矢吹くんが甘やかすせいで

それからというもの、作間くんはしつこいほどに私につきまとってきた。

移動教室のときも、購買に行くときも、休憩時間に佳音とおしゃべりしているときまで私のまわりをうろうろする。

そして今日、ついに佳音の怒りが爆発してしまった。

「あんたうざいのよ!何なの、妃奈に用があるならはっきり言ったらどうなの?!」

「うるせえな…キャンキャン吠えんじゃねえよ」

「何ですって…!」

「ちょ、ちょっと佳音!」

佳音の握りしめていた拳が作間くんに到達する前に先生が来たから良かったものの、その現場を見た数学の先生は佳音が一方的に暴力を振るおうとしたと勘違いしてしまい、佳音は居残り掃除を任命されてしまった。

 * * *

「ごめんね、佳音…私のせいで」

「いいのよ!妃奈が残ることもなかったのに…ありがとう」

佳音が掃除する手を止めて、モップの柄に両手と顎を乗せる。

「それにしても何なのかしらね…あいつ。妃奈の彼氏は矢吹くんしかいないし、何回もそう言ってるのに聞く耳持たないし!」

そこまで言って、はあっと大きなため息をつく。

「妃奈はどうなの?迷惑なら先生に言えばいいのに」

「うーん…」

たしかに、作間くんの第一印象は最悪だった。でも…。

「なんかね、作間くんが時々すごく悲しそうな顔をするの。その顔を見ていられなくて」

「どういうこと?妃奈まさか、作間くんに情でもわいたの?!」

私はぶんぶんと首を振った。

「違うよ、そんなのじゃない。でも、作間くんもなんか事情があってあんなことしてるんだと思う…」

「いい?妃奈」

佳音が真剣な顔をしてこちらを見る。

「どんな事情があったって、他人の関係にずかずか踏み込んでくるようなやつは最低よ。しかも作間くんは妃奈と矢吹くんが恋人同士だって知ってる。矢吹くんも妃奈も嫌な思いをすると知っていてあんなについてくるのよ?」

早口でそう言うと、教室のテーブルに置きっぱなしにしている私の携帯にちらっと目をやって、今度は小さくため息をつく。

「妃奈のことだし、どうせ矢吹くんにも連絡してないんでしょ?作間くんのこと」

「…うん」

そう。矢吹くんにはまだ作間くんのことを話せていない。矢吹くんと作間くんが従兄弟だという話はどうやら本当みたいだから、もしかしたらすでに作間くんが矢吹くんに何か言っているかもしれない。あの日、クラス全員の前で信じられない宣言をしたように。

それでも、ここからは完全に私の願望になってしまうけれど、作間くんはまだ何も言っていない気がする。

作間くんは私の嫌がることは絶対にしない。それは今だけかもしれないんだけど、私の表情がちょっとでも曇ったりするとすぐに話題を変える。その行動には作間くんの"中身"の部分があらわれている気がして、根っからの悪い人じゃないんだと少し安心する。

それに、今のところは作間くんが私に一方的に話しかけてくるだけで、私は曖昧な返事を返す、というやりとりだけ。

そのくらいなら、そこまで迷惑でもないし…。

「妃奈はお人好しだから、作間くんのこともどうせなんとも思ってないんだろうけど…矢吹くんに連絡しないのはいただけないわね」

「わかってる。わかってるんだけど、こわくて」

佳音はうーんとうなると、はっと思いついたように顔をあげた。

「じゃあ、逆だったらどう?矢吹くんが何か悩んでるの。それも妃奈のことで。妃奈がそれを矢吹くん以外の人から聞いてしまったら、どんな気持ちになる?」

「…その人に嫉妬するかも」

首がもげそうな勢いで頷く佳音の姿が何だか滑稽で、気持ちがほぐれた私は思わず笑ってしまった。

「よかった。まだ笑う元気はあるみたいね」

「え?」

「だって妃奈、全然笑わないんだもの。矢吹くんと付き合いはじめてからずーっとにこにこしてたのに、最近はつまらなさそうな顔ばっかり。私だってわかるくらいなんだから、矢吹くんはとっくにお見通しのはずよ」

「そっか…そうだったんだ」

私は途端に矢吹くんに連絡したくなって、箒をロッカーに仕舞おうとしたけれど、佳音が私のせいで居残り掃除をさせられているのを思い出して右往左往してしまった。

今度は、それを見た佳音が笑った。

「掃除なら大丈夫よ。ダーリンを呼んであるから。…ほら、さっきからそこにいるわ」

「ええっ?!」

後ろを見ると、廊下には高身長の男子生徒が立っていた。矢吹くんとはまた違った、さっぱりと整った顔立ちだ。

「佳音ちゃんひどいよ。ずっと俺に気づいてたのに五分も放置するなんて…」

しゅん、と落ち込んでいる表情はまるで子犬みたいだ。

「あ…はじめまして!堺亮太(さかい りょうた)さんですか?」

「はい、そうです。君は柚木妃奈さんだね。佳音ちゃんから話は聞いてるよ」

にこにこと笑いながら話す、優しそうな人だ。

「そ、そうなんですか?佳音、変なこと言ってませんか?」

「あはは。噂通りの面白い子だね、佳音ちゃん」

「でしょう?一緒にいて毎日楽しいのよ」

「ちょっと佳音…!」

「いいじゃない、本当のことよ」

それは嬉しいけど、と言いかけたところで、亮太さんがこちらに身を乗り出してきた。

「それで?秀先輩が何だって?」

「へっ?!」

驚きのあまり、思わず変な声が出てしまった。

「あ、あの。矢吹…先輩をご存知なんですか?」

「そりゃもちろん!秀先輩は有名人だったからね」

何を当たり前のことを、とでも言わんばかりに目を丸くする亮太さん。どの仕草をとっても、可愛らしい小動物の動きにしか見えない。

「妃奈、悩み事を彼氏さんに相談してないのよ。矢吹先輩に心配かけるかもしれないから、って」

「ええっ」

亮太さんの表情が途端に険しくなる。

「…やっぱり彼氏さんからすると、相談してほしいものなんでしょうか?」

「当たり前だよ!」

亮太さんがさらに身を乗り出す。

「例えば、佳音ちゃんが悩んでるとするだろ?それなら俺は真っ先に相談してほしいし、佳音ちゃんの力になりたいと思う。それに…相談してもらえなかったら、ちょっと自信なくすかも」

「どういうことですか?」

亮太さんは少し寂しそうな表情で教えてくれた。

「自信っていうのは…男としての自信、みたいなものかな。自分がそんなに頼りないのかな、って不安になるし、情けなくなると思うから」

「!」

そうなんだ…私、知らず知らずのうちに矢吹くんにひどいことをしてしまっていたのかもしれない。

矢吹くんを傷つけないためにとっていた行動が、逆に矢吹くんを傷つけていた?

…急がなきゃ。矢吹くんに会いに行かなきゃ。

「佳音、あの」

佳音はにこりと笑って、私の背中をぽんぽんと叩いてくれた。

「矢吹くんに会いに行くんでしょ。急ぎなさいな!」

「早く行ってあげなよ。掃除は僕たちに任せて」

…こんなに心強い味方が二人もいる。私は幸せ者だな。

「ありがとう。佳音、亮太さん。このお礼は必ずしますので!」

私は二人に精一杯の感謝を込めてお辞儀をすると、箒をその場に置いて昇降口へと向かった。