March〜さよならじゃない〜

男子生徒はそう言い、自分の席だった机に向かうと椅子に座る。窓から差し込んだ光が男子生徒の黒髪を照らした。その顔を絵菜は見ないようにする。高鳴ってしまわないよう、必死に頭の中で別のことを考えていた。

男子生徒ーーー鶯賢治(うぐいすけんじ)は窓際に立つ絵菜を見つめる。その視線を感じつつも、必死で彼女は窓の外を見つめ続けた。今、彼の目を見てしまったら自分の心の中に押し込めた気持ちが溢れてしまいそうだったのだ。

「……何でずっと黙ってんだよ。あと、こっち見ろよ」

賢治が不貞腐れたように言う。絵菜は無視した。黒い筒を持つ手に力が入る。息を吸うだけでもどこか苦しさを覚えた。

絵菜は窓を開けた。ふわりとまだ冷たい風が教室に入り込んでくる。カーテンが大きく靡いて、風の音が耳の奥まで届く。絵菜は、ようやく息がきちんと吸えるようになった気がした。

「何で窓開けるんだよ。寒いだろうが!」

絵菜の背後から賢治の手が伸びて、学ランに包まれた手が窓を閉める。自分の手よりどこか逞しい手に、絵菜は目が離せなかった。風の音がピタリと止む。カーテンも生きているかのように動くのをパタリと止めた。