****
『拝啓、あしながおじさん。
おじさまはとてもいい人ですね!
信州の高原へのお誘い、本当に嬉しかったです。ありがとうございます!
〈わかば園〉にアルバイトとして帰るのは、わたしには切なすぎました。卒業した後まで、あそこに迷惑をかけたくありませんでしたから。
レポート用紙にシャーペン書きでゴメンなさい。実は今、英語の授業中なんです。いつ先生に当てられるか分からないので、近況はパス。 ――』
****
「――では、相川さん」
「はっ、ハイっ!」
英語担当の女性教師に指名された愛美は、レポート用紙に一言書き記してから慌てて姿勢を正した。
****
『あっ、今当てられました!』
****
「この一文の助動詞〈should〉は、どう訳すのが適切か分かりますか?」
「えっと……、『~すべきである』……でしょうか」
ちゃんと授業は耳に入っていたので、答えることはできたけれど。
「正解です。でも、授業はちゃんと集中して聞きましょうね」
「……はい。すみません」
集中して聞いていなかったことを注意され、愛美は顔から火を噴いた。
****
『先生の質問にはちゃんと答えられましたけど、注意されちゃいました。
では、これで失礼します。 愛美』
****
――五限目と六限目の間の休憩時間に、愛美はレポート用紙に書いたお礼状を封筒に入れておいた。
「――で? あの手紙、一体なんて書いてあったのよ?」
六限目までの授業が全て終わり、寮に帰る途中でさやかが愛美に訊いた。もちろん珠莉も一緒である。
「あのね、おじさまの知り合いが信州の高原で農園とかやってるんだって。だから、夏休みはそこで過ごしたらどうか、って。もう根回しは済んでるらしいよ」
「へえ、そうなんだ。よかったね、やっと行くとこができて」
「うん!」
「信州っていうと……、長野か新潟あたりかしら?」
「うん、長野らしいけど。……珠莉ちゃん、もしかしてその場所に心当たりあるの?」
突然口をはさんできた珠莉に、愛美は何か引っかかった。
彼女はずっと、愛美には興味がないと思っていたけれど。愛美が純也と関わってから、急に愛美にご執心らしい。
「……いいえ、何でもないわ」
けれど、何か言いかけた珠莉はすぐに口をつぐんでしまった。
「ところでさ、その手紙そのまま出すの? 清書しなくていいワケ?」
さやかは愛美と教室の席が近いので、愛美が英語の授業中にせっせとこの手紙をかいていたのを知っているのだ。
「うん、いいの。だって、書き直したらせっかくの臨場感が台無しになっちゃうもん」
授業中に書いたことが分からなければ、「早くお礼が言いたかった」という愛美の気持ちも伝わらない。
「手紙に臨場感なんて必要なのかしらね? さやかさん」
「さあ? あたしにも分かんない」
二人して首を傾げるさやかと珠莉だけれど、愛美にとって〝あしながおじさん〟への手紙はSNSの書き込みのようなものなのだ。
――結局、そのお礼状は書き直されないままポストに投函されたのだった。
* * * *
――そして、七月の半ば。
「さぁて、期末テストも無事終わったことだし。夏休みに向けての荷作り始めようかな」
「そうだねー。今回はあたしも珠莉も成績まずまずだったし」
ちなみに、愛美は今回も十位以内。珠莉が五十位以内、さやかも七十位以内には入った。
「はー、私もこれでやっとお父さまとお母さまに顔向けができますわ」
ホッとしたように珠莉が呟けば。
「それ言ったら、あたしもだよ。中間の時ボロボロだったからさあ、お母さんに電話で泣かれちゃって大変だったよー」
珠莉よりも順位が下だったさやかも、うんうん、と同調した。
「今回も成績悪かったら、夏休みも補習ばっかりで楽しめなかったもんねー」
