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「――じゃ、僕は彼女を一階のエントランスまで送ってくるから。留守を頼む」
「久留島さん、今日はおジャマしました」
純也さんに電話で呼び戻された久留島さんが帰ってくると、愛美は彼にペコリと頭を下げた。
「いえいえ。どうぞまた遊びにいらして下さい。道中お気をつけて」
「はい、ありがとうございます。それじゃ、失礼します」
靴を履いて玄関の外に出ると、優しい純也さんはエレベーターへ向かう間、小柄な愛美のために歩くスピードを合わせてくれた。
「……あ、そうだ! あの小説ね、九月に発売されることに決まったんだよ」
数日前に編集者の岡部さんから電話で聞かされた嬉しい報告を、愛美は彼にした。
「そうか、九月か。おめでとう、愛美ちゃん。ということは、今はゲラのチェックで大変なんじゃないか?」
「もう二冊目だから慣れた。絶対にいい本になるはずだから読んでね。見本誌が届いたら、一冊送るよ」
「ありがとう。でも、ここはスポンサーとして売り上げにも貢献しないわけにはいかないから。自分でも買わせてもらうよ」
「スポンサー……?」
愛美は小首を傾げたけれど、彼女が作家デビューできたのはひとえに純也さんが金銭面で援助してくれたからでもあるので、そういう意味ではあながち間違ってはいないのかもしれない。
(〝パトロン〟って言い方しないのが彼らしいかも)
「……愛美ちゃん、何を笑ってるんだ?」
「ううん、何でもないよ」
ひとりニヤニヤしていた愛美は、純也さんにツッコまれたけれど笑ってごまかした。
「純也さん、ホントにありがとう。わたしの保護者になってくれて、スポンサーにもなってくれて。今のわたしがあるのはあなたのおかげです」
「何だよそれ? まるで、これで別れみたいじゃないか」
「ううん、そういう意味で言ったんじゃなくて。これからもよろしくお願いします、わたしの〝あしながおじさん〟」
「……ああ、そういう意味か。こちらこそ、これからもよろしく。俺の……いや、令和のジュディ・アボット」
二人はエレベーターの中で微笑み合い、固い握手を交わした。
愛美によって純也さんが心の支えであったように、彼にとっても愛美が心の支えとなっていたのだ。女性が信じられず、女の子が苦手だった彼を変えてくれた唯一の女の子、それが愛美だったのだから。
「――純也さん、お見送りありがと。また会いにくるね。メッセージも送る」
「うん。じゃあ、気をつけて帰るんだよ。珠莉としゃかちゃんにもよろしくな」
エントランスを出たところで、愛美は純也さんが手配してくれたタクシーに乗り込む。純也さんはタクシーが来るまで愛美と一緒に待ってくれていた。
愛美は来た時と同じように電車で帰ろうとも思ったのだけれど、せっかくなので純也さんの厚意に甘えることにしたのだ。
「はい。じゃあ……またね」
「またね、愛美ちゃん。手紙待ってるよ。――じゃあ運転手さん、お願いします」
タクシーの自動ドアが閉まり、走り出すと、愛美は窓からマンションの方を振り返った。そこには、いつまでも愛美の乗ったタクシーに向かって手を振り続ける純也さんの姿があった。
三年と少し前、〈わかば園〉を巣立った日。あの時は園長先生と弟妹たちが愛美のことをこうして見送ってくれた。そして今日は、愛美のいちばん大切な人が見送ってくれている。
「運転手さん、窓を開けてもらっていいですか? ――純也さーん、またねー!」
愛美は運転手さんに窓を開けてもらい、純也さんに手を振り返した。「さよなら」ではなく、「また会おうね」と伝えるために。



