拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~ 【改稿版】

「そんなに驚かなくても……。でも何より、こんなに空気の美味しい場所で食べられることが、一番のごちそうですよねー」

 昼食を平らげた愛美は、その場で伸びをした。
 
「うん、そうかもしれないな。何年ぶりだろう、こんなにのんびりできたの」

 純也さんはしみじみと言う。
 彼は普段、東京という大都会で時間に追われた生活を送っている。経営者には経営者なりの忙しさというものがあるんだろう。

「――あ、そういえば。去年の夏、わたし屋根裏部屋で、純也さんが子供の頃に好きだった本を見つけたんです」

 四月に寮に遊びに来てくれた時にも、五月に原宿へ行った時にも、純也さんに屋根裏部屋の話はしていなかったと、愛美は思い出した。

「えっ、屋根裏部屋? ――あそこ、まだあったんだ。もうとっくに物置と化してると思ってたよ」

「いえ、多恵さんがそのまんまにして下さってますよ。でね、その本をわたしも気に入っちゃって。そしたら多恵さんが、『愛美ちゃんにあげる』って。……ジャ~ン♪」

 愛美は自分のリュックの中からその冒険小説の本を取り出して、例の書き込みがある見開きを純也さんに見せた。

「うわ……。愛美ちゃん、見せなくていいって! なんか恥ずかしいから!」

「そうですかぁ? でもわたしにとっては、コレも純也さんの大事な成長の記録です。純也さんにもこんな時代があったんだなーって思ったら、楽しくて」

 黒歴史を暴露されたようで、慌てふためく純也さん。でも、愛美が楽しそうに話すので、彼女の笑顔を見るといとおしそうに目を細める。

「……まぁいいっか。――その本、面白いだろ? 愛美ちゃんも気に入ってくれてよかった。僕が読書好きになった原点だからね」

「はい。何回読んでも飽きないです。わたしもこんな小説が書けるようになりたいな。……あ」

「……ん?」

「わたし、文芸誌の公募に挑戦することにしたんです。で、短編を四作書いたんですけど、どれを応募しようか迷ってて……。純也さん、読んで感想を聞かせて下さいませんか? それを参考にして、応募作品を決めたいんで」

「いいけど、僕はけっこう辛口だよ?」

 ――なるほど、珠莉の言っていたことは正しいようだ。やっぱり純也さんの批評は厳しいようである。

「……分かってます。でも、できる限りお手柔らかにお願いしたいな……と」

「了解。できる限り……ね」

 純也さんはニッコリ笑った。けれど、ちょっと怖い。

(どうか全滅だけはまぬがれますように……!)

 一応、自分の文才は信じている愛美だけれど、ここは祈るしかなかった。書き手が「面白い」と思う作品と、読み手が「面白い」と感じる作品が必ずしも同じとは限らないのだ。

「――あ、そうだ。ホタルはいつ見に行く?」

「えっ、ホタル?」

 愛美は戸惑った。彼との電話でもメッセージのやり取りでも、一度もその話題には触れたことがなかったのに。強いて言うなら、春に彼と寮の部屋でお茶会をした時、「好きな人と見たい」と言ったくらいだった。
 〝あしながおじさん〟への手紙には、確かに「純也さんとホタルが見たい」と書いたことがあったけれど。どうしてそのことを、彼が知っているんだろう……?

「あー……、えっと。……田中さん! そうだ、田中さんから聞いたんだよ! 愛美ちゃんが僕とホタルを見たがってるってね」

「ああ、おじさまから聞いたんですね。なるほど。そういうことならぜひ一緒に見に行きたいです」

「じゃあ見に行こう。えーっと、今夜の天気は……」

 純也さんがスマホで天気予報を検索し始めたので、愛美もそれに(なら)った。

「――そのスマホカバー、使ってくれてるんだね」

 純也さんは愛美のスマホを見て、嬉しそうに言った。

「はい。あの日からずっと使ってます。だってコレは、純也さんが初めてわたしにプレゼントしてくれたものだから」

「そっか。大事に使ってくれてて嬉しいよ。――あ、今夜は曇りか。明日の夜は……」

 再び天気予報をチェックし始めた純也さんに、愛美が答える。

「明日の夜は晴れるみたいですね」

「よし! じゃあ明日の夜、ホタルを見に行こうか」

「はいっ! 楽しみです!」

 ――明日の夜、ついに念願が叶う! 愛美は心が躍り、そして――決意した。

(決めた! わたし、明日の夜、純也さんに告白する! ホタルの力を借りて……)

 今まで一年以上、ずっと彼に伝えられなかった想い。でも、ホタルに背中を押してもらえたなら、言えそうな気がした。


   * * * *


 ――翌日。この日は朝からよく晴れていて、暗くなってからもそのいいお天気は続いていた。

「わあ! キレイな星空……。ここから手を伸ばしたらつかめそう」

 ホタルが見られるという川辺まで歩いていく途中、愛美は満天の星空に歓声をあげた。
 一年前にもこの土地で同じように星空を眺めたけれど、今年の夏は好きな人と一緒。だからキレイな星もより光り輝いて見える。

「ホントだね。僕もこんなにキレイな星空、久しぶりに見たな」

 純也さんも頷く。
 東京ではこんなにキレイな星空は見えないだろうし、仕事に忙殺されていたら星空を見上げる心のゆとりもないのかもしれない。

 ――そして、愛美はこの時、ちょっとしたオシャレをしていた。

(純也さん、気づいてくれるかな……?)

 原宿の古着店を回って買った、ブルーのギンガムチェックのマキシ丈ワンピースに白い薄手のカーディガン。――愛美は小柄なので、サイズが合うものがなかなか見つからなくて苦労したのだ。
 足元はこれまた古着店で見つけた、ブルーのサンダル。少しヒールが高いので、若干歩きにくい。でも身長が高い純也さんに釣り合うように、どうしても履きたかった。