「もしもし? 相川ですけど、どちらさまですか?」
『恐れ入りますが、相川愛美さまの携帯でお間違いないでしょうか』
聞こえてきたのは、穏やかな初老と思しき男性の声。
「はい、そうですけど。……あの」
『失礼。申し遅れました。私、田中太郎氏の秘書を務めております、久留島栄吉と申します』
「久留島さん? ……ああ、あなたが! いつも何かとお気遣い頂いてありがとうございます」
まさか、〝あしながおじさん〟の秘書から電話がかかってくるなんて……! 普段から何かとお世話になっているので、愛美はまず彼にお礼を言った。
『いえいえ。私はただ、ボスの言いつけに従って自分の務めを果たしているだけですので』
「……そうですか」
(なんか腰の低い人だなぁ。「ボス」なんて、おじさまの方がこの人より絶対若いのに。よっぽど慕ってるんだ)
〝ボス〟という言い方にも、彼の雇い主への愛情というか、信愛が感じられる。
『――ところで愛美お嬢さん、奨学金の申請書についてですが。私のボスがキチンと記入・捺印して学校の事務局に送り返したことは、もうお聞きになっていますか?』
「はい、今さっき伺いました」
『さようでございますか。では、お嬢さんの大学進学にも賛成だということは?』
そのことは、上村先生からは何も聞いていない。
「いえ、それは伺ってませんけど。なんか意外だったんで、ちょっと驚きました」
『意外、とおっしゃいますのは?』
「わたし、田中さんに反対されると思ってたんです。奨学金のことも、わたしが大学に進むことも。だって、田中さんにしてみたら、『自分はもう、保護者としてお払い箱なのか』って思うかもしれないでしょう? 自分には頼ってくれないのに、大学には進みたいのかって。それって、自分でも勝手だなと思ってるんで」
将来的に、出してもらったお金を返すつもりだということは、久留島さんにも言わないことにした。それが万が一〝あしながおじさん〟の耳に入って、今の関係がこじれてしまうのはイヤだから。
『いえいえ、そんなことはございませんよ。ボスの一番の望みは、お嬢さんが有意義で充実した学校生活を送られることなんです。奨学金がその役に立つなら、ボスに反対する理由はございません』
「はい……」
『大学へお進みになることもそうでございますよ。お嬢さんが本気で小説家を目指しておいでなのでしたら、ぜひ大学へも進まれるべきだとボスは申しておりました。学費を出す必要がなくなっても、できることは何でもするから、と』
「そうですか。――あの、わたし、奨学金で学費が要らなくなっても、毎月のお小遣いは頂くつもりでいるので」
奨学金で学費や寮費は賄われても、個人的に必要な細々した生活費などまでは面倒を見てくれない。
愛美だって今時の女子高生なのだ。欲しいものもそれなりにあるし、趣味に使うお金も必要になる。そうなるとやっぱり、お小遣いは必要不可欠だ。
『さようでございますか! では、ボスにそのように伝えますね。――ところでですね、もうすぐ夏休みでございますが、今年はいかがなさいますか?』
「ああ、それならもう決まってますよ。今年も、長野の千藤農園さんにお世話になろうと思ってます」
『かしこまりました。では、そのようにこちらで手配しておきます。どうぞ、楽しい夏休みをお過ごし下さい』
「ありがとうございます。……あの、一つお訊きしたいことがあるんですけど」
『はい、何でございましょうか?』
愛美にはずっと気になっていることがあった。自分に好きな人ができたことについて、〝あしながおじさん〟はどう思っているんだろう? と。
「わたし今、好きな人がいるんですけど。そのことで、田中さんはあなたに何かおっしゃってましたか? グチでも何でもいいんですけど」
世の中の父親は、娘に彼氏ができることが面白くないらしいと聞いたことがあった。
〝あしながおじさん〟はいわば、愛美の父親代わりである。やっぱり、娘のような愛美に好きな男がいることは面白くないのだろうか?
『いいえ、特には何も申しておりませんでしたが。なぜでしょう?』
「わたしからの手紙、このごろその人のことばっかり書いてるので……。田中さんが呆れてらっしゃるかな……と思って」
ここ一年近く、特にこの数ヶ月の手紙は、もうほとんどが純也さんについての内容で埋め尽くされていた。愛美自身、ノロケっぱなしで胃もたれしそうなくらいなのだ。
すると、久留島さんは笑いながらこう答えた。
『呆れているご様子はなかったかと存じます。むしろお喜びでございますよ。「小説家になるうえでの想像力を養うにも、恋はした方がいいから」と。お嬢さんくらいの年頃でしたら、好きなお方がいない方が不思議だ、ともボスは申しておりました』
「そう……ですか」
『はい。ですから、何もボスの機嫌を伺うようなことはなさらなくても大丈夫でございますよ。思う存分、青春を謳歌なさいませ。――では、千藤農園にはこちらから連絡させて頂きますので。突然のお電話、失礼致しました』
「はい、ありがとうございます」
電話が切れると、愛美はスマホの画面を見つめたまましばらくその場に立ち尽くした。
(おじさま、わたしに好きな人がいることが嬉しいなんて……。どうしてだろう?)
