恋するシングルマザーは忙しい!

夕方、奈緒子は仕事を終えて、根谷クリニックを後にした。少し冷たくなり始めた風が、仕事の疲れを際立たせるように肌を撫でる。肩に掛けたカバンがいつもより重たく感じるのは、単なる気のせいではないだろう。
(今日はずっと忙しかったわね…。)
そんなことを考えながら駅に向かって歩いていると、ふと視線を感じて顔を上げた。そこには、大学の帰りらしい弘樹が立っていた。背中にはリュックを背負い、手にはキャンパスノートが数冊抱えられている。

「奈緒子さん?」弘樹が少し驚いた表情で声をかけてきた。
「深尾君…奇遇ね。大学の帰り?」奈緒子は微笑みながら返事をする。
「はい。たまたま駅に向かう途中でお見かけして。」弘樹は自然な笑みを浮かべているが、その視線はどこか奈緒子を心配しているようにも見えた。

「奈緒子さん、少し疲れてるように見えますけど、大丈夫ですか?」弘樹の言葉に、奈緒子は一瞬驚きながらも笑った。
「そんなに分かりやすいかしら?確かに、今日は少しバタバタしてたけど、これくらいは慣れてるわ。」

「それでも無理しないでくださいね。」弘樹は立ち止まり、少しだけ真剣な表情になった。「奈緒子さんにはいつも癒されるので、元気でいてほしいです。」
その言葉に奈緒子は思わず足を止めた。
(癒される…?私が?)
「ありがとう、深尾君は本当に優しいわね。」奈緒子は軽く笑いながら言ったが、その言葉が胸の奥に小さく響くのを感じた。

二人は駅に向かって歩きながら、ボードゲームの話や陽平のサークルの話題を交わした。弘樹は奈緒子に負担をかけないよう、軽い話題を選んでいるようだった。
駅に着くと、弘樹が振り返って「またゲームやりましょうね。」と笑顔で言った。
「ええ、またね。」奈緒子は微笑みを返しながら電車のホームへ向かう。
弘樹の背中が人混みに消えた後、奈緒子はふと立ち止まった。
(深尾君、本当に優しい子ね。私が気付かないうちに、こんなふうに気遣われてるなんて。)

そのさりげない優しさが、自分の中で少しずつ大きな存在感を持ち始めていることに、奈緒子は気付き始めていた。