことを、この時、生まれて初めて感謝した。
「その人、全然分かってないよ……げほっ、げほっ!」
「せつくん!大丈夫!?」
私が叫ぶと同時に、体育館裏のうみと目が合った。
「……っ、せつ!!」
せつくんに関する事だけは頼りになるうみは、大きい瞳をさらに見開いて。
一瞬焦ったように見えたが、すぐに冷静さを取り戻して、私に向かって、こう叫んだ。
「ほのか、ちょっと待ってろ、すぐ行くから!!!」
「分かった!」
前にも言ったが、せつくんは体が弱い。
1か月間留学する予定だったのに、体調を崩して3日で戻ってきたくらいには。
そんな彼は本気で怒った時に、つい体に負担がかかり、発作のようなものを起こしてしまう。発作とは言っても、基本的には少しむせる程度で済む。
つまり、せつくんはさっき、私のために怒ってくれたのだ。
私の性格を知ってから捨てた、元彼に対して。
その事実が嬉しくて、なんだかこそばゆい気持ちになってしまう。
隣で激しく咳き込んでいるせつくんが、私の袖を強く握る。
今は辛いはずなのに、苦しいはずなのに、せつくんは、話してくれた。
「僕と…ごほっ…、付き合ってる…って言えば良かったじゃん」
その表情が、その言葉が、私の奥底に埋めていた記憶を掘り起こす。
ちょうど3年前、中学2年生の夏。
せつくんは同じことを言った。
◇◇◇
忘れもしない、クラスの男子に、夏祭りに誘われた時。
なんとか断った私に、せつくんは今日の天気くらい何でもないことのようにさらりと言った。
「僕と付き合ってるって言えば良かったじゃん」
「え、でも…」
冗談でも、そう言ってしまいたかった。
学年内でちょっと噂になるくらいなら、私は別に良い。寧ろ願ったり叶ったりだ。
ただ、せつくんは嫌だろうし、迷惑はかけたくない。
「ほのちゃんは、僕をもっと頼ってくれていいんだよ。僕は頼りないかもしれないけど、それくらいなら力になれるから」
頼りないなんて思ってない。多少体が弱くても、せつくんは頭もいいし、機転も効く。
私の手を握ってくれた手は、華奢で、でも温かい。側にいるだけで安心するし、落ち着く。
いつでも私を気遣ってくれる、一番心強い味方だ。
物思いに耽る私を見て何を思ったか、せつくんは唐突にこんなことを言い出した。
「僕は、ほのちゃんになら、何されても許しちゃうよ」
ふわりとした、爽やかな笑顔にどうしようもなく胸が高鳴る。
その言葉も、表情も本当にずるい。
せつくんは嘘をつくような人じゃないから、私に何をされてもいい…というのは、本気で言っているのだと思う。
私は、期待してもいいのだろうか。
さっきの言葉が、信頼する友達に向けられたものじゃないと思っていいの?
せつくんは、私のこと、恋愛的な意味で好きなんじゃないかと思ってしまうのは、自惚れですか…?
それとも、全部単なる私の願望?
「私も」
私の言葉に、せつくんはぱちりと数回瞬きをしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「それ、本気で言ってるの?」
「うん…」
真っ赤になって俯いた私を、せつくんの、彼が思うよりも力強い腕がそっと包んだ。
「好きだよ、ほのちゃん…」
2人きりの教室に響いたその言葉を、私は生涯忘れない。
◇◇◇
「僕と…ごほっ…、付き合ってる…って言えば良かったじゃん」
「ううん。私、せつくんには迷惑かけたくない」
せつくんの事を好きなのは今も一緒で、寧ろ中学生の頃より、この気持ちは大きくなるばかりだ。
だからこそ、その手にもう一度縋ってしまえたのなら。
きっと私は今度こそ、後戻りできなくなる。
もしもまたやり直せても、次に別れを切り出されたら、壊れてしまう気がして怖い。
せつくんに限って、そんなことはないはずって?
