* * * *
――それから二週間後のある夜。
「……やっと、やぁっと書けたぁ……!」
愛美が二人のおバカさんの教え子と向き合いながら、並行して冬からずっと執筆を続けていた長編小説の原稿がついに書き上がった。原稿のファイルを岡部さんにメールで送信し終え、愛美は思いっきり伸びをする。
学校にいる時は勉強の合間に、夏休みに入ってからは自分の夏休みの宿題や家庭教師のバイトもしつつ、毎日コツコツ書き続けていたので、思ったよりも時間がかかってしまったけれど。それでもこうして最後まで書き上げることができたことは本当に嬉しい。
「なんか思いっきり疲れたけど、でも清々しい気持ち……」
長編小説を一作書き上げると、こんなにも達成感があるのかと愛美は充実した気持ちになった。これだから、好きな仕事は辞められないのだ。
……ピンポン♪
「……ん? メッセージだ。純也さんから?」
机の上のスマホにメッセージを受信し、さやかからかなとウキウキしながら画面を確かめた愛美は、発信者の名前を見て眉をひそめた。
忙しいことを口実にして、彼のことは頭の中から排除していたけれど。原稿を書き終え、家庭教師のアルバイトも終盤に差し掛かった今、そろそろ現実とも向き合わなければ。
『俺、君が勝手にバイトをしてたこと、まだ怒ってるから。
でも、バイトが終わったら千藤農園に行くんだよな? その時は俺も行く予定だから、また去年みたいに一緒に遊ぼう。
それで許してあげてもいいよ。』
「……はぁっ!? 何それ。純也さん、いつまで拗ねてんのよ。ガキか」
メッセージの内容の大人げなさに、愛美は画面に向かって毒づいた。あれからもう一ヶ月が経ったというのに、大の大人がいつまで引きずっているのか。
「しかも、なんかめちゃめちゃ上から目線だし。ちょっとムカつく」
相手の方が十三歳も年上なので当たり前といえば当たり前なのだけれど、上から目線なのは不愉快極まりない。
「いつまでも引きずってるのはわたしも一緒か。でも、わたしはどうせガキだもん」
愛美はこの話を誰かに聞いてもらいたくて、さやかに電話をかけた。
『――はいよ。愛美、バイトはどう? 順調?』
「うん。まあ、ボチボチかな。麻利絵ちゃんも香菜ちゃんも読書をするようになったら読解力も上がったし、今日やってもらった小テストの出来もよかったから。あとね、長編の原稿、今日書き上がったの。さっき担当編集者の人にメールで送った」
『そっか、ご苦労さん。っていうか、アンタ働きすぎじゃないの? 大丈夫?』
「大丈夫だよ。疲れたけど清々しい気持ち。これだから作家家業は辞められないんだよねー」
『……あっそ。アンタさぁ、そういう状態を〝ワーカーホリック〟って言うんだよ。お仕事中毒』
「えー? そんなことないと思うけど。っていうか、さやかちゃん聞いて! さっき純也さんからメッセージ来たんだけど」
愛美は彼からのメッセージの内容をさやかにも聞いてもらった。それを、「自分の言うことを素直に聞くいい子に戻っていたら、また仲良くしてあげもいい」ということだと解釈した、と。
「……どう思う、さやかちゃん? なんか上から目線でムカつかない? そんなんで仲直りしたいって言われてもさぁ、こっちだって素直に『うん』とは言えないよね」
『純也さん、大人げないっていうかガキだね。んで、アンタはどうするつもりなの?』
「なんか、このまま千藤農園に行くのも、純也さんの思うツボみたいで癪だなぁ、って。何となく気まずいし」
『だよねー。んじゃさ、ウチにおいでよ。埼玉の実家』
「えっ、いいの?」
さやかからの思いがけない提案に、愛美は思わず声を上ずらせる。
『ウチはいつでも大歓迎だよ。お兄ちゃんはもう休暇明けて東京に戻っちゃったけど、お母さんもおばあちゃんも、もちろんお父さんと下の兄妹たちも、また愛美に会いたがってるからさ。アンタ働きすぎだし、ウチに来て息抜きしなよ』
「う~ん、でもなぁ……」
『また「おじさまに相談しなきゃ」とか思ってる? もう十八なんだし、自分で決めちゃって大丈夫だよ。だいたい、相談する相手って結局あの人じゃん。相談するだけムダだって』
「…………あ、そうだった」
ついつい『あしながおじさん』のジュディと同じことをしようとして、愛美はさやかの指摘にハッと我に返る。
〝あしながおじさん〟の正体を知らなかったジュディと違い、愛美はその正体が純也さんだということをちゃんと知っている。しかも、その彼とは現在絶賛ケンカ中なのに、その相手に「ダメ」と言われることを分かっていながら相談するなんて、そんなバカな話があるだろうか。
「……そうだよね。じゃあ、そっちに行こうかな。長野より埼玉の方が近いし」
『そうしなよ、愛美。おじさまにはこっちに来てから事後報告でいいじゃん』
「うん、それ、いいかもね」
そういえば、ジュディも〝あしながおじさん〟に相談することなく親友のところへ行き、ジャービスとの約束をすっぽかしていた。