純也さんが自分の知り合いで、信頼できる人だから? それとも――。
「まさか、本人だから……?」
そういえば、『あしながおじさん』ではジュディの好きな人と〝あしながおじさん〟が同一人物だった。――でも、いくら何でもそこまで同じだと考えるのはベタすぎる。
「……なワケないか。行こ」
一人で納得して呟き、愛美はスマホをポケットにしまって、食堂に向けてまた歩き出した。
『恐れ入りますが、相川愛美さまの携帯でお間違いないでしょうか』
聞こえてきたのは、穏やかな初老と思しき男性の声。
「はい、そうですけど。……あの」
『失礼。申し遅れました。私、田中太郎氏の秘書を務めております、久留島栄吉と申します』
「久留島さん? ……ああ、あなたが! いつも何かとお気遣い頂いてありがとうございます」
まさか、〝あしながおじさん〟の秘書から電話がかかってくるなんて……! 普段から何かとお世話になっているので、愛美はまず彼にお礼を言った。
『いえいえ。私はただ、ボスの言いつけに従って自分の務めを果たしているだけですので』
「……そうですか」
(なんか腰の低い人だなぁ。「ボス」なんて、おじさまの方がこの人より絶対若いのに。よっぽど慕ってるんだ)
〝ボス〟という言い方にも、彼の雇い主への愛情というか、信愛が感じられる。
『――ところで愛美お嬢さん、奨学金の申請書についてですが。私のボスがキチンと記入・捺印して学校の事務局に送り返したことは、もうお聞きになっていますか?』
「はい、今さっき伺いました」
『さようでございますか。では、お嬢さんの大学進学にも賛成だということは?』
そのことは、上村先生からは何も聞いていない。
「いえ、それは伺ってませんけど。なんか意外だったんで、ちょっと驚きました」
『意外、とおっしゃいますのは?』
「わたし、田中さんに反対されると思ってたんです。奨学金のことも、わたしが大学に進むことも。だって、田中さんにしてみたら、『自分はもう、保護者としてお払い箱なのか』って思うかもしれないでしょう? 自分には頼ってくれないのに、大学には進みたいのかって。それって、自分でも勝手だなと思ってるんで」
将来的に、出してもらったお金を返すつもりだということは、久留島さんにも言わないことにした。それが万が一〝あしながおじさん〟の耳に入って、今の関係がこじれてしまうのはイヤだから。
『いえいえ、そんなことはございませんよ。ボスの一番の望みは、お嬢さんが有意義で充実した学校生活を送られることなんです。奨学金がその役に立つなら、ボスに反対する理由はございません』
「はい……」
『大学へお進みになることもそうでございますよ。お嬢さんが本気で小説家を目指しておいでなのでしたら、ぜひ大学へも進まれるべきだとボスは申しておりました。学費を出す必要がなくなっても、できることは何でもするから、と』
「そうですか。――あの、わたし、奨学金で学費が要らなくなっても、毎月のお小遣いは頂くつもりでいるので」
奨学金で学費や寮費は賄われても、個人的に必要な細々した生活費などまでは面倒を見てくれない。
愛美だって今時の女子高生なのだ。欲しいものもそれなりにあるし、趣味に使うお金も必要になる。そうなるとやっぱり、お小遣いは必要不可欠だ。
『さようでございますか! では、ボスにそのように伝えますね。――ところでですね、もうすぐ夏休みでございますが、今年はいかがなさいますか?』
「ああ、それならもう決まってますよ。今年も、長野の千藤農園さんにお世話になろうと思ってます」
『かしこまりました。では、そのようにこちらで手配しておきます。どうぞ、楽しい夏休みをお過ごし下さい』
「ありがとうございます。……あの、一つお訊きしたいことがあるんですけど」
『はい、何でございましょうか?』
愛美にはずっと気になっていることがあった。自分に好きな人ができたことについて、〝あしながおじさん〟はどう思っているんだろう? と。
「わたし今、好きな人がいるんですけど。そのことで、田中さんはあなたに何かおっしゃってましたか? グチでも何でもいいんですけど」
世の中の父親は、娘に彼氏ができることが面白くないらしいと聞いたことがあった。
〝あしながおじさん〟はいわば、愛美の父親代わりである。やっぱり、娘のような愛美に好きな男がいることは面白くないのだろうか?
『いいえ、特には何も申しておりませんでしたが。なぜでしょう?』
「わたしからの手紙、このごろその人のことばっかり書いてるので……。田中さんが呆れてらっしゃるかな……と思って」
ここ一年近く、特にこの数ヶ月の手紙は、もうほとんどが純也さんについての内容で埋め尽くされていた。愛美自身、ノロケっぱなしで胃もたれしそうなくらいなのだ。
すると、久留島さんは笑いながらこう答えた。
『呆れているご様子はなかったかと存じます。むしろお喜びでございますよ。「小説家になるうえでの想像力を養うにも、恋はした方がいいから」と。お嬢さんくらいの年頃でしたら、好きなお方がいない方が不思議だ、ともボスは申しておりました』
「そう……ですか」
『はい。ですから、何もボスの機嫌を伺うようなことはなさらなくても大丈夫でございますよ。思う存分、青春を謳歌なさいませ。――では、千藤農園にはこちらから連絡させて頂きますので。突然のお電話、失礼致しました』
「はい、ありがとうございます」
電話が切れると、愛美はスマホの画面を見つめたまましばらくその場に立ち尽くした。
(おじさま、わたしに好きな人がいることが嬉しいなんて……。どうしてだろう?)
純也さんが自分の知り合いで、信頼できる人だから? それとも――。
「まさか、本人だから……?」
そういえば、『あしながおじさん』ではジュディの好きな人と〝あしながおじさん〟が同一人物だった。――でも、いくら何でもそこまで同じだと考えるのはベタすぎる。
「……なワケないか。行こ」
一人で納得して呟き、愛美はスマホをポケットにしまって、食堂に向けてまた歩き出した。



