――愛美たちの原宿散策から一ヶ月が過ぎ、横浜は今年も梅雨入りした。
「――愛美、あたしこれから部活だから。お先に」
終礼後、スポーツバッグを提げたさやかが愛美に言った。
「うん。暑いから熱中症に気をつけてね」
梅雨入りしたものの、今年はあまり雨が降らない。今日も朝からよく晴れていて蒸し暑い。屋外で練習する陸上部員のさやかには、この暑さはつらいかもしれない。
「あら、さやかさんもこれから部活? 私もですの」
「アンタはいいよねー。冷房の効いた部室で活動できるんだもん」
「そうでもないですわよ? お茶を点てるときのお湯は熱いし、着物も着なくちゃならないから」
珠莉は茶道部員である。さすがに活動のある日、毎回和装というわけではないけれど、定期的に野点を開催したりするので、大変は大変なのだ。
「へえー、そういうモンなんだぁ。どこの部も、ラクできるワケじゃないんだねー。――愛美も今日は部活?」
「ううん。文芸部は基本的に自由参加だから、わたしは今日は参加しないよ」
「え~~~~、いいなぁ。……じゃあ行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
親友二人を見送り、自分も教室を出ようと愛美が席を立つと――。
「相川さん、ちょっといいかしら?」
クラス担任の女性教師・上村早苗先生に呼び止められた。
彼女は四十代の初めくらいで、国語を担当している。また、愛美が所属している文芸部の顧問でもあるのだ。
「はい。何ですか?」
「あなた、今日は部活に参加しないのよね? じゃあこの後、ちょっと私に付き合ってもらってもいい? 大事な話があって」
「はあ、大事なお話……ですか? ――はい、分かりました」
(大事な話って何だろう? まさか、退学になっちゃうとか!?)
愛美は頷いたものの、内心では首を傾げ、イヤな予感に頭を振った。
(そんなワケないない! わたし、退学になるようなこと、何ひとつしてないもん!)
とはいうものの、先生から聞かされる話の内容の予想がまったくできない愛美は、小首を傾げつつ彼女のあとをついて行った。
* * * *
「――相川さん、ここで座って待っていてね。先生はちょっと事務室でもらってくるものがあるから」
「はい」
通されたのは職員室。上村先生は、その一角の応接スペースで待っているように愛美に伝えた。
(……事務室でもらってくるものって何だろ? ますます何のお話があるのか分かんない)
愛美は言われた通りにソファーに浅く腰かけ、一人首を捻る。
事務室といえば、管理しているのは生徒の名簿や成績や、学費・寮費などのお金関係。
(おじさまに限って、学費の振り込みが滞ってるなんてことはなさそうだしなぁ)
〝あしながおじさん〟は律儀な人だと、愛美もよく知っている。間違いなく、この学校の費用は毎月キッチリ納められているだろう。
ということは、それ関係の話ではないということだろうか?
「――お待たせ、相川さん。あなたに話っていうのはね、――実は、あなたに奨学金の申請を勧めたいの」
「えっ、奨学金?」
思ってもみない話に、愛美は瞬いた。
「ええ、そうよ。あなたは施設出身で、この学校の費用を出して下さってる方も身内の方じゃないんでしょう?」
「え……、はい。そうですけど」
上村先生は何が言いたいんだろう? 保護者が身内じゃないなら、それが何だというんだろう?
「ああ、気を悪くしたならゴメンなさい。言い方を変えるわね。……えっと、あなたは入学してから、常に優秀な成績をキープしてるわ。そしてあなた自身、『いつまでも田中さんの援助に頼っていてはいけない』と思ってる。違うかしら?」
「それは……」
図星だった。愛美自身、〝あしながおじさん〟からの援助はずっと続くわけではないと思っていた。いつかは自立しなければ、と。
そして、ちゃんと独り立ちできた時には、彼が出してくれた学費と寮費分くらいは返そうと決めていたのだ。
「この奨学金はね、これから先の学費と寮費を全額賄える金額が事務局から出るの。大学に進んでからも引き続き受けられるから、保護者の方のご負担も軽くなるんじゃないかしら。大学の費用は、高校より高額だから」
「はあ……」
大学進学後も受けられるなら、愛美としては願ったり叶ったりだ。大学の費用まで、〝あしながおじさん〟に出してもらうつもりはなかったから。そこまでしてもらうくらいなら、大学進学を諦める方がマシというものである。
「まあ、一応審査もあるから、申請したからって必ず受けられるものでもないんだけれど。あなたの事情や成績なら、審査に通る確率は高いと思うの。これが申請用紙よ」
上村先生はそう言って、ローテーブルの上に一枚の書類を置いた。
「あなたが記入する欄だけ埋めてくれたら、あとは事務局から保護者の方のところに直接書類を郵送して、そこに必要事項を記入・捺印して送り返して頂くから。それで申請の手続きは完了よ」
「分かりました。――わたしが書くところは……。あの、ペンをお借りしてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
愛美は上村先生のボールペンを借りて、本人が記入すべき箇所をその場で埋めていく。
「――先生、これで大丈夫ですか?」
「書けた? ……はい、大丈夫。じゃあ、すぐに相川さんの保護者の方宛てに郵送しておくわね」
「先生、このこと……わたしからも伝えておいた方がいいですか? 田中さんに」
こんなに大事なことを、愛美ひとりで決められるはずがない。学校の事務局から書類が送られるにしても、念のため愛美からもお願いしておいた方がいいと思ったのだ。
だいいち、〝あしながおじさん〟が「もう自分の援助は必要ないのか」とヘソを曲げないとも限らないし――。