だよね、私もそう思う。
ただ、私たちを隔てるものなんて星の数ほどあるから、相手のことを想えば想うほどに別々の道を選んでしまう。
それは、好きな人を辛い気持ちにはさせたくないから、幸せになって欲しいからだ。
自分が何か事件に巻き込まれそうな時には相手に逃げて欲しいけど、逆の立場だったら助けにいきたい。本当に複雑な気持ち。
「…もっと僕のこと、頼るって約束したのに」
“困った時には、遠慮せずに相手を頼る”。
かつて私たちが付き合っていた頃、最初に決めたことだ。
「あの約束、まだ有効だったの?」
「ほのちゃんには期限なしだよ」
私はてっきり付き合っている間限定のものだと思っていたが、せつくん的には違ったらしい。
…あれが未だに適用されてるとか、最早ほぼ恋人じゃんね。
せつくんが口を開いて、また何か言いかけた時、教室の扉が大きく開かれた。
どうやらうみが到着したらしい。
体育館からここまで、かなり距離はあったはずなのに。異常なまでの速さだ。
「せつ!! 大丈夫か!??」
「うみくん…だいぶ落ち着いたよ」
「はー、よかった……」
せつくんの無事を確認するや否や、うみは安心したように大きく息を吐いた。
こういうとこを見ると、悪い奴ではないんだろうなと思う。私からして良い奴だったことが圧倒的に少ないから、こんな言い回しになってんだけどさ。
それから、うみはこっちを向いてぶっきらぼうに言い放った。
「おい! 1人で大変だったろ」
思わず周りを見回す。周囲には私と、せつくん、うみしかいない。
ということは、もしかして。
「…それ、私に言ってる?」
「他に誰がいるんだよ」
どうやら私は「おい!」らしい。こいつ、そろそろ不敬罪で訴えてやろうか。
てか、誰に言ってるか分からないからせめて名前で呼べ。
「まぁ…確かに」
そう言われてみれば、一理ある。
うみは、せつくんにはこんな雑な態度取らないもんね。
「で?大丈夫だったか?」
……奴は、適当極まりない言い方をしているが、この文も意訳するとこうなる。
『せつのこと、すぐに駆けつけてやれなくて悪かったな。1人で大変だったろ。少しは休めよ』
私のことを「おい!」とか呼んでおきながら、うみは私のことも心配してくれたみたいだ。
「大丈夫。慣れてるから」
「そうか…そうだったな。あんま抱え込むなよ」
小学校の頃からせつくんの体調不良への対処は、常に私とうみがしてきた。なんなら中学の時には、ひとりでどうにか出来るだけの技能は身につけた。
だから、これくらいお手のものだ。
そんなことを思いながら、精一杯の笑顔を作ってみせる。
すると、うみは私の頭に手をのせて、数回優しく撫でた。
ちょっと待った、これどういう状況?
「え?……って、わぁ!」
驚きのあまり、私はぱちりと瞬きを繰り返していたが、今度は腕を強く引かれて……。
気がついた時には、私はせつくんの腕の中にいた。
「ちょっと、うみくん。僕のほのちゃんなんだけど」
「ふーん、ずいぶん自信がありそうだな。でも、それも過去の話じゃないのか?」
「……否定はしないけど、僕、今度は絶対諦めないよ」
どこか不満げなせつくんが、私を抱きしめた腕に力を入れるのと同時に、私の頬も熱を帯びていく。
ふわり、と懐かしい香りが私の鼻をかすめて、また鼓動は速くなる。この香りにもう一度包まれる日を、何度夢見たことか。
あぁ、体中を突き動かすくらいの、この心臓の音はせつくんに聞こえてしまっていないだろうか。
そんなことしか考えられる余裕もなくて、その後のせつくんとうみの会話は何ひとつとして頭に入ってこなかった。
次の日から、私は廊下できららちゃんとすれ違う際に、こんなことを言われるようになった。
「…あなたには負けないから!」
何の話かは全く心当たりもないが、どうやらきららちゃんは、私にライバル意識を持っているようだった。
「え、私、きららちゃんに勝ってるとこあります…?」
「まさか無自覚なの?ほんとにタチが悪いわね」
そんなに大きなため息を吐かれたって、分からないものは分からない。
私に言いたいことがあるなら、はっきりそう言ってくれないと。
ただ、顔面偏差値が平均ちょい上程度の私が、学年1の美貌を前にそんなことを言えるはずもなく。
