恋するシングルマザーは忙しい!

数日後、奈緒子が仕事を終えて帰宅した頃、隼人から再びメッセージが届いた。
「次の試合の日程が決まりました。今度は奈緒子さんだけで来てくれませんか?」
そのメッセージを読んだ瞬間、奈緒子の胸が軽く締め付けられるような感覚がした。
(私だけ…?どうしてわざわざ…。)
画面の向こうから伝わる隼人の真剣さに、奈緒子は迷った。若い彼の気持ちはただの「好意」以上の何かだと薄々感じていたからだ。
メッセージを何度も読み返しながら、奈緒子は短く答える。
「少し考えさせてね。」

試合の日が来た。奈緒子は鏡の前で軽く髪を整えながら、自分の顔をじっと見つめた。栗色のセミロングヘアは、年齢より若く見えると言われる理由の一つかもしれない。
大きな瞳と柔らかい笑顔――周囲から「美人」と評されることには慣れているが、それが自分の価値だとは思っていない。ただ、そんな外見が若い子たちに誤解を与えるのではないかと、最近少しだけ気にするようになった。
(陽平の友達よね。私が行くのはただの応援…。それだけ。)
ストールを軽く肩に掛け、鏡に映る姿をもう一度確認する。落ち着いたベージュのカーディガンに、シンプルなスラックスを合わせた装いは、自分らしい控えめなものだと思った。派手になりすぎないように、とどこか無意識で選んでいる自分に気付く。
隼人の「本当に来てほしいんです」というメッセージが頭をよぎる。あの真剣な瞳の奥に秘められた想いに気付いている自分がいた。
(でも、彼は若すぎるし、私が期待に応えるなんて間違ってるわ。)
奈緒子は軽くため息を吐いた。

奈緒子は少し早めに会場に着いた。1人で訪れるのは少し気恥ずかしかったが、会場に足を踏み入れると活気ある雰囲気に自然と気持ちが引き締まった。
(若い子たちのエネルギーってすごいわね。)
隼人が出場する試合は午後の後半に予定されていた。会場の観客席に座りながら、コートで練習を始める選手たちを眺めていると、ふと視線を感じた。
「奈緒子さん!」
声のする方を振り向くと、隼人が遠くから手を振っている。練習の合間に彼女を見つけたようだ。奈緒子は軽く手を振り返し、笑顔を見せた。
(そんなに嬉しそうにされると、こっちが照れるわね。)

隼人はその後、練習に戻ったが、時折奈緒子の方を見て微笑むのが分かった。その真っ直ぐな視線に、奈緒子は少し落ち着かない気持ちになりながらも、試合が始まるのを待った。
隼人の試合が始まると、観客席は熱気に包まれた。相手選手も手強そうで、コートには一進一退の攻防が繰り広げられる。
隼人は序盤から果敢に攻め、持ち前の粘り強さでポイントを重ねていった。そのたびに観客席からは拍手が沸き、奈緒子も思わず手に汗を握る。
(本当に頑張ってるわね…。)
中盤、隼人がミスをして相手にポイントを奪われた後、ふと奈緒子の方を見て、少しだけ笑顔を見せた。その表情は「大丈夫です」と言っているように見えた。
(こんな状況でも私に笑顔を向けるなんて…。)
隼人はその後も粘り強く戦い、最後には見事なショットで勝利を決めた。観客席からは大きな拍手が湧き上がり、奈緒子も立ち上がって拍手を送った。

試合が終わり、奈緒子は観客席で拍手を送り続けた。隼人は試合の勝利を喜ぶチームメイトに囲まれていたが、目が合うとすぐに奈緒子の方へ向かってきた。

タオルで汗を拭いながら、隼人は息を切らしていたが、その瞳には達成感と何か言いたげな熱が宿っていた。
「奈緒子さん、今日は本当にありがとうございました。」隼人は深々と頭を下げた。
「そんな、私なんて何もしてないわ。榎本君が頑張った結果よ。」奈緒子は少し照れくさそうに答えた。
隼人は顔を上げ、真っ直ぐに奈緒子を見つめた。その目の中に映る真剣さに、奈緒子は思わず視線をそらしそうになる。
「でも、奈緒子さんが応援してくれたから、最後まで頑張れました。」
「そんな大げさな…」奈緒子は笑おうとしたが、隼人は続けた。
「僕、もっと強くなります。そして…もっと奈緒子さんにふさわしい男になります。」
その言葉に奈緒子は息を飲んだ。隼人の声はまっすぐで、余計な飾りが一切ない。ふざけた様子もなく、本気で伝えたい気持ちだけが込められていた。

奈緒子は言葉を探そうとしたが、何も見つからなかった。ただ彼の瞳に宿る熱意を前に、自分がどう応えるべきなのか分からない。
「ありがとう…。」ようやく絞り出した言葉は、驚くほど短く、簡単なものだった。
隼人はその返事に微笑みを浮かべ、「次の試合も、必ず勝ちます。」と言い残してチームメイトの方へ戻っていった。

隼人の背中を見送りながら、奈緒子の胸の奥で複雑な感情が渦巻いていた。
(陽平の友達。それに、彼はまだ若いわ…。でも、こんなに真剣な目で見つめられると、私も何か答えないといけない気がしてしまう。)
彼の言葉は若気の至りからくるものかもしれない。そう感じつつもその純粋さに心が揺れる自分にも気付いてしまう。
奈緒子は小さくため息をつき、肩にかけたバッグを握り直した。心を落ち着かせようとするたび、隼人の声が頭の中で繰り返し響いていた。