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根倉くんは早退魔。
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「……さん、……上坂さん」

 聞こえるか聞こえないかの小さな声で私に話しかけてきたのは、根倉くんだった。ビン底メガネで、背は他の男子に比べて高いのだが、背中を丸めているため通常時より結局は通常の男子と同じくらいに見える。 

 このもそもそした風貌と様子、そして名前から彼は――根倉がそのまま文字通り、ネクラくんといわれている。もちろん、私はそんなあだ名で呼びはしないが。

「根倉くん、聞こえなかったわ。今、なんて……?」

 私も気持ち声をはりあげて伝える。

「早退します。体調不良で」

 今度は何とか聞こえた。

「……また? それより、体調不良、って大丈夫なの? 送っていこうか? あ、いや、大丈夫。先生には伝えるけど」
「……え、俺が送ってもらう方向なんだ……?」
「なんで?」
「だって、逆じゃ……いや、いいんだ」

 ぼそぼそとしゃべると、根倉くんは去っていった。
 彼が私にわざわざいってきたのは、私が委員長だからだ。

 男の子の委員長もいるけれど、活発な子だからか休み時間中はいつも教室にいない。ゆえに、おのずと私に声がかかる。

 自分でいうのもなんだが私は控えめで、嫌とはいわない都合のいい女子生徒。だから消去法で委員長となっただけで、別になりたくてなったわけではない。

 男の子の委員長曰く「上坂さんは委員長っぽい風貌だよね。名前まで『しおり』って真面目そうだしさ。君なら安心して任せられるし、僕のサポートとして頑張って働いて」という謎理由を告げられたからもある。

 委員長っぽい風貌って?
 真面目そうな名前?
 だから安心って何?

 ただメガネをかけ、校則をやぶらないようにスカートの丈もきっちりしてるし、髪色も真っ黒で、他の子と違って栗や茶には染めてない。

 でも、だからって!

 全国の『しおりちゃん』と、『まじめな委員長』に謝って欲しい!
――と、心の中で思うだけの人物が、私だ。

 私は職員室へと向かっていく。

 ちらりと振り返ると彼の後ろ姿を見て、何人かが「また帰るんだって」と声をひそめて話していた。彼はしょっちゅう早退する。ただし、それは学校も黙認しているらしいので、下手なことはいえない。

 担任の先生にいつも通り根倉くんの早退を告げると、肩を叩かれた。

「いつもありがとうね、上坂さん。委員長として彼の事をよろしく」

 担任の先生の年上だけども可愛らしい笑顔は、ずるいと思う。

「わかりました……」

 でも頼むといわれても、別に私に何もできることはない。
 まるで、伝言ゲームのようにただ帰りました、と言葉を伝えるだけだ。

 家に帰り、自習用タブレットを開く。
 ひとしきり宿題を終えた後、配信動画を確認する。
 勉強の合間の癒しとなっているのは、動画配信サービスで話題の男の子だ。

 たまたま開いた動画で出会った、『ユウくん』
 私と同じ年らしく、とってもカッコいい男の子。

 目鼻立ちはすうっと通っていて、きりりとした眉、薄い桜色の唇。
 笑う時はあどけない。
 最初はたいした人数じゃなかった、でも今は……私が応援しているうちに、だんだんと人気がでてきたのだ。
 嬉しくもあり、寂しくもある。
 
 最新の投稿をみる。
「なんと応援してくれた皆様のおかげで、コンサートが決定しました」だった。応援してます、の気持ちをこめてイイネを押す。

 私は「すごく素敵です、おめでとうございます」と入力した。
 コメント送信ボタンを入れて、ドキドキと鼓動が跳ねる。
 見てくれるだろうか、反応してくれるだろうか。

 でも彼は何万フォロワーもいるのだから、返信はないかもしれない。
 それでも、コメントがあることで、今後の活動の活力になってくれると嬉しい。そうして、私はその日、なかなか寝付けずに終わっていった。

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根倉くんの秘密。
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「……さん」

 翌日、あくびをして学校の教室でうつらうつらと舟をこぐ。

「……さんって、ちょっと」

 夢見心地の中、誰かの声が聞こえる。
 ……なんだかユウくんの声に似てるような、そんな――……。

「上坂さんってば」

 ふと吐息が耳にかかる。耳たぶのすぐ近くで発せられた低い声ではっと我に返った。顔をあげると、私の顔のすぐそばに、根倉くんの顔があった。教室はすでに誰もいない、すでに放課後になってしまったようだ。

「ご、ごめん! 寝てたッ!」

 あまりの彼との距離の近さに慌て、私は離れようとイスを動かそうとした。
するとかえってよろめいてしまい、彼の顔に……正確にはアゴにぶつかって、ビン底メガネが床に落ちた。

「あっ」

 慌てて拾って、確認する。幸いにも割れずに済んだようだ。根倉くんに渡そうと――して、手が止まった。

「え?」

顔立ちを凝視する。
SNSで何度も見たから、推しだから、間違いはない。
間違えるはずもない。

「……ユウくん?」

根倉くんは慌てて私の手からメガネを奪うと、

「上坂さん、明日は休むので」とひとこと伝えられた。
「……」

茫然とする私に、根倉くんはこほん、と空咳をした。

「委員長なら、俺がユウだってバレたらマズいと思いますよね? 騒ぎにならないように、当然黙っててくれますよね?」

 根倉くんの様子が一気に変わる。
 いつもおどおどしたような話し方なのに、今ははっきりと私を見据えて。
 そして、饒舌(じょうぜつ)だ。

 少しだけなんだか声のトーンが低くなっていて……冷えた空気をヒシヒシと感じる。恐る恐る私は、ユウくんならぬ根倉くんを見改める。黙ったままの私にしびれを切らしたのか、根倉くんは切り出した。

