拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~ 【改稿版】

「うん、全然。だって、まさかお兄ちゃんなんて……。ねえ珠莉、いつから?」

「五月に、原宿でお会いした時からよ。あの時からずっと気になっていて……」

「その時は〝恋〟って気づかなかったんだ? わたしもおんなじだったから分かるよ。初恋なんでしょ?」

 愛美も初恋だから、一年前は自分では恋に気づかなかったのだ。さやかに言われて初めて、「これが恋なんだ」と分かった。
 きっと、今の珠莉も同じなんだと思う。

「私もまさか、高校生になってから初めて恋をするなんて思ってもみませんでしたわ。今までにも男性と知り合う機会はありましたけど、治樹さんはその誰とも違ってましたの」

(……あ。わたしが純也さんに言われたこととおんなじだ)

 愛美は思った。セレブの人たちって、一体どんな異性と知り合うんだろう? と。
 みんながみんなお金目当てとか、打算で近づいてくるような人ばかりだったら、恋なんてできるわけがない。
 したところで、本気で自分を好きになってくれない人を好きになったって虚しいだけだし……。

「お兄ちゃん……ねぇ。言っちゃ悪いけど、あんまりオススメできないよ? 可愛い女の子には目がないし、愛美だってターゲットにされたもん。秒でフラれたけど」

 兄の性格を知り尽くしている妹としては、さやかも珠莉と兄がくっつくことをあまりよくは思っていないらしい。
 それは兄のためではなく、珠莉があの兄のせいで泣くところを見たくないという、友情に基づいての忠告だったのだけれど。

「あら! でも、少なくともあの人には打算っていうものはないでしょう? それに、好きになった女性のことは絶対に大事にする方なんでしょう? でしたら何の問題もありませんわ」

「う……、まぁ。お兄ちゃんはそういう人だけど……」

 〝恋は盲目(もうもく)〟というのか、珠莉はすっかり治樹さんが「女性を大事にできるステキな男性」だと思い込んでいるようで。

「さやかちゃん。こうなったらもう、珠莉ちゃんの背中押したげるしかないんじゃない? 親友として」

「…………だね。しょうがないかぁ」

 さやかは渋々、愛美の言葉に頷いた。

「――ところでさ、愛美。ここでのんびり喋ってていいの? もうゴハンは食べ終わってるみたいだけど、午後から部活じゃなかったっけ?」

「えっ? ……わ、もうすぐ一時!? ごちそうさまでした! わたし、もう行くねっ!」

 愛美はイの一番に部室へ行って、文芸コンテストに応募する短編小説の構想を何作分か練っておくつもりだったのだ。

「さやかちゃんは、まだ行かなくていいの? 部活出るんじゃ……」 

 自分の食器を片付け、スクールバッグを取り上げて食堂を出ていこうとした愛美は、ふと思い出した。

「うん、あたしはまだいいの。部活は二時からだから」

「そっか。今日も暑いから気をつけてね。じゃあお先に!」


   * * * *


 ――愛美は来た道を引き返し、文芸部の部室へ。

「あ、愛美先輩! こんにちは」

 部室内には、すでに一年生の部員が一人来ていた。彼女は大きな机の前に座り、資料として置いてある小説を読んでいたけれど、愛美に気づくと立ち上がって頭をペコリと下げた。

「こんにちは。あらら、一番乗りはわたしじゃなかったかぁ。残念」

「でも、先輩だって二番目に早かったですよ。私はこの秋の部主催のコンテストに向けて、作品の構想を練ろうと思って」

「へえ、そうなんだ? わたしもなの。でもね、わたしは雑誌の文芸コンテストに応募するつもりなんだよ」

 部活動に熱心なのは、この後輩も同じらしい。もちろん張り合いたいわけではないので、愛美はあくまで控えめに彼女に言った。

「スゴいなぁ。先輩、公募目指してるんですか? 志が高くて羨ましいです」

「別に、そんなことないと思うけどな。小説家になるのが、わたしの小さい頃からの夢だったから」

「いえいえ、ますますスゴいですよ! もしかしたら、この部から現役でプロの作家が誕生するかもしれないってことですよね?」

「……こらこら。おだてても何も出ないよ、()()()ちゃん」

 和田(わだ)(はら)絵梨奈。――これが彼女の名前である。
 絵梨奈は愛美と同じ日に入部した女の子で、新入部員の中では愛美のことを一番慕ってくれている。

「じゃあ、絵梨奈ちゃんは自分のことに集中して。わたしも何か参考資料探そうかな……」

「はーい☆」

 絵梨奈がまた本に意識を戻したのを見届けて、愛美も本棚を物色し始めた。

   
   * * * *


 ――その日部室で、四作ほどの大まかなプロットを作り終えた愛美は、ちょっとした達成感を得て寮の部屋に帰った。このコンテストは手書き原稿を受け付けていないらしいので、今回はパソコンでの執筆に挑戦するつもりだ。

「ただいまー」

「お帰りなさい、愛美さん」

「お帰りー。お疲れさん」

 部屋には珠莉と、部活を終えたさやかもいた。部屋のバスルームでシャワーを済ませた後なのか、さやかの髪は少し濡れている。

「さやかちゃんも、部活お疲れさま。大丈夫? バテてない?」

「ああ、平気平気☆ めっちゃ汗かいたから、先にシャワー使わせてもらったし。こうして水分と塩分補給してるから」

 さすがはアスリートだ。彼女が飲んでいるのは、水分と塩分が両方摂れるスポーツドリンクだった。

「愛美も飲む?」

「うん、ありがと。もらおっかな。グラス持ってくるよ」

 愛美がキッチンから取ってきたグラスに、さやかが五〇〇ml(ミリリットル)のペットボトルからスポーツドリンクを注いでくれた。