愛美がしみじみと言う。……まあ、彼女にそんな心配はなかっただろうけれど。
初めての恋を知ってから、愛美は時々妄想がジャマをして勉強に集中できなくなっていた。それでもこの好成績だったのは奇跡的である。
「――にしたって、アンタの部屋も荷物増えたねえ……。特に本が」
さやかが愛美の部屋の本棚を見て、感心した。
ちなみに、さやかと珠莉の部屋の本棚の蔵書は二人分を合わせても、この本棚の三分の二か四分の三くらいだろう。
愛美の部屋にある作りつけの本棚には教科書や参考書のほか、小説の単行本や文庫本・雑誌類がビッシリ入っている。
まだ入学して三ヶ月でのこの増えようからして、彼女がかなりの読書家だということが窺える。
「えへへっ。古本屋さんでコツコツ買い集めたの。新書もあるけどね」
「ほぇー……。大したモンだわこりゃ。っていうか、『あしながおじさん』率高くない?」
さやかが目ざとく指摘する。
本棚にはもちろん、他の本もたくさん並んでいるのだけれど。『あしながおじさん』のタイトルだけで十数冊もあるのだ。これはこの本棚の蔵書の中でもっとも多い。
「うん。小さい頃からこの本好きなんだよねー。よく見て、さやかちゃん。翻訳してる人、全部違うでしょ? 一冊一冊、文体が違うの。読み比べするのも面白いんだ」
愛美はその中でも一番のお気に入りを一冊手に取った。
「コレね、施設にいた頃からずっと読んでたの。もう表紙とかボロボロなんだけど。で、コレを読みながら、わたしの境遇をこの本のジュディと重ねてたんだよね」
でも、と愛美は続ける。
「現代の日本に生きてるわたしの方が、ジュディより色々と恵まれてるよね……」
この令和の日本では、憲法であらゆる権利が認められているし、「施設出身だから」といって社会的に差別されることもない。
一九一〇年代の、差別や偏見がまかり通っていたアメリカに生きていたジュディとは、似て非なる境遇だ。
『拝啓、あしながおじさん。
おじさまはとてもいい人ですね!
信州の高原へのお誘い、本当に嬉しかったです。ありがとうございます!
〈わかば園〉にアルバイトとして帰るのは、わたしには切なすぎました。卒業した後まで、あそこに迷惑をかけたくありませんでしたから。
レポート用紙にシャーペン書きでゴメンなさい。実は今、英語の授業中なんです。いつ先生に当てられるか分からないので、近況はパス。 ――』
****
「――では、相川さん」
「はっ、ハイっ!」
英語担当の女性教師に指名された愛美は、レポート用紙に一言書き記してから慌てて姿勢を正した。
****
『あっ、今当てられました!』
****
「この一文の助動詞〈should〉は、どう訳すのが適切か分かりますか?」
「えっと……、『~すべきである』……でしょうか」
ちゃんと授業は耳に入っていたので、答えることはできたけれど。
「正解です。でも、授業はちゃんと集中して聞きましょうね」
「……はい。すみません」
集中して聞いていなかったことを注意され、愛美は顔から火を噴いた。
****
『先生の質問にはちゃんと答えられましたけど、注意されちゃいました。
では、これで失礼します。 愛美』
****
――五限目と六限目の間の休憩時間に、愛美はレポート用紙に書いたお礼状を封筒に入れておいた。
「――で? あの手紙、一体なんて書いてあったのよ?」
六限目までの授業が全て終わり、寮に帰る途中でさやかが愛美に訊いた。もちろん珠莉も一緒である。
「あのね、おじさまの知り合いが信州の高原で農園とかやってるんだって。だから、夏休みはそこで過ごしたらどうか、って。もう根回しは済んでるらしいよ」
「へえ、そうなんだ。よかったね、やっと行くとこができて」
「うん!」
「信州っていうと……、長野か新潟あたりかしら?」