いや、身分差に負けたとか、そういうことではない。普通にきららちゃんに見惚れた。
「ま、いいわ。必ずあなたに勝ってみせる」
「だから何の話…?」
こうして、私の人生の中で、最も騒がしい1年が幕を上げたのであった──。
半分は巻き込まれ事故だけど。
いかにも告白って雰囲気の中、1組の男女が気恥ずかしそうに立っている。
男子の方は私の幼馴染のうみ、女子は我らが学校のマドンナのきららちゃんだ。
先程まで下を見ていたきららちゃんが、顔を上げて口を開いた時、私の頭の中ではゴングが鳴った。
「さぁ、始まりました、告白ターイム!!実況は私、ほのかが務めさせていただきたいと思います!」
教室のバルコニーから、双眼鏡を構えて叫ぶ。
どう考えても変人にしか見えない私にかけられた声は、ひどく優しかった。
「ほのちゃん」
隣に座る彼もまた、私の幼馴染のせつくんだ。
彼とは小学校で出会ったため、厳密には幼馴染じゃないらしいが、細かいことはこの際どうでもいい。
親友ともちょっと違うこの関係性を、他に表すいい言葉がなかったんだから仕方ない。
「どうしたの、せつくん?」
「応援してるよ」
事前の打ち合わせにはなかったせつくんからの応援の言葉に、どう対応すればいいか分からず、そのまま次のセリフを続ける。
私が無視した…って思われないといいけど。
「本日は、解説役にスペシャルゲストをお呼びしています。せつさん、お願いします!!」
「はーい、ほのちゃんの足を引っ張らないように頑張るね」
「ではまず、ここまでの経緯を振り返っていきたいと思います」
◇◇◇
事の発端は、今朝、うみの下駄箱にメモが入ってたことだ。
「伝えたいことがあります。今日の放課後、体育館裏に来てください…だってよ」
うみはメモを乱暴に、私に投げて寄こす。人の書いてくれたものへの扱いとして、ちょっとどうかと思う。
解釈によっては、この紙自体がラブレターなのだ。もっと大切にしろ。
「うみくん、これ告白だよ。ね、ほのちゃん?」
「もう間違いないね」
せつくんに全面同意してから、大きく息を吸う。
そして、そのまま──心の声をうみにぶつけた。
「他人の、しかも他の女子に投げていい代物じゃないでしょうが!」
「えー、ほのかに説教されたー」
「一旦黙れ」
うみは不満そうに口を尖らせる。私の怒りオーラに気圧されたのか大人しく黙っているものの、表情が既にうるさい。
「それで、送り主は誰だったの?」
「お、いい質問だな、せつ」
普段、相手のことをあんまり気遣ったりしないうみだけど、せつくんには優しい。多少からかったりはするものの、それでも私に対する態度の1億倍は優しい。
たぶん、体の弱いせつくんのことを、同じく病弱な妹に重ねてるんだろう。うみってばシスコンだからな…。
うみに優しくされない私は(紳士っぽい態度取られる方が嫌だけど)、普段はあいつのことを荷物持ちとしてパシっている。
パワーだけはあるから、なかなか使い勝手はいい。
「お前もそういうの気にするお年頃か」
「僕は………別に」
「そうか、気になるんだな」
せつくん。なんだ今の間は。
眉間にしわが寄っているし、悩み事?
「えー、下の方にきららって書いてあるぞ」
「うっそでしょ! え、きららちゃん!??」
きららちゃんは、私やせつくんに比べれば記憶力の乏しいうみですら、覚えているに違いない有名人だ。
とある男子生徒は、こう言った。彼女は星より舞い降りし俺らの女神だ、と。
とある女子生徒は、こう言った。彼女と同じ学年に生まれた事に感謝したい、と。
そんなとてつもない、絶世の美少女のことをうみは……。
「誰だそれ」
覚えていなかった。
「学年1の美少女!!! この学校に差し込む一筋の光!!!!」
「へー、初めて知ったわ」
「はぁ…。ったく、残念な奴だな……」
校内の情報に疎すぎるうみを前に、私は大きなため息をついた。
◇◇◇
「──という訳で、せつくん。うみの奴、まさかのきららちゃんに呼び出されましたよ」
「びっくりだったね…。さすがうみくんって感じ」
「あいつ、女子ウケは良いからな………」
そうなのだ。悔しい事に、うみは非常にモテる。その人気はまさかの、学年トップらしい。
…訂正。なんかムカつくから、そこそこモテることにしとく!
