「――あ、多恵さん。いいお知らせです。純也さん、今年の夏はこちらに来られるそうですよ」
「あら、坊っちゃんが? でも、ウチには連絡なかったわよ。ねえ、お父さん?」
驚いた多恵さんは、首を傾げて夫である善三さんを見た。
「ああ、電話はなかったねぇ。愛美ちゃんはどうして知ってるんだい?」
「実はわたし、五月から純也さんと個人的に連絡取り合えるようになったんです。で、わたしが先月かな、お電話した時にそうおっしゃってたんで」
「そうなの? 知らなかったわ。でも、あの坊っちゃんが女の子と個人的に連絡を取るようになるなんて……。愛美ちゃんは、よっぽど坊っちゃんに気に入られてるのね。――で、坊っちゃんのご到着はいつごろになるの?」
「あ……、それはまだ分かんないです。お忙しいのか、その後連絡がなくて。さっき、わたしからもメッセージ送ってみたんで、そのうち折り返しがあると思います」
純也さんが、愛美からの連絡を無視するはずがない。連絡がないのは、本当に多忙だったからだろう。
愛美はスポーツバッグのポケットからスマホを取り出した。メッセージアプリを開いてみると、新幹線の車内から送ったメッセージはちゃんと既読になっている。
(純也さん、ちゃんと見てくれたんだ……。よかった)
彼はきっと、今日も仕事に追われているんだろう。社長は社長で、それなりに忙しいものだ。
それでも、愛美からのメッセージにはちゃんと目を通してくれている。愛美はそれだけで嬉しかった。
****
『拝啓、あしながおじさん。
長野の千藤農園に着いて、十日が過ぎました。
わたしは今年も農作業のお手伝いにお料理に学校の宿題に、それから公募用の原稿執筆にと忙しい夏休みを過ごしてます。そのおかげで、毎晩クタクタになってベッドに入っちゃうので、おじさまに手紙を書く時間もなくて。
多恵さんは最近手作りパンにこってるらしくて、わたしも毎日、佳織さんと一緒にお手伝いしてます。生地をこねたり、多恵さんが買ったばかりのホームベーカリーでパンがふっくら焼けるのを、お茶を飲みながら待ったり。すごく楽しいです☆ そして、焼きたてのパンはすごく美味しいです! おじさまにも食べて頂きたい。きっと喜んで下さると思います。
純也さんからは、まだ連絡がありません。わたしが送ったメッセージは見て下さったみたいなんですけど……。きっと忙しくて、返信する暇もないんだろうな。
短編小説は、プロットのできた四作のうち三作はもう書き上げてあって、もう一作もあと少しで書き上がります。純也さんがこちらにいらっしゃったら、さっそく読んでもらうつもりです。それまでに原稿が上がるのか、純也さんが先に来られるのか。わたしはドキドキしてます。
〝ドキドキ〟といえば……。わたし、この夏に純也さんに告白しようと思ってます。純也さんの方も、わたしのことを気に入って下さってるみたいだし。それよりも、この想いを抱えたままじゃわたし自身がおかしくなっちゃいそうで。だから結果なんて考えないで、自分の気持ちをそのまま彼に伝えます。
おじさまも、わたしの恋を見守ってて下さいますよね? ではまた。
七月三十日 愛美 』
****
「――愛美ちゃん! 佳織ちゃんと一緒にパン作り手伝ってー!」
「はーい! 多恵さん、今行きまーす!」
夏休みが始まって三週間余り。
この日の午後も、愛美はキッチンで多恵さんのパン作りのお手伝い。最初はド素人丸出しだった生地のこね方も、だいぶ板についてきた。今では愛美も、この時間が楽しみになっている。
「……あ、そうだ。スマホは持って行っといたほうがいいかな」
純也さんから、そろそろ連絡がくるかもしれない。愛美はスマホを自前のチェックのエプロンのポケットに入れて、キッチンへ下りていった。
「――わぁ! 愛美ちゃん、生地こねるのうまくなったね。あたしなんか、そうなるまでにあと一ヶ月はかかりそうだよ」
