「じゃあ……、電話してみる」
愛美は二人のいる前でスマホを出して、純也さんの番号をコールしてみた。〝善は急げ〟である。
『――はい』
「純也さん、愛美です。夜遅くにゴメンなさい。今、大丈夫ですか?」
『うーん、大丈夫……ではないかな。ゴメンね、今ちょっと出先で』
純也さんは声をひそめているらしい。出先ということは、仕事関係の接待か何かだろうか?
「あっ、お仕事ですか? お忙しい時にゴメンなさい。後でかけ直した方がいいですよね?」
『いや、僕一人抜けたところで、何の支障もないから。――それよりどうしたの?』
「えっ? えーっと……」
純也さんも忙しいようだし、あまり長話はできない。愛美は簡潔に要点だけを伝えることにした。
「……実は、純也さんに相談に乗って頂きたいことがあって。電話じゃ長くなりそうなんで、ホントは会ってお話ししたいんですけど。何とか時間作って頂けませんか?」
電話の向こうで純也さんが「う~~ん」と唸り、十数秒が過ぎた。
『そうだなぁ……、しばらく仕事が立て込んでるからちょっと。でも、夏には休暇取って、多恵さんのところの農園に行けそうだから、その時でもいいかな? ちょっと先になるけど』
「はい、大丈夫です! 急ぎの相談じゃないから。――いつごろになりそうですか? 休暇」
この夏は、純也さんと一緒に過ごせる! それだけで、愛美の胸は躍るようだった。
『まだハッキリとは分からないな。また僕から連絡するよ』
「分かりました。じゃあ、連絡待ってますね。失礼します」
愛美は丁寧にそう言って、通話終了の赤いボタンをタップした。
今すぐには相談に乗ってもらえなかったけれど、電話で純也さんの声を聞けて、しかも夏休みには彼と一緒に過ごせると分かっただけでも、愛美の気持ちは少し楽になった――。
* * * *
――その数週間後。すでに七月に入っていたある日。
「相川さん、ちょっと」
短縮授業期間のため、午前の授業を終えて帰り支度をしていた愛美は、上村先生に手招きされた。
「――先生? どうしたんですか?」
「あなたの保護者の方から、今さっき奨学金の申請書が送り返されてきたそうよ」
「えっ、そうなんですか? それで、必要事項は――」
もしも白紙で(愛美が埋めたところ以外は、という意味で)戻ってきたのなら、〝あしながおじさん〟は愛美が奨学金を受けることに反対。キチンと書かれていたのなら、反対はされなかったということなのだけれど。
「キチンと埋められていたそうよ。というわけで、奨学金の申請はこれで無事に終わり。審査の結果は夏休み中に分かるはずだから、事務局からあなたに直接連絡があると思うわよ」
「そうですか……。分かりました。知らせて下さってありがとうございます」
愛美は半信半疑ながらも、担任の先生にお礼を言った。
(おじさま、反対しなかったんだ。――あれ? でも『あしながおじさん』のお話の中では……)
あの物語の中では、ジュディが奨学金を受けることに〝あしながおじさん〟は猛反対で、何度も何度もグダグダと文句を書き連ねた手紙を秘書に出させていた。――あれは、彼女が自分の手を離れるのがイヤでやったことだと思うのだけれど……。
(じゃあ、わたしの方のおじさまには、わたしの自立を後押ししたいって気持ちがあるってことなのかな?)
「――ところで、今日は午後から文芸部の活動があるけど。相川さんは出られる?」
上村先生は、今度は文芸部顧問の顔になって愛美に訊ねた。
「はい、出るつもりです。この夏に、ちょっと応募してみたい文芸コンテストがあって。その構想を練ろうかな、って」
「そうなの? その年で公募にまでチャレンジするなんて、さすが小説家志望はダテじゃないわね」
「……はあ。でも、他の部員の人たちもそうなんじゃないですか? みんな書くのは好きみたいだし」
「そんなことないわよ。ほんの趣味程度にやってる子がほとんどね。プロの作家を目指してる子の方が珍しいくらいよ」
今年入ったばかりの一年生はまだどうか分からないけれど、二年生から上の部員はみんな文才がある。前年、部の主催で行われた短編小説コンテストでも、愛美以外の入選者はみんな文芸部の部員だった。
「文才があるからって、みんながみんなプロを目指してるわけじゃないの。お家の事情とか、色々あるんだから」
例えば医者の家系に育ったら、自分も医学の道に進むことが決められているとか。経営者の一族だったら、後継者にふさわしい婚約者(〝フィアンセ〟と言った方が正しいかもしれないけれど)がすでに決められているとか。
愛美は施設育ちだし、両親のこともよく覚えていないけれど、珠莉を見てきているから何となく分かる。
「そうですよね……。お嬢さまって大変なんだなぁ。――じゃあ先生、失礼します」
愛美は上村先生に挨拶をして、スクールバッグを提げて寮までの道を急いだ。――要するに、お腹がグーグー鳴っていたのだ。
「あ~、お腹すいたぁ。今日のお昼って何だっけ」
〈双葉寮〉の食堂のメニューは、朝昼夕とそれぞれ日替わりなのだ。好きなメニューが当たった日はハッピーだけれど、キライなものや苦手なメニューが出た日は一日ブルーでたまらなくなる。
……と、昼食メニューのことに意識を飛ばしながら早足で歩いていた愛美のスカートのポケットで、マナーモードにしていたスマホが振動した。
「……電話? 知らない番号だなぁ。誰からだろ?」
ディスプレイに表示されているのは、まったく見覚えのない携帯の番号。愛美は首を傾げながら、通話ボタンを押した。
愛美は二人のいる前でスマホを出して、純也さんの番号をコールしてみた。〝善は急げ〟である。
『――はい』
「純也さん、愛美です。夜遅くにゴメンなさい。今、大丈夫ですか?」
『うーん、大丈夫……ではないかな。ゴメンね、今ちょっと出先で』
純也さんは声をひそめているらしい。出先ということは、仕事関係の接待か何かだろうか?