あと、せめて学年2番!!
私としては、こんな奴のどこがいいのか全く分からないが、恋する乙女たち曰く、奴はものすごく顔が良いらしい。
そんで、なんだかんだ面倒見は良く、嫌そうにしながらも根は優しく、一応頼りになるうみのことを、好きになってしまうそうな。
頬をほんのりと染める彼女たちには申し訳なかったが、私には1ミリも共感できなかった。
たぶん、好きな人の何もかもが輝いて見える幻術にかかっているのだと思う。可哀想に。
うみは、顔は割と整ってる方だけど、別にかっこいいとは思わないし。
確かに面倒見は良い。それだけは否定しないけど!
ただ、奴の性根はねじ曲がってると、幼馴染の私的には確信している。
だって、あいつ、過去何百という女子たちに告白されたが、全員泣かせたし。
それに──、
「この前、私が元彼と別れた時、めっちゃ嫌味ばっか言ってきたし!!」
私が元彼のことを好きだった前提で話されたのが、本当に本当に嫌だった。
ちなみに、お前は可愛くないだとか、色々と悪口を言われたことは少ししか気にしてない。
「…は、」
ふいに聞こえた吐息に、思わず隣を見遣る。
今度はこちらが驚かされた。
私の隣にいるのは、せつくんだ。それは間違いない。
なのに、何かがおかしい。
いつもの柔らかい、今にも溶けてしまいそうな儚い笑顔は完全に消えている。
こんなにも険しい表情をした彼を、私は見たことがない。
とくん、と心臓が大きく音を立てる。
その真剣な横顔から、目が離せない。
でも、私はそれらを飲み込んで、何もなかったかのように問いかけた。
「せつくん?どうしたの?」
「ねぇ、ほのちゃん。元彼とやらの話、初耳なんだけど」
「あ、あの」
「他に好きな人、いたんだね」
せつくんの口調は、すごく冷たくて寂しい。
突き刺すような雰囲気に負けそうになりながらも、私は、それでも彼に言わなければいけないことがあった。
「…違う。違うよ」
「何」
せつくんは、ちょうど留学の準備やらで忙しかった頃の話だ。
知らないのも無理はない。
「毎日、私の後を付けてきて、自分と付き合うまでやめないって……。本当にしつこかったんだ」
「じゃあ、ほのちゃんは、そいつと無理矢理付き合わされてたの?」
「そうだね。まぁ、ね。私、こんな性格だからさ、相手もすぐに別れてくれたよ」
負けず嫌いで、勝ち気な性格。
清楚系と言われた見た目(自分でもそこそこ可愛いとは思ってる)とは正反対で、ぜんっぜん可愛くない。
性格なんて、変えようと思っても変えきれないもので。
どれだけ嫌いでも、それすら受け入れて、愛さなければいけなくて。
何の策もなしに、逃げるために元彼と付き合った訳じゃない。
付きまとってくる人には、あちらから冷めてもらった方が早い。
つまり私は、自分のコンプレックスに賭けたのだ。
見た目だけで告白してきた元彼は、私の性格を知るとやっぱり、今までの執着っぷりが嘘かのように、すんなりと冷めてくれた。
私は、自分の顔と性格が全く一致していないことを、この時、生まれて初めて感謝した。
「その人、全然分かってないよ……げほっ、げほっ!」
「せつくん!大丈夫!?」
私が叫ぶと同時に、体育館裏のうみと目が合った。
「……っ、せつ!!」
せつくんに関する事だけは頼りになるうみは、大きい瞳をさらに見開いて。
一瞬焦ったように見えたが、すぐに冷静さを取り戻して、私に向かって、こう叫んだ。
