――それから半年が過ぎ、季節は春。愛美が〈わかば園〉を巣立つ日がやってきた。
「――愛美ちゃん、忘れ物はない?」
「はい、大丈夫です」
大きなスポーツバッグ一つを下げて旅立っていく愛美に、聡美園長が訊ねた。
「大きな荷物は先に寮の方に送っておいたから。何も心配しないで行ってらっしゃい」
「はい……」
十年以上育ててもらった家。旅立つのが名残惜しくて、愛美はなかなか一歩踏み出せずにいる。
「愛美ちゃん、もうタクシーが来るから出ないと。ね?」
園長だって、早く彼女を追いだしたいわけではないので、そっと背中を押すように彼女を促した。
「はい。……あ、リョウちゃん」
愛美は園長と一緒に見送りに来ている涼介に声をかけた。
「ん? なに、愛美姉ちゃん?」
「これからは、リョウちゃんが一番お兄ちゃんなんだから。みんなのことお願いね。先生たちのこと助けてあげるんだよ?」
この役目も、愛美から涼介にバトンタッチだ。
「うん、分かってるよ。任せとけって」
「ありがとね。――園長先生、今日までお世話になりました!」
愛美は目を潤ませながら、それでも元気にお礼を言った。
――動き出したタクシーの窓から、だんだん小さくなっていく〈わかば園〉の外観を切なく眺めながら、愛美は心の中で呟いた。
(さよなら、わかば園。今までありがとう)
駅に向かう道のりは長い。朝早く起きた愛美は襲ってきた眠気に勝てず、いつの間にか眠っていた――。
* * * *
JR甲府駅から特急で静岡県の新富士駅まで出て、そこから新横浜駅までは新幹線。
そこまでの切符は全て、〝田中太郎〟氏が買ってくれていた。
(田中さんって人、太っ腹だなあ。入試の時の往復の交通費も出して下さったし)
新幹線の車窓から富士山を眺めつつ、愛美は感心していた。
自分が指定した高校を受験するからといって、一人の女の子に対してそこまで気前よくするものだろうか? もし合格していなかったら、入試の日の交通費はドブに捨てるようなものなのに。
(ホントにその人、女の子苦手なのかな……?)
園長先生がそんなことを言っていた気がするけれど。自分にここまでしてくれる人が、女の子が苦手だとはとても思えない。
もしも本当にそうなのだとしたら、何か事情があるのかもしれない。
愛美が目指す私立茗倫女子大付属高校は山手の方にあるので、新横浜からは地下鉄に乗り換えなければならないのだけれど。
「……あれ? 乗り換えの駅はどこ~?」
早くも複雑怪奇な地下街で迷子になってしまった。
スマホがあれば行き方を検索することもできるけれど、残念ながら愛美はスマホを持っていないし持ったこともない。
目の前にはパン屋さんがあり、美味しそうな匂いがしてくる。
「お腹すいたなあ……」
お昼を過ぎているし、昼食代わりにパンを買って食べるのもいいかもしれない。
愛美は美味しそうな焼きたてメロンパンを買うついでに、店員さんに山手に行く路線の駅を訊ねた。店員のお姉さんは親切な人で、愛美にキチンと教えてくれた。
券売機で切符を買い、改札を抜け、ホームでメロンパンをかじりながら電車を待つ。
施設にいた頃には、こんな経験をしたことがなかった。自分で切符を買うのも、人に道を訊ねるのも初めての経験で、愛美はドキドキしっぱなしだ。
「次は、どんなドキドキが待ってるんだろう?」
自動販売機で買ったカフェラテを飲みながら、愛美はワクワクする気持ちを言葉にして言った。
* * * *
――茗倫女子大付属高校は〝名門〟というだけのことはあって、敷地だけでも相当な広さを誇っている。愛美が通っていた地元の小中学校や、それこそ〈わかば園〉とは比べものにならない。
「わあ……! 大きい!」
その立派な門を一歩くぐるなり、愛美は歓声を上げた。
敷地内には、大きな建物がいくつも建てられている。高校と大学の校舎に体育館、図書館に付属病院まである。さすがは大学付属だ。
そして、愛美がこれから生活を送る〈双葉寮〉も――。
「こんにちは! ……あの、これからお世話になる相川愛美です。よろしくお願いします」
寮母さんと思われる女性に、愛美はおそるおそる声をかけてみる。――果たして、これが寮に入る新入生の挨拶として正しいのかは彼女にも分からないけれど。
「はい、相川愛美さんね。ご入学おめでとうございます。――これ、校章と部屋割り表ね」
「ありがとうございます。――えーっと、わたしの部屋は、と。……ん?」
渡された部屋割り表でさっそく自分の部屋番号を確かめた愛美は、そこに自分の名前しか載っていないことに驚く。
「わたし……、一人部屋なんですか?」
「ええ。入学が決まった時に、保護者の方からご要望があったそうよ。あなたには一人部屋を与えてやってくれ、って」
(保護者って……、〝田中さん〟だ!)
