「そうね。それは相川さんに任せるわ。私からの話は以上です」

「はい。先生、失礼します」

 ――職員室を後にした愛美は、寮までの帰り道を歩きながら考え込んでいた。

(奨学金……ねぇ。そりゃあ、受けられたらわたしも助かるけど……。おじさまは気を悪くしないのかな……?)

 彼はよかれと思って、厚意で愛美の援助に名乗りを上げたのだ。他に手助けしてくれる人がいないのなら、自分が――と。
 それに水を差されるようなことをされて、「もう援助は打ち切る」と言われてしまったら……?

(もちろん、奨学金でもわたしのお小遣いの分までは出ないから、それはこの先もありがたく受け取るつもりでいるけど)

 今までのようにはいかなくても、お小遣いの分だけでも愛美が甘えてくれたなら、〝あしながおじさん〟も自分のメンツが保てるんだろうか?

「こんなこと、純也さんに相談してもなぁ……」

 彼とは一ヶ月前に連絡先を交換してから、頻繁に電話やメッセージのやり取りを続けている。「困ったときには何でも相談して」とも言ってくれた。
 でも、こればっかりは他人の彼が口出ししていい問題ではない気がする。

「っていっても、もう手続きしちゃってるし。今更『やっぱりやめます』ってワケにもいかないし」

 本校舎から〈双葉寮〉まで帰るには、途中でグラウンドの横を通る。グラウンドでは、さやかが所属する陸上部が練習の真っ最中だった。

「――わあ、さやかちゃん速~い!」

 百メートル走のタイムを測っていた彼女は、十二秒台を叩き出していた。

「暑い中、頑張ってるなぁ」

 本人に聞いた話では、五月の大会でも準優勝したとか。この分だと夏のインターハイへの出場も確実で、今年は夏休み返上かもしれない、とか何とか。

「さやかちゃ~ん! お疲れさま~!」

 愛美は親友の練習のジャマにならないように、その場から大声で声援を送った。すると、タオルで汗を拭きながらさやかが駆け寄ってくる。

「愛美じゃん! さっきの走り、見てくれた?」

「うん! スゴい速かったねー」

 愛美は体育は得意でも苦手でもないけれど(()いて挙げるなら、球技は得意な方ではある)。さやかは体育の授業で、どんな種目も他のコたちの群を抜いている。
 中でも短距離走には、かなりの自信があるようで。

「でしょ? この分だと、マジで今年は夏休み返上かも。あ~、キャンプ行きたかったなぁ」

 インターハイに出られそうなことは嬉しいけれど、そのために夏休みの楽しみを諦めなければならない。――さやかは複雑そうだ。

「仕方ないよ。部活の方が大事だもんね」

「まあね……。ところで愛美、今帰り? ちょっと遅くない?」

 部活に出なかったわりには、帰りが遅いんじゃないかと、さやかは首を傾げた。

「うん。あの後ね、上村先生に呼ばれて職員室に行ってたから。大事な話があるって」

「〝大事な話〟? ってナニ?」

 さやかは今すぐにでも、その話の内容を知りたがったけれど。

「うん……。でもさやかちゃん、今部活中でしょ? ジャマしちゃ悪いから、寮に帰ってきてから話すよ。珠莉ちゃんも一緒に聞いてもらいたいし。――そろそろ練習に戻って」

「分かった。じゃあ、また後で!」

 さやかは愛美にチャッと手を上げ、来た時と同じく駆け足で他の部員たちのところへ戻っていった。


   * * * *


「――えっ、『奨学金申し込め』って?」

 その日の夕食後、愛美は部屋の共有スペースのテーブルで、担任の上村先生から聞かされた話をさやかと珠莉に話して聞かせた。

「うん。っていうか、その場で申請書も書いた。わたしが書かなきゃいけないところだけ、だけど」

「書いた、って……。愛美さんはそれでいいんですの?」

 珠莉は、愛美が自分の意思ではなく先生から無理強いされて書いたのでは、と心配しているようだけれど。

「うん、いいの。わたしもね、おじさまの負担がこれで軽くなるならいいかな、って思ってたし。いつかお金返すことになっても、その金額が少なくなった方が気がラクだから」

「お金……、返すつもりなんだ?」

「うん。おじさまは望んでないと思うけど、わたしはできたらそうしたい」

 愛美の意思は固い。元々自立心が強い彼女にとって、経済面で〝あしながおじさん〟に依存している今の状況では「自立している」ということにはならないのだ。
 もし彼がその返済分を受け取らなくても、愛美は返そうとすることだけで気持ちの上では自立できると思う。

「それにね、奨学金は大学に上がってからも受け続けてられるんだって。大学の費用まで、おじさまに出してもらうつもりはないから」

「それじゃあ、あなたも私たちと一緒に大学に進むつもりなのね?」

「うん。そのことも含めて、おじさまには手紙出してきたけど。さすがにこんな大事なこと、わたし一人じゃ決めらんないから」

 愛美はまだ未成年だから、自分の意思だけでは決められないこともまだまだたくさんある。そういう点では、彼女は〝カゴの中の鳥〟と同じなのかもしれない。

「おじさまが賛成して下さるかどうかは分かんないけどね。一応おじさまが保護者だから、筋は通さないと」

「律儀だねぇ、アンタ。何も進学のことまでいちいちお伺い立てなくても、自分で決めたらいいんじゃないの?」

「それじゃダメだと思ったの。誰か、大人の意見が聞きたくて。……でも、誰に相談していいか分かんないから」

「でしたら、純也叔父さまに相談なさったらどうかしら?」

「えっ、純也さんに!? どうして?」

 何の脈絡もなく、この話の流れで出てくるはずのない人の名前が珠莉の口から飛び出したので、愛美は面食らった。

「ええと……、そうそう! 叔父さまは愛美さんにとって、いちばん身近な大人でしょう? きっと喜んで相談に乗って下さいますわ。愛美さんの役に立てるなら、って」

「そ、そう……かな」

 珠莉は何だか、取って付けたような理由を言ったような気がするけれど……。他に相談相手がいないので、今は彼女の提案に乗っかるしかない。