(よかった、この調子なら大丈夫そう)
「――あのですね、珠莉お嬢様。先ほどのお話ですが」
「なぁに、平泉?」
これまで運転に専念していた執事が、二人の会話に割り込んできた。
「わたくしも純也坊っちゃまと同じく、珠莉お嬢様の味方でございますから。……旦那様と奥さまの手前、表立っては申し上げられませんが、そのことはぜひ憶えておいて頂きたく、僭越ながら口を挟ませて頂きました」
「平泉、あなた……」
珠莉は目を丸くした。この執事もきっと両親に従順だから、彼らと同じく夢を反対しているのだと思っていたので、今の発言が意外だったからだろう。
「平泉さん、いつも珠莉ちゃんのご両親の前では〝すん〟としてるんだよ。ホントは珠莉ちゃんの背中を押してあげたいのに、健気だよねー」
施設で育ち、自分の家がない愛美には使用人の苦労というものが想像できないけれど。小説家になった今、想像力を働かせることはできる。
「〝すん〟っていうのはよく分らないけど……。つまり、本心を隠していたということね。あなたも苦労しているのねぇ……。知らなかったわ」
「お気遣い、恐縮でございます。お嬢様はよいご友人に出会われましたね。高校にご入学される前よりお優しくなられました。――相川様、でございましたか」
「あ、愛美でいいですよ、平泉さん」
「では愛美様。先ほどの園長先生……でしたかのお言葉、わたくしも大変感服致しました。お嬢様のお話によれば、愛美様は施設のご出身であったことに少々コンプレックスを感じておられたとか。ですが、あなた様がお育ちになった施設は大変いいところだとお見受け致しました」
平泉さんの言い方は、愛美のことを不憫に思っているようには聞こえなかった。
世の中には悲しいかな、施設出身者に対する偏見や同情的な見方をする人もまだまだ残っている。愛美もそのことは少なからず感じてきたけれど、彼や純也さん、さやかのような人たちもいるのだ。愛美のことを〝施設出身のかわいそうな子〟ではなく、一人の人間として見てくれる人も。
「ええ、すごくいいところです。園長先生も他の先生たちも、わたしたちのことを大事にして下さって。ただ優しいだけじゃなくて、社会に出てから困らないようにって、色んなこと教えて下さいました。ゴハンも美味しかったし、イベントごとも多かったし」
「さようでございますか。きっとその施設の方たちは、園に暮らす子供たちを心から愛しておられるのでしょうね。旦那様と奥様にも見習って頂きとうございます」
彼の最後の言葉には、愛美にも分かるほどの怒りの感情が込められている。使用人にまでこんな言い方をされる辺唐院家ってどうなんだろう?
「……ねえ珠莉ちゃん、もしかして珠莉ちゃんのお父さんとお母さんって夫婦仲悪かったりする?」
「ええ。元々二人は政略結婚で、愛情なんてなかったの。だから夫婦なのに、お互いのことに興味がないのよ。私のあとに子供をつくらなかったのがその証拠ね。お母さまは私を産んだことで、ご自分の務めは終わったと思われたのよ」
「へぇ…………」
それなのに、生まれたのは娘だった。元々義務だけで結婚した夫婦だから、跡継ぎにならない子(少なくとも辺唐院家では)には愛情を注げないのだ。
「なんか……、やっぱり珠莉ちゃんのお家って変だよね。時代錯誤っていうか」
「愛美さんもそう思うわよね。戦前じゃあるまいし、って」
愛美は珠莉の話を聞いていたら、これってホントに令和の話? と首を傾げたくなる。彼女の家だけ昭和――それも第二次大戦前で時間が止まっているような感じだ。
「うん。だからこそ、余計に純也さんがリアルな今の時代の人だって思えるんだよね」
「純也坊っちゃまは独自の価値観や考えをお持ちの方でございますから。当家では『それがおかしい』と思われておりますが、わたくしは坊っちゃまの考え方こそ今の時代にふさわしいと存じております。お嬢様方が先ほどおっしゃいましたように、純也坊っちゃまを『おかしい』と思われる旦那様や奥様、大奥様の方がおかしいのでございます。……や、これは失礼を! このことは他言無用に願います」
「分かりました。わたしたちの胸の中だけに収めておきます。ね、珠莉ちゃん」
「ええ。あなたの名誉と、純也叔父さまのお立場のためにも、このことは私たち三人だけの秘密ということにしておきましょう」
