「ええ、いいわよ。私でよければ。とりあえず着替えさせてもらうわね。それからでもいいかしら?」
「あ、うん。もちろんだよ。ありがと。なんかゴメンね、帰ってきたばっかりなのに」
「いいのよ、愛美さん。謝らなくてもよくてよ」
「ありがとねー、珠莉。アンタと愛美、すっかり仲良くなったよね。最初の頃はさぁ、愛美に『叔父さま盗られた~!』とか言ってたのに」
さやかは二年以上も前の話を持ち出して、二人の関係がすっかり変わったことに感心している。あれはこの高校に入学した翌月で、純也さんが初めて学校を訪ねてきた時のことだ。
それに対して、珠莉が制服から私服に着替えながら答える。
「あの頃はまだ、純也叔父さまが愛美さんのいう〝あしながおじさま〟の正体で、お二人が恋人同士になるなんて思ってもみなかったもの。本当に、人生って何が起こるか分からないものよね」
「うん……、ホントにね」
珠莉の最後のセリフに愛美も頷いた。純也さんが〈わかば園〉の理事をしていなければ、理事であったとしても愛美の学費を援助すると申し出てくれなければ、彼女は今この場にいなかったのだ。山梨県内の公立高校で、悶々とした高校生活を送っていただろう。もしくはどこかの温泉旅館で住み込みの仲居さんとして働いていたとか。
「――はい、お待たせ。着替え終わったから原稿を読ませてもらうわ。データは残してあるのね?」
「うん。わたしのPCのデスクトップと、一応USBにも保存してあるよ。待ってね、今ファイル開くから」
愛美は自分のノートパソコンで、ボツになった原稿のファイルを開いた。
「これがその小説だよ」
「分かったわ。じゃあ、ちょっと失礼して」
珠莉は愛美に場所を譲ってもらい、ブルーライトカットのためにPC用の眼鏡をかけて小説の原稿を読み進めていった。
「……珠莉ちゃんって普段は眼鏡かけないけど、たまにかけるとすごく知的に見えるよね」
「顔立ちのせいなんじゃない? あたしが眼鏡かけてもああはならないよ。あたし、上向きの団子っ鼻だからさ」
珠莉が真剣な眼差しで原稿を読み進める傍で、愛美とさやかはヒソヒソと彼女の意外なギャップを発見して盛り上がっていた。愛美に至っては、彼女の頼みごとをした本人だというのに……。
「……お二人とも、聞こえてるんだけど」
「あっ、ゴメン!」
「こっちの話は気にしないで、読む方に集中して?」
さやかと愛美が謝り、そう言うと、珠莉はひとつため息をついた後にまた画面に視線を戻した。「集中して」と言ったって、ムリな話ではあると思うのだけれど――。
――それから一時間ほど後。
「愛美さん、読み終わりましたわよ」
珠莉がパソコンの画面を閉じて、愛美に声をかけてきた。
「えっ、もう読んだの!? 早かったね」
あの小説は原稿用紙三百枚分ほどの長さがあるので、じっくり読み進めると読み終えるまで二時間以上はかかるはずだ。ということは、珠莉は読むスピードを速めたということになる。
「ええ、愛美さんが私からのアドバイスを待ってると思って、急いで読んだのよ。――それでね、愛美さん。この小説で私が感じたことなんだけど」
「うん。どんなことでも大丈夫だから、忌憚なく言って」
「じゃあ、述べさせてもらうわね。――私の感じたことを率直に言わせてもらうと、やっぱりこの小説の中からは、あなたのセレブに対する苦手意識というか偏見というか、そういうものが読み取れたの。出版に至らなかった理由はそこなんじゃないかしら」
「あー、やっぱりそうか。編集者さんからも同じこと言われたんだ」
書籍として流通するということは、この小説が多くの人の目に触れるということだ。読んだ人の中には気分を害する人も出てくるかもしれない。プロとして、そういう内容の本を世に送り出すわけにはいかないと判断されたのだろう。
もしこの小説を珠莉ではなく、純也さんに読んでもらったとしても、きっと同じことを言われたに違いない。
「『出版できない』って聞かされた時はショックだったけど、これで納得できたよ。ありがとね、珠莉ちゃん」
これで、初めての挫折からはすっかり立ち直ることができそうだ。愛美はもう前を向いていた。
「いえいえ、私でお役に立ててよかったわ。でもあなた、思ったより落ち込んでいないみたいね」
「そういやそうだよねー。『ヘコんだ」って言ったわりにはけっこう前向いてるっていうか」
「うん。もうわたしの意識は次回作に向いてるから。いつまでも落ち込んでられないもん」
二年前の愛美なら、いつまでもウジウジ悩んでいただろう。でも、もうネガティブな愛美はいない。純也さんに釣り合うよう、いつでも自分を誇れる人間でいたいから。
「一応、おじさまには報告しなきゃと思ってるんだけど、純也さんにも言った方がいいかな? でもそれじゃ二重の報告になっちゃうし」
「だったら、いつかみたいに純也叔父さまには私から報告しておくわ。あなたは〝おじさま〟に手紙で報告するだけでよくてよ」
「ありがと、珠莉ちゃん。じゃあよろしく。……あ、『慰めてくれなくていいから、しばらくそっとしておいて』って付け足しておいて」
「分かったわ」
というわけで、純也さんへのメッセージは珠莉に任せて、愛美は机の上にレターパッドを広げた。
