「――愛美ちゃん、こっちこっち!」
愛美がカフェの店内に入っていくと、窓際のテーブルから純也さんが手を振ってくれた。
今日の彼は、ノーネクタイだけれどベージュのスーツ姿だ。多分、仕事中にわざわざ横浜まで車を飛ばしてきたんだろう。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「ケーキセットを下さい。チョコレートケーキで、飲み物はストレートの紅茶で」
お冷やを持ってきてくれた女性のホールスタッフさんに、愛美はメニューも見ないで注文した。
純也さんもケーキセットを注文していたようで、テーブルには食べかけのいちごショートケーキのお皿があり、コーヒーを飲んでいる。
「――で、話ってなに?」
グラスのお冷やをガブリと半分ほど飲んだ愛美は、自分から本題に切り込む。
「おいおい、つれないなぁ。せっかく彼氏が会いに来たっていうのに」
「わざわざそんな世間話をしに、横浜まで来たわけじゃないでしょ? ――もしかして、わたしが夏休みにバイトすることと関係ある?」
愛美はあえて、家庭教師のバイトの話を純也さんには伝えていなかったのだけれど。カマをかけてみると、彼がビクッとなった。
「あ……、ああ。田中さんから聞いた。でも、彼は賛成してないみたいでね、愛美ちゃんにクルーズ船のツアーへの参加を勧めたって言ってたけど」
(よく言うよ、白々しい! 『一緒に旅行したい』ってハッキリ言えないの? この人は)
愛美は内心そう毒づいたけれど、口に出しては言わずに別のことを言った。
「うん。今日、秘書の人からこのチケットとパンフレットが送られてきたの。でも、わたしは船旅には行かないよ。もうバイトは引き受けた後だから、今さら断れないもん」
「俺もそのクルーズ船に乗る、って言っても?」
「……何それ? それで引き留めてるつもり? 純也さんもバイトには反対なんだね」
純也さん〝も〟と言ったのは、彼があくまで「田中さんと自分は別人」というスタンスで来たからで、愛美もここはあえてそれに乗っかることにしたのだ。
「ハッキリ反対とは言えないけど、俺も賛成はできないかな。君は自分を追い込みすぎてるように俺には見える。作家の仕事だってあるのに、どうしてバイトまでしなきゃならないんだ? お金に困ってるわけじゃないだろ」
「別に、今回のことはお金が欲しくてやるって決めたわけじゃないよ。わたしを必要としてる人がいるから、それに応えたいって思うだけ。それに、ちゃんと作家業だって並行してやるし、それなら問題ないでしょ?」
「それにしたって、俺は心配なんだよ。せめて一言相談してくれてたら、俺だって賛成してたよ。……正直、一緒に船旅を楽しみたかったのもあるけど。……確かに、十八歳は法律上は成人だ。選挙権もあるし、クレジットカードだって申請できる。けど、バイトをするにはやっぱり保護者にひとこと相談すべきだと――あ」
(純也さん、今、ボロが出たことに気づいたな)
彼が一瞬「しまった!」と顔をしかめたのを、愛美は見逃さなかった。
ちょうどいいタイミングでケーキと紅茶が運ばれてきたので、愛美はチョコレートケーキと紅茶を一口ずつ味わってから再び口を開いた。ちなみに、伝票は純也さんの分と別になっている。
「純也さんはわたしの保護者じゃないよね。――それはともかく、わたし、来年はもう大学生になるの。だから、早く自立したい。純也さんに釣り合うような、自立した女性になりたいの。今度のバイトはそのための第一歩でもあるってわたしは思ってる。それでも賛成できない?」
「ああ、賛成できないね。どうして素直に甘えられないのかな、君は。今度の船旅だって、田中さんがいつも頑張ってる君に息抜きをさせてあげたくて提案したはずだ。その厚意も無下にするのか? 自立自立って、ただ意固地になってるだけじゃないか。自立心の強すぎる頑固なガキは始末に負えないよ」
「ガキで悪ぅございましたねえ! だいたい、意固地なのはどっちよ? 自分の彼女が自立したいって言ってるのに、それがいけないことなの!? 一体、それの何が気に入らないの!?」
愛美だって、大好きな純也さんにこんなことを言いたくはなかったけれど、もう売り言葉に買い言葉だ。
「…………あ~もう! 分かったよ! 勝手にしろよ! 俺はもう知らない!」
