○翌日、学校
陽菜心の声『…前向きになれたその日の夜は、さあちゃんとなつみと沢山色々な話をしながら寝落ち…だったけれど、とても良い眠りで。
次の日の朝、クマはすっかり取れて、なつみに「ヒナ、今日はお肌絶好調じゃん!」と褒められた。』
日焼け止めをして、夏の日差しに目を細めながら、訪れる陽菜
夏休みの校庭は暑すぎるのか、日陰で運動部がトレーニングをしている他はあまり人がいなくて、閑散としている。
(陽菜心の声『図書館…あまり来ないから緊張しちゃうな…。』)
そろそろとドアを開けると、途端に涼しい空気が前から包み込んで少し汗ばんでいた体を冷やしてくれると感じる陽菜。
若菜「あ…ヒナ先輩!」
少し控えめの声で、図書室のカウンターから笑顔で少し手をふる若菜。そのカウンターの前には、早川がどかっと座り陣取っている。
陽菜「…居たのか、早川。」
早川「居て悪かったな。若菜に会うなら俺込みだろ、どう考えても。」
(陽菜心の声『…なんで、ニコイチが当たり前になってるのよ。』)
眉間に皺を寄せる陽菜に、若菜が苦笑い。
若菜「早川先輩は、私が図書当番の時は一緒に居てくれるんです。」
陽菜「そう…なんだ…」
陽菜心の声『そういえば、前も教室まで若菜ちゃんのこと送ってたし、日曜日は一緒に居た方が良いって…』
ふと考え出した陽菜に「ここに座れば?」と早川が自分の横に椅子を出してくれる。
陽菜がそこに座って真正面から若菜を見るとまたニコッと笑う若菜。
陽菜「可愛い!」
早川「やめろ。若菜が可哀想だ。」
陽菜がカウンター越しに腕を広げて若菜に抱きつこうとすると、それを早川が制止する。
早川「まあ…若菜も“会いたい人”ってことだったんだろうけど。」
陽菜「……」
早川の言葉に、すとんと椅子に座り直す陽菜。
陽菜「…ごめんね、若菜ちゃん。急に来て。」
若菜「え?!そんな事ないです。それにほら…ここは図書館ですから。学生は出入り自由です!」
そう言って笑う若菜に気持ちが落ち着く陽菜。
陽菜「ねえ!じゃあ若菜ちゃんの好きな本教えて!読みたい!」
若菜「わっ!嬉しい!じゃあ…ヒナ先輩の雰囲気に合うものをチョイスしたいのでこちらへ!」
早川に見送られて本棚の間へと二人で入っていくと、中間地点に合った一冊の本を陽菜に渡す若菜。
若菜「薄い本なので、受験勉強の合間の気分転換にぜひ。」
陽菜「ありがとう!」
受け取った陽菜に嬉しそうに「感想教えてくださいね」と言ってから、少しふっと息を吐く若菜。
若菜「…ヒナ先輩、法学部を目指されるって言ってましたよね。」
陽菜「うん、そう…まあ、頑張らないとかなり厳しいけど。」
若菜「そうなんですね…」
若菜の大きな丸い瞳が揺れ、心配そうな表情に変わる。
(陽菜心の声『いけない…心配させちゃったな。』)
陽菜「大丈夫!あのね、夏休み入ってすぐの模試は第二志望C判定まで来てるの!そこからもガンガン勉強してるし!絶対受かるよ!」
そう言って明るくして見せたら若菜は一度目を大きく見開いて、その後、ふっと表情を緩めて微笑む。
若菜「…ヒナ先輩、ピッタリだと思う。弁護士さんとか…司法書士さんとか。もちろん、検事や裁判官も向いてそう。」
陽菜「そ、そうかな…」
若菜「はい。なんていうか、言葉に敏感で話し相手の表情や仕草にも敏感で。言われたことをスッとそのまま受け取ることができる感じがして…話していて心地良いんです。」
(陽菜心の声『…そんなふうに言われたの、初めて。』)
今度は、陽菜が目を見開き、真顔になってしまう。
若菜「あっ!すみません!その…生意気言ってしまって…私の印象というか…「若菜ちゃん!」きゃあっ!」
慌て出した若菜に、陽菜がぎゅーって抱きついた。
早川「…だからさ。若菜が可哀想だつってんだろーが。離れろ。」
陽菜「来たな、邪魔者早川め!」
早川「お前、誰のおかげで若菜に会えたと思ってんだよ。」
呆れながら、「ほら」と陽菜と真っ赤になってしまった若菜を引き剥がす早川。
早川「若菜、嫌だと言えばいいから。」
若菜「だ、大丈夫です…その…嫌ではないので…」
陽菜「だよね!」
早川「だよねじゃねーし。お前はヒロにいにくっついてあげろ。」
陽菜「そ、それとこれとは話が別だしっ!」
陽菜がムッと口を立てたと同時に、図書室のドアがガラッと少し乱暴に開いた。
秋本先生「誰だ、騒いでるのは…って何だ、また早川か。」
陽菜心の声『あれ…この男の人って、去年か一昨年新任で来た先生だよね…確か、秋本先先生。
学年が違って絡んだことないからよく知らないけど。
ヒョロ長いという印象で、メガネをかけているせいかとっつきにくいような印象がある。
けれど顔立ちが結構端正だってなつみやさあちゃんが話していたことがあったな…。』
若菜「す、すみません…秋本先生。今、山本先輩に本を勧めていて…」