愛美・珠莉・平泉さんの三人は、この場で紳士協定を結んだ。
――リムジンは首都高速に乗り、東京都心の超高層ビル群や東京タワーなどを追い越していく。
車窓からの眺めを楽しむ余裕の出てきた愛美はちょっとした観光気分だった。
「……わぁ、東京タワーだ! あれが見えたら『東京に来たんだな』って思うよねー。わたしも去年、さやかちゃんと一緒に見たなぁ。――ねえ、珠莉ちゃんはスカイツリーとか東京タワーに上ったことある?」
「ええ、あるわよ。純也叔父さまに連れていって頂いたの。両親にお願いしてもダメだったから」
珠莉の両親は子育てに消極的で、珠莉のしたいことにも関心がなかったのだろう。純也さんは珠莉のことを苦手だと言いつつも、やっぱり自分の姪ではあるので放っておけなかったのだ。
「そうなんだ。純也さん、何だかんだで面倒見いいもんね。わたしも『連れてって』ってお願いしたら連れて行ってくれるかな」
「あなたのお願いなら、純也叔父さまは何でも聞いてくれそうね。だってあなたは、叔父さまにとって特別な人だもの」
「……そうかな?」
「お嬢様、今のお言葉はどのような意味でございますか?」
平泉さんが首を突っ込んできたので、愛美と珠莉は顔を見合わせた。果たして、愛美と純也さんが恋人同士だという事実を彼に打ち明けていいものか――。
「……あのね、平泉。愛美さんと純也叔父さまは……その」
「わたし、夏から純也さんとお付き合いしてるんです。でも、他の人には言わないで下さいね?」
「もちろんでございます、愛美様。わたくし、口は堅とうございますので」
「よかった……」
「――あのですね、珠莉お嬢様。先ほどのお話ですが」
「なぁに、平泉?」
これまで運転に専念していた執事が、二人の会話に割り込んできた。
「わたくしも純也坊っちゃまと同じく、珠莉お嬢様の味方でございますから。……旦那様と奥さまの手前、表立っては申し上げられませんが、そのことはぜひ憶えておいて頂きたく、僭越ながら口を挟ませて頂きました」
「平泉、あなた……」
珠莉は目を丸くした。この執事もきっと両親に従順だから、彼らと同じく夢を反対しているのだと思っていたので、今の発言が意外だったからだろう。
「平泉さん、いつも珠莉ちゃんのご両親の前では〝すん〟としてるんだよ。ホントは珠莉ちゃんの背中を押してあげたいのに、健気だよねー」
施設で育ち、自分の家がない愛美には使用人の苦労というものが想像できないけれど。小説家になった今、想像力を働かせることはできる。
「〝すん〟っていうのはよく分らないけど……。つまり、本心を隠していたということね。あなたも苦労しているのねぇ……。知らなかったわ」
「お気遣い、恐縮でございます。お嬢様はよいご友人に出会われましたね。高校にご入学される前よりお優しくなられました。――相川様、でございましたか」
「あ、愛美でいいですよ、平泉さん」
「では愛美様。先ほどの園長先生……でしたかのお言葉、わたくしも大変感服致しました。お嬢様のお話によれば、愛美様は施設のご出身であったことに少々コンプレックスを感じておられたとか。ですが、あなた様がお育ちになった施設は大変いいところだとお見受け致しました」
平泉さんの言い方は、愛美のことを不憫に思っているようには聞こえなかった。
世の中には悲しいかな、施設出身者に対する偏見や同情的な見方をする人もまだまだ残っている。愛美もそのことは少なからず感じてきたけれど、彼や純也さん、さやかのような人たちもいるのだ。愛美のことを〝施設出身のかわいそうな子〟ではなく、一人の人間として見てくれる人も。
「ええ、すごくいいところです。園長先生も他の先生たちも、わたしたちのことを大事にして下さって。ただ優しいだけじゃなくて、社会に出てから困らないようにって、色んなこと教えて下さいました。ゴハンも美味しかったし、イベントごとも多かったし」
「さようでございますか。きっとその施設の方たちは、園に暮らす子供たちを心から愛しておられるのでしょうね。旦那様と奥様にも見習って頂きとうございます」
彼の最後の言葉には、愛美にも分かるほどの怒りの感情が込められている。使用人にまでこんな言い方をされる辺唐院家ってどうなんだろう?