「ほのか、ちょっと待ってろ、すぐ行くから!!!」
「分かった!」
前にも言ったが、せつくんは体が弱い。
1か月間留学する予定だったのに、体調を崩して3日で戻ってきたくらいには。
そんな彼は本気で怒った時に、つい体に負担がかかり、発作のようなものを起こしてしまう。発作とは言っても、基本的には少しむせる程度で済む。
つまり、せつくんはさっき、私のために怒ってくれたのだ。
私の性格を知ってから捨てた、元彼に対して。
その事実が嬉しくて、なんだかこそばゆい気持ちになってしまう。
隣で激しく咳き込んでいるせつくんが、私の袖を強く握る。
今は辛いはずなのに、苦しいはずなのに、せつくんは、話してくれた。
「僕と…ごほっ…、付き合ってる…って言えば良かったじゃん」
その表情が、その言葉が、私の奥底に埋めていた記憶を掘り起こす。
ちょうど3年前、中学2年生の夏。
せつくんは同じことを言った。
◇◇◇
忘れもしない、クラスの男子に、夏祭りに誘われた時。
なんとか断った私に、せつくんは今日の天気くらい何でもないことのようにさらりと言った。
「僕と付き合ってるって言えば良かったじゃん」
「え、でも…」
冗談でも、そう言ってしまいたかった。
学年内でちょっと噂になるくらいなら、私は別に良い。寧ろ願ったり叶ったりだ。
ただ、せつくんは嫌だろうし、迷惑はかけたくない。
「ほのちゃんは、僕をもっと頼ってくれていいんだよ。僕は頼りないかもしれないけど、それくらいなら力になれるから」
頼りないなんて思ってない。多少体が弱くても、せつくんは頭もいいし、機転も効く。
私の手を握ってくれた手は、華奢で、でも温かい。側にいるだけで安心するし、落ち着く。
いつでも私を気遣ってくれる、一番心強い味方だ。
物思いに耽る私を見て何を思ったか、せつくんは唐突にこんなことを言い出した。
「僕は、ほのちゃんになら、何されても許しちゃうよ」
ふわりとした、爽やかな笑顔にどうしようもなく胸が高鳴る。
その言葉も、表情も本当にずるい。
せつくんは嘘をつくような人じゃないから、私に何をされてもいい…というのは、本気で言っているのだと思う。
私は、期待してもいいのだろうか。
さっきの言葉が、信頼する友達に向けられたものじゃないと思っていいの?
せつくんは、私のこと、恋愛的な意味で好きなんじゃないかと思ってしまうのは、自惚れですか…?
それとも、全部単なる私の願望?
「私も」
私の言葉に、せつくんはぱちりと数回瞬きをしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「それ、本気で言ってるの?」
「うん…」
真っ赤になって俯いた私を、せつくんの、彼が思うよりも力強い腕がそっと包んだ。
「好きだよ、ほのちゃん…」
2人きりの教室に響いたその言葉を、私は生涯忘れない。
◇◇◇
「僕と…ごほっ…、付き合ってる…って言えば良かったじゃん」
「ううん。私、せつくんには迷惑かけたくない」
せつくんの事を好きなのは今も一緒で、寧ろ中学生の頃より、この気持ちは大きくなるばかりだ。
だからこそ、その手にもう一度縋ってしまえたのなら。
きっと私は今度こそ、後戻りできなくなる。
もしもまたやり直せても、次に別れを切り出されたら、壊れてしまう気がして怖い。
せつくんに限って、そんなことはないはずって?
