恋するシングルマザーは忙しい!

夕方、奈緒子は病院から帰宅し、キッチンでエプロンを身につけると夕食の準備を始めた。野菜を切る音が台所に響く中、玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー。」陽平の明るい声が響き、靴を脱ぎながらリビングに顔を出す。
「おかえり。今日は早かったのね。」奈緒子はまな板から顔を上げ、陽平に声をかけた。
「ゼミが早く終わったんだ。で、課題は出たけど…まぁ提出期限はだいぶ先だし。」陽平はバッグをソファに置き、そのまま台所へ向かった。

「ほら、脱いだ靴はちゃんと揃えておきなさいっていつも言ってるでしょ。」奈緒子が眉を少し上げて注意すると、陽平は苦笑しながら「はいはい」と応じて玄関に戻った。

陽平が戻ってきて、キッチンカウンターの椅子に腰掛ける。奈緒子の手際よく動く様子を見て、ぽつりと話し始めた。
「そういえば、うちのサークルのやつら、この家に来るとびっくりするんだよね。」
「何が?」奈緒子は笑いながら聞き返す。
「母さんが若すぎるってさ。『お姉さんかと思った』とか言われるくらいだよ。」陽平は冗談めかして言ったが、奈緒子は少しだけ眉をひそめた。

「若いって言われるのは褒め言葉だけど、あんまり調子に乗ると変な誤解を生むわよ。」
「いや、俺は別にいいんだけど。正直、サークルのやつらが調子乗る方が面倒くさい。」陽平は苦笑いを浮かべた。

奈緒子は野菜を切る手を止め、軽くため息をついた。そして、振り返り、目の前の陽平を真っ直ぐに見つめる。
「あなたが大学に行けたのは、私が頑張ったおかげなんだから。母親を軽く見ないでちょうだい。」
わざと少し強めの口調にしたのは、陽平が最近やけに生意気に見えるからだ。けれど、その言葉に込めたのは本気の叱責ではなく、ちょっとしたジャブのつもりだった。
本当は、陽平が地元の国立大学を選んだ理由を分かっている。進学校に通っていた彼が、もっと偏差値の高い大学に進むことだってできたはずだ。それでも家を出ずにここに残ることを選んだのは、シングルマザーとして苦労してきた自分を思いやってのことだと気付いていた。
陽平は驚いたように顔を上げ、すぐに真剣な表情を浮かべた。
「そんなこと思ってないよ。」
言いながら、少し照れくさそうに笑う。
「母さんが一人でここまでやってくれたの、ちゃんと分かってる。だから、俺も自立して早く安心させたいんだ。」

奈緒子はその言葉に一瞬胸が詰まり、思わず視線を外した。息子がそういうことをはっきりと言えるようになったのが嬉しい反面、彼が大人になりつつあることに少し寂しさを覚える。
「そうね。じゃあ、頼りにしてるわよ。」奈緒子はいつもの笑顔を作り、明るく答えた。
陽平はふっと安心したように笑い、「俺に任せておけって」と軽口を叩くと、自分の部屋へと戻っていった。