「……ねえ珠莉ちゃん、もしかして珠莉ちゃんのお父さんとお母さんって夫婦仲悪かったりする?」
「ええ。元々二人は政略結婚で、愛情なんてなかったの。だから夫婦なのに、お互いのことに興味がないのよ。私のあとに子供をつくらなかったのがその証拠ね。お母さまは私を産んだことで、ご自分の務めは終わったと思われたのよ」
「へぇ…………」
それなのに、生まれたのは娘だった。元々義務だけで結婚した夫婦だから、跡継ぎにならない子(少なくとも辺唐院家では)には愛情を注げないのだ。
「なんか……、やっぱり珠莉ちゃんのお家って変だよね。時代錯誤っていうか」
「愛美さんもそう思うわよね。戦前じゃあるまいし、って」
愛美は珠莉の話を聞いていたら、これってホントに令和の話? と首を傾げたくなる。彼女の家だけ昭和――それも第二次大戦前で時間が止まっているような感じだ。
「うん。だからこそ、余計に純也さんがリアルな今の時代の人だって思えるんだよね」
「純也坊っちゃまは独自の価値観や考えをお持ちの方でございますから。当家では『それがおかしい』と思われておりますが、わたくしは坊っちゃまの考え方こそ今の時代にふさわしいと存じております。お嬢様方が先ほどおっしゃいましたように、純也坊っちゃまを『おかしい』と思われる旦那様や奥様、大奥様の方がおかしいのでございます。……や、これは失礼を! このことは他言無用に願います」
「分かりました。わたしたちの胸の中だけに収めておきます。ね、珠莉ちゃん」
「ええ。あなたの名誉と、純也叔父さまのお立場のためにも、このことは私たち三人だけの秘密ということにしておきましょう」
愛美・珠莉・平泉さんの三人は、この場で紳士協定を結んだ。
――リムジンは首都高速に乗り、東京都心の超高層ビル群や東京タワーなどを追い越していく。
車窓からの眺めを楽しむ余裕の出てきた愛美はちょっとした観光気分だった。
「……わぁ、東京タワーだ! あれが見えたら『東京に来たんだな』って思うよねー。わたしも去年、さやかちゃんと一緒に見たなぁ。――ねえ、珠莉ちゃんはスカイツリーとか東京タワーに上ったことある?」
「ええ、あるわよ。純也叔父さまに連れていって頂いたの。両親にお願いしてもダメだったから」
珠莉の両親は子育てに消極的で、珠莉のしたいことにも関心がなかったのだろう。純也さんは珠莉のことを苦手だと言いつつも、やっぱり自分の姪ではあるので放っておけなかったのだ。
「そうなんだ。純也さん、何だかんだで面倒見いいもんね。わたしも『連れてって』ってお願いしたら連れて行ってくれるかな」
「あなたのお願いなら、純也叔父さまは何でも聞いてくれそうね。だってあなたは、叔父さまにとって特別な人だもの」
「……そうかな?」
「お嬢様、今のお言葉はどのような意味でございますか?」
平泉さんが首を突っ込んできたので、愛美と珠莉は顔を見合わせた。果たして、愛美と純也さんが恋人同士だという事実を彼に打ち明けていいものか――。
「……あのね、平泉。愛美さんと純也叔父さまは……その」
「わたし、夏から純也さんとお付き合いしてるんです。でも、他の人には言わないで下さいね?」
「もちろんでございます、愛美様。わたくし、口は堅とうございますので」
「よかった……」