だよね、私もそう思う。
ただ、私たちを隔てるものなんて星の数ほどあるから、相手のことを想えば想うほどに別々の道を選んでしまう。
それは、好きな人を辛い気持ちにはさせたくないから、幸せになって欲しいからだ。
自分が何か事件に巻き込まれそうな時には相手に逃げて欲しいけど、逆の立場だったら助けにいきたい。本当に複雑な気持ち。
「…もっと僕のこと、頼るって約束したのに」
“困った時には、遠慮せずに相手を頼る”。
かつて私たちが付き合っていた頃、最初に決めたことだ。
「あの約束、まだ有効だったの?」
「ほのちゃんには期限なしだよ」
私はてっきり付き合っている間限定のものだと思っていたが、せつくん的には違ったらしい。
…あれが未だに適用されてるとか、最早ほぼ恋人じゃんね。
せつくんが口を開いて、また何か言いかけた時、教室の扉が大きく開かれた。
どうやらうみが到着したらしい。
体育館からここまで、かなり距離はあったはずなのに。異常なまでの速さだ。
「せつ!! 大丈夫か!??」
「うみくん…だいぶ落ち着いたよ」
「はー、よかった……」
せつくんの無事を確認するや否や、うみは安心したように大きく息を吐いた。
こういうとこを見ると、悪い奴ではないんだろうなと思う。私からして良い奴だったことが圧倒的に少ないから、こんな言い回しになってんだけどさ。
それから、うみはこっちを向いてぶっきらぼうに言い放った。
「おい! 1人で大変だったろ」
思わず周りを見回す。周囲には私と、せつくん、うみしかいない。
ということは、もしかして。
「…それ、私に言ってる?」
「他に誰がいるんだよ」
どうやら私は「おい!」らしい。こいつ、そろそろ不敬罪で訴えてやろうか。
てか、誰に言ってるか分からないからせめて名前で呼べ。
「まぁ…確かに」
そう言われてみれば、一理ある。
うみは、せつくんにはこんな雑な態度取らないもんね。
「で?大丈夫だったか?」
……奴は、適当極まりない言い方をしているが、この文も意訳するとこうなる。
『せつのこと、すぐに駆けつけてやれなくて悪かったな。1人で大変だったろ。少しは休めよ』
私のことを「おい!」とか呼んでおきながら、うみは私のことも心配してくれたみたいだ。
「大丈夫。慣れてるから」
「そうか…そうだったな。あんま抱え込むなよ」
小学校の頃からせつくんの体調不良への対処は、常に私とうみがしてきた。なんなら中学の時には、ひとりでどうにか出来るだけの技能は身につけた。
だから、これくらいお手のものだ。
そんなことを思いながら、精一杯の笑顔を作ってみせる。
すると、うみは私の頭に手をのせて、数回優しく撫でた。
ちょっと待った、これどういう状況?
「え?……って、わぁ!」
驚きのあまり、私はぱちりと瞬きを繰り返していたが、今度は腕を強く引かれて……。
気がついた時には、私はせつくんの腕の中にいた。
「ちょっと、うみくん。僕のほのちゃんなんだけど」
「ふーん、ずいぶん自信がありそうだな。でも、それも過去の話じゃないのか?」
「……否定はしないけど、僕、今度は絶対諦めないよ」
どこか不満げなせつくんが、私を抱きしめた腕に力を入れるのと同時に、私の頬も熱を帯びていく。
ふわり、と懐かしい香りが私の鼻をかすめて、また鼓動は速くなる。この香りにもう一度包まれる日を、何度夢見たことか。
あぁ、体中を突き動かすくらいの、この心臓の音はせつくんに聞こえてしまっていないだろうか。
そんなことしか考えられる余裕もなくて、その後のせつくんとうみの会話は何ひとつとして頭に入ってこなかった。
次の日から、私は廊下できららちゃんとすれ違う際に、こんなことを言われるようになった。
「…あなたには負けないから!」
何の話かは全く心当たりもないが、どうやらきららちゃんは、私にライバル意識を持っているようだった。
「え、私、きららちゃんに勝ってるとこあります…?」
「まさか無自覚なの?ほんとにタチが悪いわね」
そんなに大きなため息を吐かれたって、分からないものは分からない。
私に言いたいことがあるなら、はっきりそう言ってくれないと。
ただ、顔面偏差値が平均ちょい上程度の私が、学年1の美貌を前にそんなことを言えるはずもなく。
いや、身分差に負けたとか、そういうことではない。普通にきららちゃんに見惚れた。
「ま、いいわ。必ずあなたに勝ってみせる」
「だから何の話…?」
こうして、私の人生の中で、最も騒がしい1年が幕を上げたのであった──。
半分は巻き込まれ事故だけど。



