部活が終わった、午後の美術室のことだった。
 薄い桃色のカーテンが初夏の風で静かに揺れて。

「好きだ、エリ」

 彼は――といっても付き合っているわけではない。幼馴染のまことくんは、私の目をしっかりと見て言った。じっと私は見返す。彼は私から、視線を外さないままで、桃色の揺れるカーテンをするりと長い指で捕まえた。

 一瞬だけ、息を呑んだのがわかった。切れ長の瞳が少しだけ細められる。表情がいつもより硬く思える。それほどまでに、私たちはいつもより、いつも以上に近くにいたから。私の髪を少しだけ撫で、切なそうに――苦しそうに、彼は囁くように口を開いた。

「本気、なんだ……」

 艶やかな髪がさらりと揺れ、白い肌ですらりと背が高い。学校内では王子様と名高いまことくん。

 でも――

 彼は真、という名前とは真逆の『嘘つき』と名高かったから。

****

 幼い頃、いつのころからだったろうか。
 まことくんは、私に対しても、周りに対しても嘘をつくようになった。
 表面上にはわかりにくい嘘ばかりで、母なんかは気づいていない。 
 ただ、小さな嘘があまりにも多くて、私が覚えている事件といえば――

「明日、晴れるってさ」

 小学校の登校時、出かけ間際に、まことくんを信じた私がバカだった。
 しっかりと午後から雨が降ってしまった。しかも豪雨だ。

 学校から帰ろうと靴箱の前で、ぼうぜんとしている私を尻目に、「仕方ないなあ」といって、相合傘で帰った記憶がある。
 雨がだばだばと降りしきる中、ランドセルを両手で覆った。

 傘に入りきらない冷たい水しぶきは、そのまま肩にかかるから、教科書が濡れないようにまことくんと肩をひっつけて、一生懸命帰ったっけ。
 
 他にも、「誰からもチョコレートをもらえてない」と、バレンタインの日に隣の家――いや、私の部屋まで押しかけてきたので、しぶしぶ持っていた義理のチョコレートを渡したこともある。友チョコ交換で作っていて、残っていた自分用のチョコを。
 その後、彼は両手に抱えきれないチョコレートを貰ってたはずだと母づてに聞いた。私は彼にチョコレートを強奪されたままで、文句という悪態をついたのを覚えている。

 そして、お返しであるホワイトデーの日には――

 いや、まだいくつか彼の事件(余罪)はあるが、割愛して現代へと戻ろう。

「また誰かフったの?」
 
 まことくんは、いつものように私の部屋へと入り浸っていた。

 カリカリとシャープペンシルの音が響くだけの私の部屋。沈黙を破った私の言葉に、まことくんは「別にフってない。何のこと?」といった。当然ながら、その言葉を素直に信じるほど、私はもう幼い子供ではない。

「B組の女子が、告白したのにフラれたって泣きながら吹聴してたよ。どうして?」
「ああ――、そのことね。どちらかといえば泣きたいのは俺かな。キライ! ってクラスメイト全員の前でいわれちゃったから」
「へえ」

 聞かなくても良かったな、と適当な相槌をうつ。

「そんなことより暇だからさ、相手してよ。エリ」
「見てわからない? 宿題やってるの」
「じゃ答えはどうせあってるし、俺のをまるっと写せば。それか、夜にやればいいじゃん」
「いま、自分でやるからいい」

 コンコンと部屋のノック音が届く。ペンを止め、部屋の扉を開けると、私の分の菓子と茶を盆にのせて持った母がいた。

「あら、来てたのね? まことくん」
「お邪魔してます。エリちゃんと一緒に宿題をやっていました」

 ……嘘ばかりだ。さっきから、1ミリたりとも私の宿題など、見てはいないし、しゃべりにくるばかりで一緒に宿題なんて、ここ数年ではずっと無い。

「じゃあ、お茶とお菓子、もう1つずつ用意するわねぇ」
「おかまいなく」

 彼はそういうが、うちにくれば確実に甘いものにありつけるのがわかっている。先ほど、母が私用に持ってきた甘いお菓子は、すでに彼の手元にあった。粒チョコが4本入り。ポイポイと口に次々に放り込まれ、残り1つで、とうとう私は抗議の声をあげてしまった。

「それ私のよ」
「あ、悪かった。勉強ばかりで脳が疲れて甘いものを欲しがっててさ」

 そういって、最後の1粒をつまんで私の唇に押し付けてきた。

――勉強してないじゃない、なんのつもりよ、といおうと口を開いた瞬間に、甘いチョコレートが口の中に入ってきた。もぐもぐと咀嚼したのち、ようやく私は口を開いた。

「……これでいいだろ」

 チョコレートが彼の指で溶けていて、ペロリと舐めてニヤリと笑みを浮かべた。その様子は、悔しいが女の私より、ずっと色気が感じられる。クラスメイトの女子が見ていたら、何人かが卒倒していたかもしれない、そんなレベルの。でも負けをみとめないよう、宿題へと視線を戻した。

「今日は宿題が多いから、集中したいの。もう帰ってよ」
「まだ。おばさんが、チョコ持ってくるだろうから待ってる」
「チョコなら後で届けてあげるわよ。だから、帰って」

 その言葉に、一瞬だけ、まことくんは手を止めた。

「チョコを、俺の部屋に届けてくれるの?」
「だから、そういったでしょ」

 急にすっくと立ち上がった。先ほどまでの、ひょうひょうとした表情ではない。
 かなり、切羽詰まった、真剣な面持ちで。

「用がある」

 ――それも、嘘じゃないの?
 あなた、さっきまで暇だ暇だといっていたじゃない。
 
 ツッコミをいれるための言葉は、でなかった。
 彼が私の部屋を飛び出した後、母が「あらっ帰っちゃったの?」と、さっきより高級なチョコレートを持ってきた。