「ええ、ええ、勝手にしますっ! もう話終わったならさっさと帰れば!? 自分の分くらい、自分で払うから!」
「分かったよ、帰るよ!」
純也さんは自分の伝票だけを引ったくって席を立っていく。残った愛美は、ケーキと紅茶をせっせと平らげ始めたけれど――。
「まさかジュディとジャービスみたいに、わたしまで純也さんとケンカになるとは思わなかったな……」
紅茶を飲んで、盛大なため良きをついた。
****
『――と、ここまで書いた時に純也さんから『会って話したい』ってメッセージが来て、いつかのカフェで会うことになりました。
純也さんもわたしのバイトには賛成できないって。で、おじさまがわたしに勧めてくれたクルーズ船に自分も乗るから一緒に旅行しようって言われました。
でも、わたしは断りました。バイトの方が大事だし、引き受けたものは断れないから、って。早く自立したいから、この夏のバイトはそのための第一歩なんだとも言いました。
そしたら彼、何て言ったと思う? 「どうして素直に甘えられないんだ」って。おじさまはいつも頑張ってるわたしに息抜きをさせたいから船旅を提案してくれたのに、その厚意も無下にするのか、って。最後には、自立心の強すぎる頑固なガキは手に負えないって!
わたしも売り言葉に買い言葉で、「自分の彼女が自立したいって言ってることの何が気に入らないの!?」って言い返してやりました。だって、言われっぱなしじゃムカつくんだもん! そしたら彼、「もう勝手にしろ。俺はもう知らない」って怒って帰っちゃいました。
というわけで、わたしも勝手にします。夏休み前にさっさと荷造りを済ませて、終業式が終わったら葉山に行っちゃいますから。葉山への行き方はさやかちゃんに教えてもらうし、分からなくなったらネットで調べます。
おじさまのご厚意を無下にしたことは申し訳ないと思ってます。でも、純也さんのことは許せない。しばらくはメッセージも既読スルーしてやるんだから! かしこ
七月八日 自立心の強い頑固ものの愛美』
****
愛美がカフェの店内に入っていくと、窓際のテーブルから純也さんが手を振ってくれた。
今日の彼は、ノーネクタイだけれどベージュのスーツ姿だ。多分、仕事中にわざわざ横浜まで車を飛ばしてきたんだろう。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「ケーキセットを下さい。チョコレートケーキで、飲み物はストレートの紅茶で」
お冷やを持ってきてくれた女性のホールスタッフさんに、愛美はメニューも見ないで注文した。
純也さんもケーキセットを注文していたようで、テーブルには食べかけのいちごショートケーキのお皿があり、コーヒーを飲んでいる。
「――で、話ってなに?」
グラスのお冷やをガブリと半分ほど飲んだ愛美は、自分から本題に切り込む。
「おいおい、つれないなぁ。せっかく彼氏が会いに来たっていうのに」
「わざわざそんな世間話をしに、横浜まで来たわけじゃないでしょ? ――もしかして、わたしが夏休みにバイトすることと関係ある?」
愛美はあえて、家庭教師のバイトの話を純也さんには伝えていなかったのだけれど。カマをかけてみると、彼がビクッとなった。
「あ……、ああ。田中さんから聞いた。でも、彼は賛成してないみたいでね、愛美ちゃんにクルーズ船のツアーへの参加を勧めたって言ってたけど」
(よく言うよ、白々しい! 『一緒に旅行したい』ってハッキリ言えないの? この人は)
愛美は内心そう毒づいたけれど、口に出しては言わずに別のことを言った。
「うん。今日、秘書の人からこのチケットとパンフレットが送られてきたの。でも、わたしは船旅には行かないよ。もうバイトは引き受けた後だから、今さら断れないもん」
「俺もそのクルーズ船に乗る、って言っても?」
「……何それ? それで引き留めてるつもり? 純也さんもバイトには反対なんだね」
純也さん〝も〟と言ったのは、彼があくまで「田中さんと自分は別人」というスタンスで来たからで、愛美もここはあえてそれに乗っかることにしたのだ。
「ハッキリ反対とは言えないけど、俺も賛成はできないかな。君は自分を追い込みすぎてるように俺には見える。作家の仕事だってあるのに、どうしてバイトまでしなきゃならないんだ? お金に困ってるわけじゃないだろ」