佳織さんが粉まみれになってパン生地を相手に悪戦苦闘しながら、愛美の手つきを惚れ惚れと眺めて言った。
「そうですか? まあ、元々お料理も好きだったし、楽しいと上達もしますよ」
手作りパンの経験はないし、もちろんパン屋さんで働いたこともないけれど。この後美味しいパンが食べられると思えば、こんなの苦労でも何でもない。
「――さ、こね方はこれくらいでいいでしょう。冷蔵庫で三十分くらい発酵させましょうね。二人とも、手を洗って」
「「はい」」
愛美が先に手を洗わせてもらい、タオルで手を拭いていると……。
♪ ♪ ♪ ……
愛美のエプロンのポケットで、スマホが着信を告げる。五秒以上鳴っているので、電話の着信らしい。
「――あ、純也さんからです。もしもし? 愛美です」
『愛美ちゃん? 純也だけど、今大丈夫かな?』
「はい、大丈夫です。今、キッチンで多恵さんと佳織さんと三人で、パン作りしてるんです」
『パン作り?』
純也さんがオウム返しにした。どうして多恵さんが急にそんな趣味にはしったのか、多分頭の中にクエスチョンマークを飛ばしているんだろう。
「はい。去年の冬くらいからハマってるらしいですよ。そのためにわざわざホームベーカリーまで買っちゃったって」
『……そうなんだ。善三さんも大変だな』
電話の向こうで、純也さんが苦笑いしている。
ホームベーカリーは決して安い買いものではないので、ねだられた善三さんに男同士の身として同情しているらしい。
「そうですね。――あ、多恵さんとお話しますか?」
『うん、代わってもらえるかな?』
「はーい。ちょっと待って。スピーカーにしますね」
愛美は笑って答えながら、スマホの通話画面のスピーカーボタンをタップして、作業台の上に置いた。これで、手を放していても話ができる。
「あら、坊っちゃんが? でも、ウチには連絡なかったわよ。ねえ、お父さん?」
驚いた多恵さんは、首を傾げて夫である善三さんを見た。
「ああ、電話はなかったねぇ。愛美ちゃんはどうして知ってるんだい?」
「実はわたし、五月から純也さんと個人的に連絡取り合えるようになったんです。で、わたしが先月かな、お電話した時にそうおっしゃってたんで」
「そうなの? 知らなかったわ。でも、あの坊っちゃんが女の子と個人的に連絡を取るようになるなんて……。愛美ちゃんは、よっぽど坊っちゃんに気に入られてるのね。――で、坊っちゃんのご到着はいつごろになるの?」
「あ……、それはまだ分かんないです。お忙しいのか、その後連絡がなくて。さっき、わたしからもメッセージ送ってみたんで、そのうち折り返しがあると思います」
純也さんが、愛美からの連絡を無視するはずがない。連絡がないのは、本当に多忙だったからだろう。
愛美はスポーツバッグのポケットからスマホを取り出した。メッセージアプリを開いてみると、新幹線の車内から送ったメッセージはちゃんと既読になっている。
(純也さん、ちゃんと見てくれたんだ……。よかった)
彼はきっと、今日も仕事に追われているんだろう。社長は社長で、それなりに忙しいものだ。
それでも、愛美からのメッセージにはちゃんと目を通してくれている。愛美はそれだけで嬉しかった。
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『拝啓、あしながおじさん。
長野の千藤農園に着いて、十日が過ぎました。
わたしは今年も農作業のお手伝いにお料理に学校の宿題に、それから公募用の原稿執筆にと忙しい夏休みを過ごしてます。そのおかげで、毎晩クタクタになってベッドに入っちゃうので、おじさまに手紙を書く時間もなくて。
