始業前の教室は騒がしい。気の合うグループに混ざって昨日見たドラマや推しのこと、バイトや恋人の愚痴など話題は豊富だ。
 いつもより少し早く登校した(はな)は、クラスメイトの愛梨(あいり)が練習中だという催眠術の実験台に指名され、集中力を高めるために五円玉をくくりつけたたこ糸の先を持って「動け動け」と念じていた。

「お前は絶対かかんねぇよ!」

 不意に頭上から声が降り注いだ。

圭吾(けいご)、ちょっと黙ってて!」

 華は上目遣いに圭吾を見た。

「そういうのはな、純粋な心を持ってねぇと無理なんだって。お前そういうの一番信用してねぇだろ」

 確かに、と思わず本音を漏らしそうになった。

「もうっ、うるさいなぁ。黙っててよ」

 華は圭吾を睨み付けると、再び五円玉に目を向けた。

「お前、俺にそんな生意気な口利いていいと思ってんのかよ」

「は? 何が」

 五円玉から目を離さずにぶっきらぼうに対応した。

「今日、何で先に行ったんだよ」

「別に約束なんてしてないじゃん」

 それは事実だったが、家が隣同士の二人は予定がない限りほぼ毎日一緒に自転車登校しているのだから、疑問が湧くのは当然のことだ。今日は圭吾と顔を合わせるのが気まずくて先に家を出た、というのが本当の理由だった。昨夜玄関先で出会した圭吾に、酷いことを言ってしまったという自覚があった。

「ふぅん……じゃあこれは俺が貰っとく」

 聞き捨てならないその言葉に漸く振り向いた華が目にしたのは、圭吾がゆらゆらと揺らしながら手に持っていたバッグだった。

「あーっ、私の!」

「お前が弁当忘れていったからって、おばちゃんから預かってきたんだよ」

「わお、さすが圭吾ちゃん! サンキュー」

 華は圭吾の手から素早くランチバッグを奪い取ると、キラキラの笑顔を向けてふざけながら礼を言った。そうして内心は、昨日のことを気にしていない様子の圭吾に安堵していた。
 昨日コンビニから戻ると、圭吾が家の前でクラスメイトの男子と話し込んでいた。
「華の自転車ねぇから、どこ行ったのかと思った」と言われ、つい「どこでもいいでしょ。ストーカーなの?」などと返してしまった。一瞬見せたばつが悪そうな圭吾の顔が、その後ずっと頭から離れなかったのだ。
 圭吾との関係は、ただの幼馴染み。恋愛感情がないといえば嘘になるが、思春期の、ましてや幼稚園からの幼馴染みともなれば、気恥ずかしくて素直になどなれるわけがなく、結果、拗れに拗れて現在に至るというわけだ。

「仲いいね」

 親友の愛梨の言葉にもつい「腐れ縁てやつだよ」などと返してしまう。

「はあ? 腐れ縁ってなんだよ。お前はそんなだから――」

「何よ」

 だから彼氏が出来ない、とでも言いたいのか。

「催眠術にもかかんねぇんだよ!」

「何それ、訳わかんない!」

 二人の痴話喧嘩を、向かいに座る愛梨がクスクス笑いながら眺めている。

「おい、愛梨! 催眠術でこいつの素直じゃない性格どうにかできねぇの?」

 飛び火は愛梨にまで及んだ。

「できてたら、君たちは恋人同士なのにね」

 愛梨がにやにやしながら口にしたであろう言葉はまるで聞こえていないかのように装って、華は五円玉をじっと見つめていた。

 かかれるものならかかってみたい。そうすれば、催眠術のせいにして圭吾と恋人同士になれるのに。

 催眠療法というものが本当にあるらしいことは知っていたが、それでもどこか胡散臭いと思っている自分は、ひねくれ者なのだろうか。圭吾が言うように心霊現象や超能力のようなオカルトは昔から全く信用していなかったが、実のところ、ある日の出来事をきっかけに守護霊の存在を信じるようになっていた。

『絶対守ってやるから』

 意識が朦朧とする中で聞いたあの声は、神の声か、それとも――