矢吹くんが甘やかすせいで

靴箱がずらりと並ぶ昇降口に着くと、そこには私が今一番会いたくない人がいた。

「作間くん…」

「よお。真面目に掃除してたか?」

私は無視して自分の靴を取りに向かった。作間くんを無視するなんて初めてだったけれど、今回ばかりは作間くんの言葉に腹が立った。

…佳音が掃除をさせられたのはあなたのせいなのに。

そう言いたくなったけれど我慢した。ここで作間くんを相手にしていたら、矢吹くんに会いに行くのが遅くなるから。

「おい」

「…」

「返事くらいしろよ、なあ」

いつもより執拗に迫ってくる作間くんを視界に入れないようにしながら、私は激しく後悔していた。

無視するんじゃなかった。普段よりもっとしつこくなってしまった…。

「はあ…」

そんなことを考えていると、思わずため息をついてしまった。

次の瞬間、私の両腕は壁に押し付けられ、傍から見ると壁ドンをされているような体勢になっていた。

「今、ため息ついたよな」

「いいえ」

「ついたよな、俺に対して」

「ついてません」

苛立っていた。今すぐ矢吹くんに会いに行きたいのに、よりによってこの人に邪魔をされて。

「お前、今日おかしいよ。いつもはそんなんじゃないだろ」

ああ、もう!

「…あなたが私の何を知ってるっていうんですか!」

思わず叫ぶと、作間くんの表情が一気に暗くなった。

そして彼はゆっくりと俯いて、下を向いたままぽつりと呟いた。

「知ってるよ。お前のこと、俺はあいつよりも知ってる自信がある」

「え…?」

訳がわからなかった。どういうことだろう。"あいつ"はきっと矢吹くんのことだよね。でも矢吹くんよりも、って?

「あの…」

「お前があいつのこと好きなのは知ってる。俺のことを嫌いなのも知ってる。…でも」

そこまで言って、作間くんはようやく顔を上げた。

その瞳には、涙が浮かんでいた。

「でも少しくらい、俺のことも覚えててくれよ…」

どくん。

悲しげな作間くんの表情を間近で見て、私の脈が大きく波打つのがわかった。

でもこれはときめきなんかじゃない。焦りと恐怖、そして違和感だ。

私の脳裏に、傷だらけの矢吹くんが浮かび上がった。

なんで…?どうして今、あの時のことを思い出したの?

「はあっ、はあっ」

作間くんが我に返る。息が荒くなっている私に気づくと、すぐに両腕を解放してくれた。

自身の目からこぼれ落ちる涙もそのままに、作間くんは「ごめん。ごめんな、妃奈。悪かった」と私に謝り続けた。

作間くんは体の力が抜けた私を抱きかかえるように支えながら、私の背中をさすり続ける。

背中から作間くんの手のひらの温度を感じて、いつの間にか呼吸は落ち着き、なぜか強い眠気に襲われた私はゆっくりと目を閉じた。

意識が遠のく中、私は矢吹くんの声を聞いた気がした。

「妃奈…?妃奈!」

矢吹くん、大丈夫だよ。作間くんが助けてくれたから。

そう言おうとしたけれど、口がうまく動かない。

「凛太郎、妃奈に何したんだ?!」

「俺は…俺は、ただ…」

いつもと違って弱気な作間くんが何だか面白い。あれ?矢吹くん、作間くんのこと知ってるんだ。ということはやっぱり、二人は従兄弟…?

眠る直前にこんなに考え事をしたのは初めてだった。

あ、駄目だ…寝ちゃう。

でもこれだけは、言わなきゃ。

「やぶき、くん…りん、くん。喧嘩、しないで…」

すると、矢吹くんと作間くんが息をのむ気配がした。

「妃奈…」

私の名前を呼んだのは、おそらく作間くん。

懸命に重い瞼を持ち上げると、作間くんは泣きながら笑っていた。

「ありがとう、妃奈。じゃあな」

作間くんの言葉を聞いた後、私はそのまま作間くんの腕の中で眠ってしまった。