多恵さんは最近手作りパンにこってるらしくて、わたしも毎日、佳織さんと一緒にお手伝いしてます。生地をこねたり、多恵さんが買ったばかりのホームベーカリーでパンがふっくら焼けるのを、お茶を飲みながら待ったり。すごく楽しいです☆ そして、焼きたてのパンはすごく美味しいです! おじさまにも食べて頂きたい。きっと喜んで下さると思います。
純也さんからは、まだ連絡がありません。わたしが送ったメッセージは見て下さったみたいなんですけど……。きっと忙しくて、返信する暇もないんだろうな。
短編小説は、プロットのできた四作のうち三作はもう書き上げてあって、もう一作もあと少しで書き上がります。純也さんがこちらにいらっしゃったら、さっそく読んでもらうつもりです。それまでに原稿が上がるのか、純也さんが先に来られるのか。わたしはドキドキしてます。
〝ドキドキ〟といえば……。わたし、この夏に純也さんに告白しようと思ってます。純也さんの方も、わたしのことを気に入って下さってるみたいだし。それよりも、この想いを抱えたままじゃわたし自身がおかしくなっちゃいそうで。だから結果なんて考えないで、自分の気持ちをそのまま彼に伝えます。
おじさまも、わたしの恋を見守ってて下さいますよね? ではまた。
七月三十日 愛美 』
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「――愛美ちゃん! 佳織ちゃんと一緒にパン作り手伝ってー!」
「はーい! 多恵さん、今行きまーす!」
夏休みが始まって三週間余り。
この日の午後も、愛美はキッチンで多恵さんのパン作りのお手伝い。最初はド素人丸出しだった生地のこね方も、だいぶ板についてきた。今では愛美も、この時間が楽しみになっている。
「……あ、そうだ。スマホは持って行っといたほうがいいかな」
純也さんから、そろそろ連絡がくるかもしれない。愛美はスマホを自前のチェックのエプロンのポケットに入れて、キッチンへ下りていった。
「――わぁ! 愛美ちゃん、生地こねるのうまくなったね。あたしなんか、そうなるまでにあと一ヶ月はかかりそうだよ」
佳織さんが粉まみれになってパン生地を相手に悪戦苦闘しながら、愛美の手つきを惚れ惚れと眺めて言った。
「そうですか? まあ、元々お料理も好きだったし、楽しいと上達もしますよ」
手作りパンの経験はないし、もちろんパン屋さんで働いたこともないけれど。この後美味しいパンが食べられると思えば、こんなの苦労でも何でもない。
「――さ、こね方はこれくらいでいいでしょう。冷蔵庫で三十分くらい発酵させましょうね。二人とも、手を洗って」
「「はい」」
愛美が先に手を洗わせてもらい、タオルで手を拭いていると……。
♪ ♪ ♪ ……
愛美のエプロンのポケットで、スマホが着信を告げる。五秒以上鳴っているので、電話の着信らしい。
「――あ、純也さんからです。もしもし? 愛美です」
『愛美ちゃん? 純也だけど、今大丈夫かな?』
「はい、大丈夫です。今、キッチンで多恵さんと佳織さんと三人で、パン作りしてるんです」
『パン作り?』
純也さんがオウム返しにした。どうして多恵さんが急にそんな趣味にはしったのか、多分頭の中にクエスチョンマークを飛ばしているんだろう。
「はい。去年の冬くらいからハマってるらしいですよ。そのためにわざわざホームベーカリーまで買っちゃったって」
『……そうなんだ。善三さんも大変だな』
電話の向こうで、純也さんが苦笑いしている。
ホームベーカリーは決して安い買いものではないので、ねだられた善三さんに男同士の身として同情しているらしい。
「そうですね。――あ、多恵さんとお話しますか?」
『うん、代わってもらえるかな?』
「はーい。ちょっと待って。スピーカーにしますね」
愛美は笑って答えながら、スマホの通話画面のスピーカーボタンをタップして、作業台の上に置いた。これで、手を放していても話ができる。