「黙ってて、くれますよね? よく応援してくれてますもんね。上坂さんって、俺のファンですよね?」
「えっ、えっ!?」

 そう、そうなのだ。
 私のアカウント名は「上坂★激ラブユウくんだけ」という名前にしてある。
 といっても、苗字だけじゃバレやしないだろうとたかをくくっていた。

「どうしてそれを」
「ええと、簡単すぎて説明もなにも……①投稿していたのがこの学校のことばかりだったこと、②似顔絵のアイコン、③友達との会話や日常、他にも……」

 指を折り、数えていく。

「それで、俺のファンですよね?」
「う、うう……」
「で、アカウント名は激ラブユウくんだけ……」
「や、やめてぇええええ!」

 そんなアカウント名を晒されたら、クラスメイト全員に「委員長、まじで? うわぁ、超痛い……」なんていわれそうだ。

「昨日はアカウントにコメントありがとう。今ここでお礼をいわせていただきますよ。激ラブユウくんだけ……の上坂さん」

 ひいいいいいいい。

「誰にもいわない、いわないから! どうかやめて!」

 なんてこと、そんなことをされたら生きていけない。
 全力で泣きそうだ。

「はい……大好きです……」

 ここで否定するのも無理がある、私は素直にファンだと認める。
 完全に涙目になっていたが。
 クラスメイトに、こんな告白をする羽目になるとは想定外だ。

 そして彼はニヤッといたずらじみた笑みを浮かべ、私を見やる。

「それじゃあ、約束してくださいよ」

 根倉くんはメガネを外し、小指をピン、とたて私に向けた。
 いわゆる指きりのポーズで、自分の小指を絡める。
 ちらりと見ると、それは紛れもなく、あのユウくんそのものが画面から飛び出た感覚で。

 まさかの推しがクラスメイトだとは思わなかった。
 SNSでは最高に明るいのに、学校じゃ別人じゃないの……。

 あまりの変わりっぷりに、まだ茫然としていた私にしびれを切らしたのか、「ねえ、上坂さん、約束……守れますよね?」と今度は優しく微笑んで声をかけてきた。

「もちろん……!」

 ダメだ、私はこの顔につられてる。
 好みすぎるんだ。
 全力で自分をアホかぁ!と、ぶっ叩きたいが仕方がない。

 でも、そうか。
 みんなにいわなければいいだけの話だし――。
 こうして、私と根倉くんの秘密裏かつ奇妙な関係が始まった。

***
甘い誘惑。
***

『明日の午後は早退ですので、先生への連絡をよろしくお願いします』

 夜に根倉くんから届いた通知。
 私たちはSNSアカウントでダイレクトにやり取りをするようになっていた。これなら学校で直接やり取りをするまでもないと判断されたようだ。

 私も事前にわかっていればやりとりをせずに楽だし、それはとても助かる。
 そして再び通知が鳴る。

『マズいことになりました。委員長、明日の昼休憩中に少しだけ俺と話をしませんか』

 マズいことになった?
 何が?
 彼のSNSをチェックする限りでは、特に普段と変わりはない。

『何があったの?』

 と返信するも、応答は途絶えた。
 モヤモヤする気持ちを抑え、翌日の昼休憩中に――……

「これを、見てください……」

 学校の屋上で、がっくりとうなだれているユウくんがもっていたのは、返されたばかりのテストの答案用紙だ。

「あ、24点……これは大変だね」

 それは気の毒に。
 どう対応していいのかが全くわからなかったので、ひとまず慰めの言葉を送る。

「ずいぶんと安い言葉をかけてくるんですね」

「でも、それ以外に何もいえないよ……代わりにテストなんて受けれないし」

「上坂さんは勉強が得意でしたよね?」

「得意か不得意かでいわれると、そうだけど」

「じゃ、俺に勉強を教えてくださいよ。このままじゃ、勉強が間に合わなくて」

「えっ!?」

「お願いします……ただでさえ、学校を休みがちなのに……この状況じゃあ……。このままだとSNSアイドルが禁止になりそうなんです。放課後でいいんです。いえ、昼休みのわずかな時間でも! 俺に教えてくれませんか?」

 元気のない表情に、私も即お断りの言動はできかねた。
 それほど、困っているのだろう。

 私としても毎日、心の癒しとなっているユウくんのアカウントが、活動禁止は困る。永遠に更新されないのは彼よりも私のメンタルが病みそうだ。由々しき事態。しかし、推しとはいえこんなに有名な男の子と二人で勉強……いいのだろうか?

 すると彼はメガネをポケットにしまい、私に顔を近づけて、「上坂さん……お願いです、俺を助けてくれませんか……」とつぶやくように両手を掴む。

「やるわ」

 ふたたび、即答してしまった。

――しまった、ダメじゃないか。
 
 この顔が好み過ぎて、深く考えずに即答してしまった。
 何度同じことを繰り返すんだ。
 我に返り、自分の頭を殴りたくなる。

「でも、さすがに毎日は……昼休みとかでいいなら」
「その方法でもいいです。とにかく、教えてくれれば」

ありがとう、私の手を包み込む手はやたらと暖かく、気恥ずかしくなる。
懇願するような根倉くんを振り切ることは……
バッと手をひっこめると、「わかった」となんとか返答した。