愛美はそのまま、看護師さんが困惑するのもお構いなしに、声を上げて泣き出した。
 泣くのなんて、〈わかば園〉を巣立った日以来、約一年ぶりのことだ。あれからの日々は、愛美に涙をもたらさなかった。もう泣くことなんてないと思っていたのに。

「ほらほら、相川さん! あんまり泣くと、また熱が上がっちゃうから」

 オロオロしつつ、看護師さんがボックスティッシュを差し出す。それで涙と鼻水をかむと、数分後には涙も治まった。

「――あの、看護師さん。ペンとレターパッド、取ってもらってもいいですか?」

 気持ちが落ち着くと、愛美は看護師さんにお願いした。

「お礼の手紙、書きたくて。他にも書かないといけないことあるんで」

「……分かった。――はい、どうぞ。じゃあ、私はこれで。お大事に」

「ありがとうございます」

 看護師さんが病室を出ていくと、愛美はテーブルの上のペンをつかみ、レターパッドを広げた。
 〝あしながおじさん〟にお礼を伝えるため、そしてきちんと謝るために。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 今日は朝から雨です。
 お見舞いに来てくれたさやかちゃんが帰ってから、ブルーな気持ちで外の雨を眺めてたら、看護師さんが病室に、リボンのかかった大きめの白い箱を持って来てくれました。「届いたばかりのお見舞いだ」って。
 箱を開けたら、キレイなピンク色のバラのフラワーボックスで、そこには伝票と同じ個性的な、それでいて人の()さがあらわれてる筆跡で書かれた直筆のメッセージカードが添えてありました。
 わたし、それを読んだ途端、声を上げて泣いちゃいました。このお花が嬉しかったのももちろんありますけど、おじさまを信じられなかった自分を(ののし)りたい気持ちでいっぱいになって。
 おじさまはわたしの手紙、ちゃんと読んで下さってたんですね。返事が頂けなくても、いつもわたしが困った時には助けて下さってるんだもん。
 おじさま、ありがとうございます。そして、ゴメンなさい。もう〝構ってちゃん〟は卒業します。それから、ネガティブになるのもやめます。わたしには似合わないから。
 さやかちゃんが言ってました。おじさまは絶対、わたしの手紙を一通ももれなくファイルしてるはずだって。だからこれからは、ファイルされても恥ずかしくないような手紙を書くつもりです。
 でも、こないだの最低最悪な一通だけは、ファイルしないでシュレッダーにでもかけちゃって下さい。あの手紙は、二度とおじさまの目に触れてほしくないですから。書いてしまったこと自体、わたしの黒歴史になると思うので。
 おじさま、もしかして「女の子は面倒くさい」なんて思ってませんか? では、これで失礼します。

                    三月三日    愛美    』

****


 ――翌日、さやかにこの手紙を投函してもらった愛美は、胸のつかえがおりたおかげでみるみるうちに元気になり、その二日後には退院することができた。
 〝(やまい)は気から〟とはよくいったものである。

「――さやかちゃん、珠莉ちゃん! ただいま!」

 二週間ぶりに寮に帰ってきた愛美は、自分の部屋に入る前に、隣りの親友二人の部屋にやってきた。
 元気いっぱいの声で、二人に笑いかける。

「おかえり……。愛美、もう大丈夫なの!?」

「うん、もう何ともないよ。さやかちゃん、毎日来てくれてありがとね。心配かけちゃってゴメン」

 ビックリまなこで訊ねたさやかに、愛美は安心させるように答えた。

 あのフラワーボックスが届いた日に流した涙が、愛美の中の(わだかま)りやネガティブな心を全部洗い流してくれたのかもしれない。

「愛美さん、一度もお見舞いに伺えなくてゴメンなさいね」

「いいんだよ、珠莉ちゃん。わたしも分かるから。注射が苦手だから、予防接種受けてなかったんでしょ?」

「……ええ、まあ」

(やっぱりそうなんだ)

 愛美はこっそり思った。
 つい一年ほど前に初めて会った時には、冷たくてとっつきにくい女の子だと思っていたけれど。こうして自分との共通点を見つけると、ものすごく親近感が湧いてくる。

「――もうすっかり春だねぇ……。そしてもうすぐ、あたしたちも二年生か」

「そうだね。もう一年経つんだ」

 暖かい日が少しずつ増えてきて、校内の桜の木も(つぼみ)を膨らませ始めている。

 一年前、希望と少しの不安を抱いてこの学校の門をくぐった時は、愛美は独りぼっちだった。頼れる相手は、手紙でしか連絡を取れない〝あしながおじさん〟たった一人。もちろん、地元の友達なんて一人もいなかった。

 でも、今はさやかと珠莉という心強い二人の親友に恵まれた。他にもたくさんの友達ができた。
 もう一人でもがく必要はない。何か困ったことがあれば、まずはこの二人に話せばいい。それから〝あしながおじさん〟を頼ればいいのだ。

「――あ、そうだ。四月からあたしたち、三人部屋に入れることになったからね」

「えっ、ホント!? やったー♪」

 愛美はそれを聞いて大はしゃぎ。二学期が始まる前に、愛美とさやかとで話していたことが実現したらしい。

 さやかの話によれば、愛美の入院中にさやかがその話を珠莉にしたところ、「それじゃ私も一緒がいい」と珠莉も言いだしたのだという。
 そして、ちょうど具合のいいことに、同じ学年で三人部屋を希望するグループが他にいなかったため、空きが出たんだそう。

「来月からは、三人一緒だね。わたし、嬉しいよ。一人部屋はやっぱり淋しいもん」

「うん。あたしも珠莉も、愛美とおんなじ部屋の方が安心だよ。もうあんなこと、二度とゴメンだからね」

 愛美が倒れた時、発見したのはさやかと珠莉だった。女の子二人ではどうしようもないので、慌てて晴美さんと男性職員さんを呼んできて、車で付属病院まで連れて行ってもらったのだった。
「一緒の部屋だったら、もっと早く気づけたのに……」と、さやかも落ち込んでいたらしい。

「うぅ…………。その節はありがと。でも、もうわたし、一人で悩んだりしないから。もうネガティブは卒業したの」

「そっか」

 今は心穏やかでいられるから、悩むこともない。愛美は生まれ変わったような気持ちになっていた。

(バイバイ、ネガティブなわたし!)

 愛美は心の中でそう言って、後ろ向きな自分に別れを告げた。

 そして愛美の高校生活は、もうすぐ二年目を迎える――。