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「――失礼しまーす……」

 家と同じなので、愛美がノックせずに園長室のドアを開けると、園長先生はニコニコ笑って彼女を待っていた。

「愛美ちゃん、待ってたのよ。お座りなさいな。急に呼んじゃって悪いわねえ」

「はい。――園長先生、わたしに何かご用ですか?」

 愛美は応接セットのソファーに、聡美園長と向かい合う形で浅く腰かけた。
 (わか)()聡美園長は六十代半ばの穏やかな女性で、愛美を始めとするここの子供たちにとっては優しいおばあちゃんのような存在である。 

「ええ。あなたに大事な話があるの。――その前に、今しがたお帰りになった方、愛美ちゃんも見かけたかしら?」

「あ、はい。後ろ姿だけチラッとですけど……。あの方、理事さんなんですか? ずいぶんお若く見えましたけど」

「ええ。二年くらい前に理事になられて、この施設に多額の援助をして下さってる方なの。ただ、ご事情がおありだとかで、本名は伏せてほしいって言われてるんだけれど」

「はあ……、そうなんですか」

 愛美は面食らった。先ほど見かけただけのあの理事は、聞いた限りではちょっと変わり者のようだ。
 けれど、園長先生だってわざわざ「あの理事さん、変わっててねぇ」なんて世間話をするためだけに愛美を呼んだわけではないだろう。

「あの方、これまでここの男の子たちには目をかけて下さって、二人ほどあの方のおかげで私立に進学できた子がいるの。ただ、女の子はその対象からは外れてたのよ。理由は分からないけれど、もしかしたら女の子が苦手なのかしらねぇ」

「はあ……」

 愛美が何だかよく分からない相槌(あいづち)を打っていると、園長はガラリと口調を変え、真剣そのものの表情で愛美に訊いた。

「愛美ちゃん。あなたは確か、県外の高校への進学を希望してるんだったわね?」

「……はい。難しいっていうのはよく分かってますけど」

 愛美もいよいよ本題に入ったのだと察し、姿勢を正して答えた。

「実は今日、あなたの担任の先生からお電話を頂いてね。今日の理事会でも、あなたの進路について急きょ話し合うことになったの」 

「はい……」

 一体、どんな話し合いがされたんだろう? ――愛美は(かた)()を飲んで、園長先生の話の続きを待った。

「愛美ちゃんも知ってるでしょうけれど、この〈わかば園〉は経営が苦しくて、愛美ちゃんの希望どおり、私立の高校へは進ませてあげられないの」

「それは分かってます」

 愛美が堅い表情で頷くと、園長先生は表情を少し和らげ、申し訳なさそうに続けた。

「愛美ちゃん、あなたには本当に感謝してるし、申し訳ないとも思ってるのよ。私たち職員の手が回らない分、小さい子たちのお世話や施設の仕事も手伝ってもらって」

「いえ、そんな! わたしが進んでやってることですから、気にしないで下さい!」

 それは、弟妹たちやこの施設が大好きだから。ただみんなの役に立ちたくてやっているだけだ。

「そう? それならいいんだけれど……。でもね、私はあなたの夢を知ってるし、応援してあげたいの。だから、進学はするべきだと思うわ」

「えっ!? でも――」

「話は最後まで聞きなさい、愛美ちゃん」 

 言っていることが()(じゅん)している、と抗議しかけた愛美を、聡美園長がたしなめる。

「私が理事会のみなさんにそう言ったらね、先ほどのあの方が私に賛同して下さって。『彼女の文才をこのまま埋もれさせるのは()しい』って」

「えっ? いま、〝文才〟って……」

「そうなの。あの方ね、中学校の担任の先生からお借りしてきたあなたの作文をここで読み上げられたの。あれには他の理事さんたちもビックリされてたわ」

「作文?」

「ええ。夏休みの宿題で書いていたでしょう? 『わたしの家族』っていう題名の」

「ああ、あれかぁ」

「そう。あの人、その作文の内容にいたく感動されてね、『彼女は進学させるべきだ!』って強く主張なさって。自分が援助するとまでおっしゃって下さったのよ」

「え……。じゃあわたし、進学できるんですか!?」

 聞き間違いかと思い、愛美がビックリして大きな声を出すと、園長は大きく頷いた。

「ええ。あの方も、あなたの夢を応援したいそうよ。そのための援助は惜しまないっておっしゃってたわ。……ただね、あの方からは色々と条件を出されたんだけれど」

「条件……ですか?」

 進学できると浮き足立っていた愛美は、園長先生のその言葉を聞いて改めて背筋を伸ばした。

「まず、受験するように(すす)められた高校なんだけれど。横浜(よこはま)にある女子大付属高校なの。――ここよ」

 園長がそう言って、ローテーブルの上にパンフレットを置いた。それは、高校の入学案内。

「私立……茗倫(めいりん)女子大学付属……。横浜ってことは県外ですよね」

 愛美は表紙に書かれた文字を読んだ。
 本当は県内の高校がよかったのだけれど、そんなわがままを言っていい立場ではないことくらい、彼女自身も分かっている。
「そうなの。ここは名門の女子校でね、全寮制なの。寮に入れば、住むところには困らないだろうって。それでね、愛美ちゃん。学校や寮の費用は全額あの方が負担して下さって、直接学校に振り込まれるんだけれど。そのうえで、あなたにも毎月お小遣いを下さるそうなのよ。一ヶ月で三万五千円も」

「さ……っ、三万五千円!? すごい大金……」

 高校生のお小遣いにしては、多すぎはしないだろうかと愛美は目をみはった。

「そうよねえ。ここにいる間、あなたには十分(じゅうぶん)なお小遣いをあげられてなかったものねえ。でもね、あの学校でやっていくには、その金額が最低ラインなんじゃないかってあの方がおっしゃるのよ」

「そうなんですか」

 そういえば、〝名門〟だと園長先生がさっき言っていたっけ。お嬢さま学校でみんなと同じように生活していくには、やっぱりそれくらいのお金が必要なのだろうか。