「あ、うん。もちろんだよ。ありがと。なんかゴメンね、帰ってきたばっかりなのに」
「いいのよ、愛美さん。謝らなくてもよくてよ」
「ありがとねー、珠莉。アンタと愛美、すっかり仲良くなったよね。最初の頃はさぁ、愛美に『叔父さま盗られた~!』とか言ってたのに」
さやかは二年以上も前の話を持ち出して、二人の関係がすっかり変わったことに感心している。あれはこの高校に入学した翌月で、純也さんが初めて学校を訪ねてきた時のことだ。
それに対して、珠莉が制服から私服に着替えながら答える。
「あの頃はまだ、純也叔父さまが愛美さんのいう〝あしながおじさま〟の正体で、お二人が恋人同士になるなんて思ってもみなかったもの。本当に、人生って何が起こるか分からないものよね」
「うん……、ホントにね」
珠莉の最後のセリフに愛美も頷いた。純也さんが〈わかば園〉の理事をしていなければ、理事であったとしても愛美の学費を援助すると申し出てくれなければ、彼女は今この場にいなかったのだ。山梨県内の公立高校で、悶々とした高校生活を送っていただろう。もしくはどこかの温泉旅館で住み込みの仲居さんとして働いていたとか。
「――はい、お待たせ。着替え終わったから原稿を読ませてもらうわ。データは残してあるのね?」
「うん。わたしのPCのデスクトップと、一応USBにも保存してあるよ。待ってね、今ファイル開くから」
愛美は自分のノートパソコンで、ボツになった原稿のファイルを開いた。
「これがその小説だよ」
「分かったわ。じゃあ、ちょっと失礼して」
珠莉は愛美に場所を譲ってもらい、ブルーライトカットのためにPC用の眼鏡をかけて小説の原稿を読み進めていった。
「……珠莉ちゃんって普段は眼鏡かけないけど、たまにかけるとすごく知的に見えるよね」
「顔立ちのせいなんじゃない? あたしが眼鏡かけてもああはならないよ。あたし、上向きの団子っ鼻だからさ」
珠莉が真剣な眼差しで原稿を読み進める傍で、愛美とさやかはヒソヒソと彼女の意外なギャップを発見して盛り上がっていた。愛美に至っては、彼女の頼みごとをした本人だというのに……。
「……お二人とも、聞こえてるんだけど」
「あっ、ゴメン!」
「こっちの話は気にしないで、読む方に集中して?」
さやかと愛美が謝り、そう言うと、珠莉はひとつため息をついた後にまた画面に視線を戻した。「集中して」と言ったって、ムリな話ではあると思うのだけれど――。
――それから一時間ほど後。
「愛美さん、読み終わりましたわよ」
珠莉がパソコンの画面を閉じて、愛美に声をかけてきた。
「えっ、もう読んだの!? 早かったね」
あの小説は原稿用紙三百枚分ほどの長さがあるので、じっくり読み進めると読み終えるまで二時間以上はかかるはずだ。ということは、珠莉は読むスピードを速めたということになる。
「ええ、愛美さんが私からのアドバイスを待ってると思って、急いで読んだのよ。――それでね、愛美さん。この小説で私が感じたことなんだけど」
「うん。どんなことでも大丈夫だから、忌憚なく言って」
「じゃあ、述べさせてもらうわね。――私の感じたことを率直に言わせてもらうと、やっぱりこの小説の中からは、あなたのセレブに対する苦手意識というか偏見というか、そういうものが読み取れたの。出版に至らなかった理由はそこなんじゃないかしら」
「あー、やっぱりそうか。編集者さんからも同じこと言われたんだ」
書籍として流通するということは、この小説が多くの人の目に触れるということだ。読んだ人の中には気分を害する人も出てくるかもしれない。プロとして、そういう内容の本を世に送り出すわけにはいかないと判断されたのだろう。
もしこの小説を珠莉ではなく、純也さんに読んでもらったとしても、きっと同じことを言われたに違いない。
「『出版できない』って聞かされた時はショックだったけど、これで納得できたよ。ありがとね、珠莉ちゃん」
これで、初めての挫折からはすっかり立ち直ることができそうだ。愛美はもう前を向いていた。
「いえいえ、私でお役に立ててよかったわ。でもあなた、思ったより落ち込んでいないみたいね」
「そういやそうだよねー。『ヘコんだ」って言ったわりにはけっこう前向いてるっていうか」
「うん。もうわたしの意識は次回作に向いてるから。いつまでも落ち込んでられないもん」
二年前の愛美なら、いつまでもウジウジ悩んでいただろう。でも、もうネガティブな愛美はいない。純也さんに釣り合うよう、いつでも自分を誇れる人間でいたいから。
「一応、おじさまには報告しなきゃと思ってるんだけど、純也さんにも言った方がいいかな? でもそれじゃ二重の報告になっちゃうし」
「だったら、いつかみたいに純也叔父さまには私から報告しておくわ。あなたは〝おじさま〟に手紙で報告するだけでよくてよ」
「ありがと、珠莉ちゃん。じゃあよろしく。……あ、『慰めてくれなくていいから、しばらくそっとしておいて』って付け足しておいて」
「分かったわ」
というわけで、純也さんへのメッセージは珠莉に任せて、愛美は机の上にレターパッドを広げた。