「うん、長野らしいけど。……珠莉ちゃん、もしかしてその場所に心当たりあるの?」
突然口をはさんできた珠莉に、愛美は何か引っかかった。
彼女はずっと、愛美には興味がないと思っていたけれど。愛美が純也と関わってから、急に愛美にご執心らしい。
「……いいえ、何でもないわ」
けれど、何か言いかけた珠莉はすぐに口をつぐんでしまった。
「ところでさ、その手紙そのまま出すの? 清書しなくていいワケ?」
さやかは愛美と教室の席が近いので、愛美が英語の授業中にせっせとこの手紙をかいていたのを知っているのだ。
「うん、いいの。だって、書き直したらせっかくの臨場感が台無しになっちゃうもん」
授業中に書いたことが分からなければ、「早くお礼が言いたかった」という愛美の気持ちも伝わらない。
「手紙に臨場感なんて必要なのかしらね? さやかさん」
「さあ? あたしにも分かんない」
二人して首を傾げるさやかと珠莉だけれど、愛美にとって〝あしながおじさん〟への手紙はSNSの書き込みのようなものなのだ。
――結局、そのお礼状は書き直されないままポストに投函されたのだった。
* * * *
――そして、七月の半ば。
「さぁて、期末テストも無事終わったことだし。夏休みに向けての荷作り始めようかな」
「そうだねー。今回はあたしも珠莉も成績まずまずだったし」
ちなみに、愛美は今回も十位以内。珠莉が五十位以内、さやかも七十位以内には入った。
「はー、私もこれでやっとお父さまとお母さまに顔向けができますわ」
ホッとしたように珠莉が呟けば。
「それ言ったら、あたしもだよ。中間の時ボロボロだったからさあ、お母さんに電話で泣かれちゃって大変だったよー」
珠莉よりも順位が下だったさやかも、うんうん、と同調した。
「今回も成績悪かったら、夏休みも補習ばっかりで楽しめなかったもんねー」
愛美がしみじみと言う。……まあ、彼女にそんな心配はなかっただろうけれど。
初めての恋を知ってから、愛美は時々妄想がジャマをして勉強に集中できなくなっていた。それでもこの好成績だったのは奇跡的である。
「――にしたって、アンタの部屋も荷物増えたねえ……。特に本が」
さやかが愛美の部屋の本棚を見て、感心した。
ちなみに、さやかと珠莉の部屋の本棚の蔵書は二人分を合わせても、この本棚の三分の二か四分の三くらいだろう。
愛美の部屋にある作りつけの本棚には教科書や参考書のほか、小説の単行本や文庫本・雑誌類がビッシリ入っている。
まだ入学して三ヶ月でのこの増えようからして、彼女がかなりの読書家だということが窺える。
「えへへっ。古本屋さんでコツコツ買い集めたの。新書もあるけどね」
「ほぇー……。大したモンだわこりゃ。っていうか、『あしながおじさん』率高くない?」
さやかが目ざとく指摘する。
本棚にはもちろん、他の本もたくさん並んでいるのだけれど。『あしながおじさん』のタイトルだけで十数冊もあるのだ。これはこの本棚の蔵書の中でもっとも多い。
「うん。小さい頃からこの本好きなんだよねー。よく見て、さやかちゃん。翻訳してる人、全部違うでしょ? 一冊一冊、文体が違うの。読み比べするのも面白いんだ」
愛美はその中でも一番のお気に入りを一冊手に取った。
「コレね、施設にいた頃からずっと読んでたの。もう表紙とかボロボロなんだけど。で、コレを読みながら、わたしの境遇をこの本のジュディと重ねてたんだよね」
でも、と愛美は続ける。
「現代の日本に生きてるわたしの方が、ジュディより色々と恵まれてるよね……」
この令和の日本では、憲法であらゆる権利が認められているし、「施設出身だから」といって社会的に差別されることもない。
一九一〇年代の、差別や偏見がまかり通っていたアメリカに生きていたジュディとは、似て非なる境遇だ。



