「まあ……、そうだけど。さやかちゃんのとこだって兄弟多いじゃん。お兄さんいるんでしょ?」

 愛美は施設を卒業する時、一番上のお姉さんだったのだ。下の年齢の子たちの面倒を見るのは、楽しかったけれど大変でもあった。
 上にもう一人兄弟がいる彼女(さやか)はまだ恵まれている、と愛美は言いたかったのだけれど。

「まあ、いるにはいるんだけどさあ。(たよ)んないんだもん。二番目のあたしの方が、一番上のお兄ちゃんよりしっかりしてるってどうよ? って感じ」

「…………あー、そうなんだ……」

(さやかちゃん……、わたしにグチられても……)

 兄弟のグチをこぼされてもどう反応していいか分からない愛美は、苦笑いで相槌を打つしかなかった。

「――あれ? さやかちゃん、そういえば珠莉ちゃんは?」

 愛美は話題を変えようと、さやかのルームメイトであるお嬢さまの名前を持ち出した。
 彼女がなかなか自分の部屋に戻ろうとしないのは、珠莉がいないからだろうと思ったのである。

(最初は仲悪そうだったけど、この二人って意外と気が合うんだよね……)

 この半年近く、隣室の二人を見てきたからこその、愛美の感想だった。

「ああ、珠莉? 帰国は明後日(あさって)になるらしいよ。さっき本人からメッセージ来てた。コレね」

 さやかはデニムのハーフパンツのポケットからスマホを取り出し、珠莉から届いたメッセージの画面を表示させる。

『さやかさん、お元気? 私は今、ローマにおりますの。日本に帰国するのは明後日になりますわ。でも二学期のスタートには間に合わせます』

「……だとさ。だからあたし、明日まで部屋で一人なの! ねえ愛美、お願い! 明後日の朝まで、この部屋に泊めてくんない?」

「えー……? 『泊めて』って言われても」

 さやかに懇願(こんがん)された愛美はただただ困惑した。 

「わたしは……、そりゃあ構わないんだけど。いいのかなぁ? 勝手にそんなことして。晴美さんに怒られない?」

 もちろん、愛美自身は親友の頼みごとを聞き入れてあげたい。けれど、寮のルールでは「他の寮生の部屋に泊まってはいけない」ことになっているのだ。
 真面目な愛美は、そのルールも破るわけにはいかないのである。

「だよねえ……。でもさ、晴美さんの許可が下りれば……って、下りるワケないか」

 寮母の晴美さんは普段は気さくな人柄で、温厚な性格から寮生に慕われてはいるのだけれど。ことルールに関しては厳しいのだ。

「……いいや。ムリ言ってゴメン。愛美が悩む必要ないからね」

「うん。わたしこそゴメンね。ホントはさやかちゃんとこの部屋で寝るの、楽しみだったんだけど」

 同い年の女の子、それも親友とのピロートーク。これまで年下の子たちとしか同室になったことがない愛美の、密かな憧れだった。

「そうなんだ? じゃあさ、来年は一緒の部屋にしようよ」

「うん! そうしよ!」

(来年の部屋替えでは、さやかちゃんと同室にしてもらえるようにお願いしてみよう。それまでは淋しいけど、一人部屋でガマンガマン!)

 愛美に、次の学年に向けての一つの楽しみができた。

(……あ。もしかしたら、珠莉ちゃんも「さやかちゃんと同室がいい」って言うかも。そしたら三人部屋か……)

 ちなみに、一年生の部屋が並ぶこの階には三人部屋はないけれど、二年生から上の学年のフロアーには三人部屋が何室かあるらしい。

(ま、いっか。賑やかな方が楽しいし)

 愛美は来年度、三人部屋になる可能性を前向きに考えた。
 彼女は元々、どちらかといえばポジティブな方なのだ。落ち込むことがあったとしても、すぐにケロリと立ち直ることができる。愛美の自慢の一つである。

「――んじゃ、あたしはそろそろ部屋に戻るわ。荷解き、あとは一人で大丈夫?」

 さやかは愛美の荷物をしまうのをだいぶ手伝ってくれ、ほとんど片付いた頃にそう訊ねた。

「うん、ありがとね。助かったよ。―あ、そういえばさやかちゃん。夏休みの宿題、もう終わった? わたしは全部終わらせたけど」

「それがねぇ……、数学の宿題が全っっ然分かんなくて。愛美、明日でいいから教えて?」

「いいよ。わたしでよければ」

「サーンキュ☆ じゃあ、また晩ゴハンの時に食堂でね」

 愛美が頷くと、さやかは淋しそうにルームメイトがまだ戻っていない自分の部屋に帰っていった。

 ――一人になった部屋で、愛美は半袖のカットソーから伸びた自分の細い腕をまじまじと眺めた。

「わたし、あんまり焼けてないなあ」

 幼い頃から愛美は色白で、夏に外で遊んでもあまり日焼けしなかった。それが元々の体質のせいなのか、育った環境によるものなのかは彼女自身にも分からない。
 夏休みに海へ行ったという友達は真っ黒に日焼けしていて、「健康的でいいなあ」と愛美は羨んだものである。
 農園へ行って毎日健康的に夏を過ごせば、自分もこんがりいい色に日焼けすると思っていたけれど――。

「……まあいっか。日焼けはオンナのお肌の天敵だもんね」

 あとからシミやそばかすとして残ることを思えば、焼けない方がよかったのかもしれない。

「――さて、片付けが終わったらまたあの本読もうっと。それまでもうひと頑張りだな」

 愛美は腰を上げ、残りの荷物の片付けに取りかかった。