もしくはその秘書の久留島という人だろう。愛美が施設ではずっと六人部屋だったことを知っているから、せめて高校の寮生活では一人部屋を……と希望したに違いない。
「――愛美ちゃん、忘れ物はない?」
「はい、大丈夫です」
大きなスポーツバッグ一つを下げて旅立っていく愛美に、聡美園長が訊ねた。
「大きな荷物は先に寮の方に送っておいたから。何も心配しないで行ってらっしゃい」
「はい……」
十年以上育ててもらった家。旅立つのが名残惜しくて、愛美はなかなか一歩踏み出せずにいる。
「愛美ちゃん、もうタクシーが来るから出ないと。ね?」
園長だって、早く彼女を追いだしたいわけではないので、そっと背中を押すように彼女を促した。
「はい。……あ、リョウちゃん」
愛美は園長と一緒に見送りに来ている涼介に声をかけた。
「ん? なに、愛美姉ちゃん?」
「これからは、リョウちゃんが一番お兄ちゃんなんだから。みんなのことお願いね。先生たちのこと助けてあげるんだよ?」
この役目も、愛美から涼介にバトンタッチだ。
「うん、分かってるよ。任せとけって」
「ありがとね。――園長先生、今日までお世話になりました!」
愛美は目を潤ませながら、それでも元気にお礼を言った。
――動き出したタクシーの窓から、だんだん小さくなっていく〈わかば園〉の外観を切なく眺めながら、愛美は心の中で呟いた。
(さよなら、わかば園。今までありがとう)
駅に向かう道のりは長い。朝早く起きた愛美は襲ってきた眠気に勝てず、いつの間にか眠っていた――。
* * * *
JR甲府駅から特急で静岡県の新富士駅まで出て、そこから新横浜駅までは新幹線。
そこまでの切符は全て、〝田中太郎〟氏が買ってくれていた。
(田中さんって人、太っ腹だなあ。入試の時の往復の交通費も出して下さったし)
新幹線の車窓から富士山を眺めつつ、愛美は感心していた。
自分が指定した高校を受験するからといって、一人の女の子に対してそこまで気前よくするものだろうか? もし合格していなかったら、入試の日の交通費はドブに捨てるようなものなのに。
(ホントにその人、女の子苦手なのかな……?)
園長先生がそんなことを言っていた気がするけれど。自分にここまでしてくれる人が、女の子が苦手だとはとても思えない。
もしも本当にそうなのだとしたら、何か事情があるのかもしれない。
愛美が目指す私立茗倫女子大付属高校は山手の方にあるので、新横浜からは地下鉄に乗り換えなければならないのだけれど。
「……あれ? 乗り換えの駅はどこ~?」
早くも複雑怪奇な地下街で迷子になってしまった。
スマホがあれば行き方を検索することもできるけれど、残念ながら愛美はスマホを持っていないし持ったこともない。
目の前にはパン屋さんがあり、美味しそうな匂いがしてくる。
「お腹すいたなあ……」
お昼を過ぎているし、昼食代わりにパンを買って食べるのもいいかもしれない。
愛美は美味しそうな焼きたてメロンパンを買うついでに、店員さんに山手に行く路線の駅を訊ねた。店員のお姉さんは親切な人で、愛美にキチンと教えてくれた。
券売機で切符を買い、改札を抜け、ホームでメロンパンをかじりながら電車を待つ。
施設にいた頃には、こんな経験をしたことがなかった。自分で切符を買うのも、人に道を訊ねるのも初めての経験で、愛美はドキドキしっぱなしだ。
「次は、どんなドキドキが待ってるんだろう?」
自動販売機で買ったカフェラテを飲みながら、愛美はワクワクする気持ちを言葉にして言った。
* * * *
――茗倫女子大付属高校は〝名門〟というだけのことはあって、敷地だけでも相当な広さを誇っている。愛美が通っていた地元の小中学校や、それこそ〈わかば園〉とは比べものにならない。
「わあ……! 大きい!」
その立派な門を一歩くぐるなり、愛美は歓声を上げた。
敷地内には、大きな建物がいくつも建てられている。高校と大学の校舎に体育館、図書館に付属病院まである。さすがは大学付属だ。
そして、愛美がこれから生活を送る〈双葉寮〉も――。
「こんにちは! ……あの、これからお世話になる相川愛美です。よろしくお願いします」
寮母さんと思われる女性に、愛美はおそるおそる声をかけてみる。――果たして、これが寮に入る新入生の挨拶として正しいのかは彼女にも分からないけれど。
「はい、相川愛美さんね。ご入学おめでとうございます。――これ、校章と部屋割り表ね」
「ありがとうございます。――えーっと、わたしの部屋は、と。……ん?」
渡された部屋割り表でさっそく自分の部屋番号を確かめた愛美は、そこに自分の名前しか載っていないことに驚く。
「わたし……、一人部屋なんですか?」
「ええ。入学が決まった時に、保護者の方からご要望があったそうよ。あなたには一人部屋を与えてやってくれ、って」
(保護者って……、〝田中さん〟だ!)
もしくはその秘書の久留島という人だろう。愛美が施設ではずっと六人部屋だったことを知っているから、せめて高校の寮生活では一人部屋を……と希望したに違いない。