「あっ、お仕事ですか? お忙しい時にゴメンなさい。後でかけ直した方がいいですよね?」
『いや、僕一人抜けたところで、何の支障もないから。――それよりどうしたの?』
「えっ? えーっと……」
純也さんも忙しいようだし、あまり長話はできない。愛美は簡潔に要点だけを伝えることにした。
「……実は、純也さんに相談に乗って頂きたいことがあって。電話じゃ長くなりそうなんで、ホントは会ってお話ししたいんですけど。何とか時間作って頂けませんか?」
電話の向こうで純也さんが「う~~ん」と唸り、十数秒が過ぎた。
『そうだなぁ……、しばらく仕事が立て込んでるからちょっと。でも、夏には休暇取って、多恵さんのところの農園に行けそうだから、その時でもいいかな? ちょっと先になるけど』
「はい、大丈夫です! 急ぎの相談じゃないから。――いつごろになりそうですか? 休暇」
この夏は、純也さんと一緒に過ごせる! それだけで、愛美の胸は躍るようだった。
『まだハッキリとは分からないな。また僕から連絡するよ』
「分かりました。じゃあ、連絡待ってますね。失礼します」
愛美は丁寧にそう言って、通話終了の赤いボタンをタップした。
今すぐには相談に乗ってもらえなかったけれど、電話で純也さんの声を聞けて、しかも夏休みには彼と一緒に過ごせると分かっただけでも、愛美の気持ちは少し楽になった――。
* * * *
――その数週間後。すでに七月に入っていたある日。
「相川さん、ちょっと」
短縮授業期間のため、午前の授業を終えて帰り支度をしていた愛美は、上村先生に手招きされた。
「――先生? どうしたんですか?」
「あなたの保護者の方から、今さっき奨学金の申請書が送り返されてきたそうよ」
「えっ、そうなんですか? それで、必要事項は――」
もしも白紙で(愛美が埋めたところ以外は、という意味で)戻ってきたのなら、〝あしながおじさん〟は愛美が奨学金を受けることに反対。キチンと書かれていたのなら、反対はされなかったということなのだけれど。
「キチンと埋められていたそうよ。というわけで、奨学金の申請はこれで無事に終わり。審査の結果は夏休み中に分かるはずだから、事務局からあなたに直接連絡があると思うわよ」
「そうですか……。分かりました。知らせて下さってありがとうございます」
愛美は半信半疑ながらも、担任の先生にお礼を言った。
(おじさま、反対しなかったんだ。――あれ? でも『あしながおじさん』のお話の中では……)
あの物語の中では、ジュディが奨学金を受けることに〝あしながおじさん〟は猛反対で、何度も何度もグダグダと文句を書き連ねた手紙を秘書に出させていた。――あれは、彼女が自分の手を離れるのがイヤでやったことだと思うのだけれど……。
(じゃあ、わたしの方のおじさまには、わたしの自立を後押ししたいって気持ちがあるってことなのかな?)
「――ところで、今日は午後から文芸部の活動があるけど。相川さんは出られる?」
上村先生は、今度は文芸部顧問の顔になって愛美に訊ねた。
「はい、出るつもりです。この夏に、ちょっと応募してみたい文芸コンテストがあって。その構想を練ろうかな、って」
「そうなの? その年で公募にまでチャレンジするなんて、さすが小説家志望はダテじゃないわね」
「……はあ。でも、他の部員の人たちもそうなんじゃないですか? みんな書くのは好きみたいだし」
「そんなことないわよ。ほんの趣味程度にやってる子がほとんどね。プロの作家を目指してる子の方が珍しいくらいよ」
今年入ったばかりの一年生はまだどうか分からないけれど、二年生から上の部員はみんな文才がある。前年、部の主催で行われた短編小説コンテストでも、愛美以外の入選者はみんな文芸部の部員だった。
「文才があるからって、みんながみんなプロを目指してるわけじゃないの。お家の事情とか、色々あるんだから」
例えば医者の家系に育ったら、自分も医学の道に進むことが決められているとか。経営者の一族だったら、後継者にふさわしい婚約者(〝フィアンセ〟と言った方が正しいかもしれないけれど)がすでに決められているとか。
愛美は施設育ちだし、両親のこともよく覚えていないけれど、珠莉を見てきているから何となく分かる。
「そうですよね……。お嬢さまって大変なんだなぁ。――じゃあ先生、失礼します」
愛美は上村先生に挨拶をして、スクールバッグを提げて寮までの道を急いだ。――要するに、お腹がグーグー鳴っていたのだ。
「あ~、お腹すいたぁ。今日のお昼って何だっけ」
〈双葉寮〉の食堂のメニューは、朝昼夕とそれぞれ日替わりなのだ。好きなメニューが当たった日はハッピーだけれど、キライなものや苦手なメニューが出た日は一日ブルーでたまらなくなる。
……と、昼食メニューのことに意識を飛ばしながら早足で歩いていた愛美のスカートのポケットで、マナーモードにしていたスマホが振動した。
「……電話? 知らない番号だなぁ。誰からだろ?」
ディスプレイに表示されているのは、まったく見覚えのない携帯の番号。愛美は首を傾げながら、通話ボタンを押した。