「――愛美、あたしこれから部活だから。お先に」
終礼後、スポーツバッグを提げたさやかが愛美に言った。
「うん。暑いから熱中症に気をつけてね」
梅雨入りしたものの、今年はあまり雨が降らない。今日も朝からよく晴れていて蒸し暑い。屋外で練習する陸上部員のさやかには、この暑さはつらいかもしれない。
「あら、さやかさんもこれから部活? 私もですの」
「アンタはいいよねー。冷房の効いた部室で活動できるんだもん」
「そうでもないですわよ? お茶を点てるときのお湯は熱いし、着物も着なくちゃならないから」
珠莉は茶道部員である。さすがに活動のある日、毎回和装というわけではないけれど、定期的に野点を開催したりするので、大変は大変なのだ。
「へえー、そういうモンなんだぁ。どこの部も、ラクできるワケじゃないんだねー。――愛美も今日は部活?」
「ううん。文芸部は基本的に自由参加だから、わたしは今日は参加しないよ」
「え~~~~、いいなぁ。……じゃあ行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
親友二人を見送り、自分も教室を出ようと愛美が席を立つと――。
「相川さん、ちょっといいかしら?」
クラス担任の女性教師・上村早苗先生に呼び止められた。
彼女は四十代の初めくらいで、国語を担当している。また、愛美が所属している文芸部の顧問でもあるのだ。
「はい。何ですか?」
「あなた、今日は部活に参加しないのよね? じゃあこの後、ちょっと私に付き合ってもらってもいい? 大事な話があって」
「はあ、大事なお話……ですか? ――はい、分かりました」
(大事な話って何だろう? まさか、退学になっちゃうとか!?)
愛美は頷いたものの、内心では首を傾げ、イヤな予感に頭を振った。
(そんなワケないない! わたし、退学になるようなこと、何ひとつしてないもん!)
とはいうものの、先生から聞かされる話の内容の予想がまったくできない愛美は、小首を傾げつつ彼女のあとをついて行った。
* * * *
「――相川さん、ここで座って待っていてね。先生はちょっと事務室でもらってくるものがあるから」
「はい」
通されたのは職員室。上村先生は、その一角の応接スペースで待っているように愛美に伝えた。
(……事務室でもらってくるものって何だろ? ますます何のお話があるのか分かんない)
愛美は言われた通りにソファーに浅く腰かけ、一人首を捻る。
事務室といえば、管理しているのは生徒の名簿や成績や、学費・寮費などのお金関係。
(おじさまに限って、学費の振り込みが滞ってるなんてことはなさそうだしなぁ)
〝あしながおじさん〟は律儀な人だと、愛美もよく知っている。間違いなく、この学校の費用は毎月キッチリ納められているだろう。
ということは、それ関係の話ではないということだろうか?
「――お待たせ、相川さん。あなたに話っていうのはね、――実は、あなたに奨学金の申請を勧めたいの」
「えっ、奨学金?」
思ってもみない話に、愛美は瞬いた。
「ええ、そうよ。あなたは施設出身で、この学校の費用を出して下さってる方も身内の方じゃないんでしょう?」
「え……、はい。そうですけど」
上村先生は何が言いたいんだろう? 保護者が身内じゃないなら、それが何だというんだろう?
「ああ、気を悪くしたならゴメンなさい。言い方を変えるわね。……えっと、あなたは入学してから、常に優秀な成績をキープしてるわ。そしてあなた自身、『いつまでも田中さんの援助に頼っていてはいけない』と思ってる。違うかしら?」
「それは……」
図星だった。愛美自身、〝あしながおじさん〟からの援助はずっと続くわけではないと思っていた。いつかは自立しなければ、と。
そして、ちゃんと独り立ちできた時には、彼が出してくれた学費と寮費分くらいは返そうと決めていたのだ。
「この奨学金はね、これから先の学費と寮費を全額賄える金額が事務局から出るの。大学に進んでからも引き続き受けられるから、保護者の方のご負担も軽くなるんじゃないかしら。大学の費用は、高校より高額だから」
「はあ……」
大学進学後も受けられるなら、愛美としては願ったり叶ったりだ。大学の費用まで、〝あしながおじさん〟に出してもらうつもりはなかったから。そこまでしてもらうくらいなら、大学進学を諦める方がマシというものである。
「まあ、一応審査もあるから、申請したからって必ず受けられるものでもないんだけれど。あなたの事情や成績なら、審査に通る確率は高いと思うの。これが申請用紙よ」
上村先生はそう言って、ローテーブルの上に一枚の書類を置いた。
「あなたが記入する欄だけ埋めてくれたら、あとは事務局から保護者の方のところに直接書類を郵送して、そこに必要事項を記入・捺印して送り返して頂くから。それで申請の手続きは完了よ」
「分かりました。――わたしが書くところは……。あの、ペンをお借りしてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
愛美は上村先生のボールペンを借りて、本人が記入すべき箇所をその場で埋めていく。
「――先生、これで大丈夫ですか?」
「書けた? ……はい、大丈夫。じゃあ、すぐに相川さんの保護者の方宛てに郵送しておくわね」
「先生、このこと……わたしからも伝えておいた方がいいですか? 田中さんに」
こんなに大事なことを、愛美ひとりで決められるはずがない。学校の事務局から書類が送られるにしても、念のため愛美からもお願いしておいた方がいいと思ったのだ。
だいいち、〝あしながおじさん〟が「もう自分の援助は必要ないのか」とヘソを曲げないとも限らないし――。