「別に、今回のことはお金が欲しくてやるって決めたわけじゃないよ。わたしを必要としてる人がいるから、それに応えたいって思うだけ。それに、ちゃんと作家業だって並行してやるし、それなら問題ないでしょ?」
「それにしたって、俺は心配なんだよ。せめて一言相談してくれてたら、俺だって賛成してたよ。……正直、一緒に船旅を楽しみたかったのもあるけど。……確かに、十八歳は法律上は成人だ。選挙権もあるし、クレジットカードだって申請できる。けど、バイトをするにはやっぱり保護者にひとこと相談すべきだと――あ」
(純也さん、今、ボロが出たことに気づいたな)
彼が一瞬「しまった!」と顔をしかめたのを、愛美は見逃さなかった。
ちょうどいいタイミングでケーキと紅茶が運ばれてきたので、愛美はチョコレートケーキと紅茶を一口ずつ味わってから再び口を開いた。ちなみに、伝票は純也さんの分と別になっている。
「純也さんはわたしの保護者じゃないよね。――それはともかく、わたし、来年はもう大学生になるの。だから、早く自立したい。純也さんに釣り合うような、自立した女性になりたいの。今度のバイトはそのための第一歩でもあるってわたしは思ってる。それでも賛成できない?」
「ああ、賛成できないね。どうして素直に甘えられないのかな、君は。今度の船旅だって、田中さんがいつも頑張ってる君に息抜きをさせてあげたくて提案したはずだ。その厚意も無下にするのか? 自立自立って、ただ意固地になってるだけじゃないか。自立心の強すぎる頑固なガキは始末に負えないよ」
「ガキで悪ぅございましたねえ! だいたい、意固地なのはどっちよ? 自分の彼女が自立したいって言ってるのに、それがいけないことなの!? 一体、それの何が気に入らないの!?」
愛美だって、大好きな純也さんにこんなことを言いたくはなかったけれど、もう売り言葉に買い言葉だ。
「…………あ~もう! 分かったよ! 勝手にしろよ! 俺はもう知らない!」
「ええ、ええ、勝手にしますっ! もう話終わったならさっさと帰れば!? 自分の分くらい、自分で払うから!」
「分かったよ、帰るよ!」
純也さんは自分の伝票だけを引ったくって席を立っていく。残った愛美は、ケーキと紅茶をせっせと平らげ始めたけれど――。
「まさかジュディとジャービスみたいに、わたしまで純也さんとケンカになるとは思わなかったな……」
紅茶を飲んで、盛大なため良きをついた。
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『――と、ここまで書いた時に純也さんから『会って話したい』ってメッセージが来て、いつかのカフェで会うことになりました。
純也さんもわたしのバイトには賛成できないって。で、おじさまがわたしに勧めてくれたクルーズ船に自分も乗るから一緒に旅行しようって言われました。
でも、わたしは断りました。バイトの方が大事だし、引き受けたものは断れないから、って。早く自立したいから、この夏のバイトはそのための第一歩なんだとも言いました。
そしたら彼、何て言ったと思う? 「どうして素直に甘えられないんだ」って。おじさまはいつも頑張ってるわたしに息抜きをさせたいから船旅を提案してくれたのに、その厚意も無下にするのか、って。最後には、自立心の強すぎる頑固なガキは手に負えないって!
わたしも売り言葉に買い言葉で、「自分の彼女が自立したいって言ってることの何が気に入らないの!?」って言い返してやりました。だって、言われっぱなしじゃムカつくんだもん! そしたら彼、「もう勝手にしろ。俺はもう知らない」って怒って帰っちゃいました。
というわけで、わたしも勝手にします。夏休み前にさっさと荷造りを済ませて、終業式が終わったら葉山に行っちゃいますから。葉山への行き方はさやかちゃんに教えてもらうし、分からなくなったらネットで調べます。
おじさまのご厚意を無下にしたことは申し訳ないと思ってます。でも、純也さんのことは許せない。しばらくはメッセージも既読スルーしてやるんだから! かしこ
七月八日 自立心の強い頑固ものの愛美』
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