秋本先生「…山本?」
眉間を寄せて陽菜を見る秋本先生のメガネフレームがキラリと少し光った。
陽菜「す、すみません。私が高梨さんと話していて…うるさくしてしまって…」
秋本先生「そうなんだ。図書室だし、静かにね。」
そう言うとそのまま近くまで寄ってくる秋本先生。
途端に、早川がするりとその大きな体で陽菜と若菜ちゃんを隠し、秋本先生から遮る。
早川「…気をつけますんで。」
早川の顔から笑顔が消えて、どこか…警戒の色を帯びる。
その鋭い目に少し秋本先生が気圧されているように見える陽菜。
(陽菜心の声『何…だろう。この雰囲気。
まるで、早川が秋本先生を敵視していて、秋本先生もそれをわかっているような…
二人の対峙は時間にしたらほんの数秒だったと思う。
先に口を開いたのは、秋本先生だった。』)
秋本先生「…どいてくれ早川。俺は高梨に用があるんだ。」
若菜「な、何でしょう…」
早川の後ろから少しだけ顔を出した若菜もまた、少し秋本先生を恐れているような表情。
秋本先生「新刊整理をまた手伝って欲しいんだ。今日、この後に時間あるか?」
早川「残念ですが、この後若菜は俺と出かけるんで無理ですよ。そもそも、予定表だと、図書当番は11時までで交代ですよね。」
秋本先生「そ、そうだけど…。」
若菜「す、すみません…その…今日は出来ません。」
秋本先生「明日は…」
早川「当番じゃないですよね。」
秋本先生「早川に聞いていないよ、俺は。高梨に聞いてるんだよ。どう?」
若菜「すみません…その…」
早川「明日も俺と一緒に出かける約束してますんで。」
(陽菜心の声『何だろう…このやり取り。
と言うか、当番じゃない時間にわざわざ若菜ちゃんに仕事をやらせようとしてる…よね。これ。そして、それを阻止しようと早川が間に入って話をしている…。』)
「とにかくどいてくれ、早川」と早川を押し除けようとした秋本先生に、今度は陽菜が「あの!」と話しかける。
陽菜「どうしてわざわざ、当番ではない他の時間や別日に新刊整理をしなければならないんですか?」
聞いた陽菜に一斉に視線が向く。
陽菜「あ…や…何となく、図書委員の生徒がやるべきものならば、今やるか…もしくは明日の図書当番の生徒がやれば良いのではないかと思いまして。」
秋本先生「そ、それは…まあ…そうなんだけど…」
秋本先生は、陽菜の言葉に少し何故か困り顔。
陽菜「…高梨さんじゃなきゃダメな理由があるんですか?しかも時間を延長させてまで。ご両親はご存知なんですかね、このこと。だって、学生活動からは逸脱しますよね」
秋本先生「そ、そんな大袈裟な…」
陽菜「だって、先生先ほどおっしゃったじゃないですか、『また』って。今までもさせてたって事ですよね、高梨さんに。一人の生徒に負担が偏るのってよくないと思います…って、秋本先生のお考えがあるのに生意気言っちゃってすみません!でも、若菜ちゃん困っていたみたいなので…もしかして、時間外労働が負担なんじゃないかなって。」
秋本先生が、若菜に今度は目をやると、若菜はその大きな瞳を揺らし困り顔で、「そう…ですね。」と俯いた。
早川「ってわけで、秋本先生。今日からそういうお誘いは一切なしってことで。」
早川がスマホで時間を確認してから、若菜の手を握った。
早川「…11:00になったから。若菜、帰るぞ。」
若菜「っ!は、はい…」
早川「ほら、ヒナも。行こうぜ。」
陽菜「う、うん…秋本先生、本当にすみませんでした。生意気言って。」
秋本先生「い、いや…」
何となく、納得がいっていないのか、それとも何かに戸惑っているのかはわからないけれど、力無く立ち尽くしている秋本先生を図書室に置いて、3人で廊下に出た。
途端に、熱気と湿度が体にまとわりついてくる。
何となく、無言で顔を見合わせたら、早川が苦笑いで、「とりあえず、学校出ようぜ」と言い、また3人で歩き出す。
このまま学校を出てバイバイも違う気がして、陽菜がお昼に誘ったら早川も若菜も「行く」って乗ってくれて行った駅前のマック。
早川「…ヒナ、ありがとう。助かったわ。」
開口一番、早川がそう話し出した。
マックシェイクをチューっと口に含みながら、陽菜は目をぱちくり。
陽菜「…何が?」
早川「や、ほら…さっき秋本に物申してくれたじゃん。」
陽菜「だって、ああ言うの不公平じゃん。先生の考え方があるんだろうけどさ…若菜ちゃんが迷惑そうだったもん。」
陽菜心の声『そりゃ若菜ちゃんが、「はい、喜んで!」ってノリノリでやりたいなら止めなかったけどさ。
明らかに…顔色が悪くなったもんね。』
若菜「す、すみません…本当は私がもっとはっきりと言えれば良いんですけど…。なんかその場になると緊張しちゃって頭が真っ白になっちゃって…」
陽菜「…どう言うこと?」
若菜「そ、その…別に何があるってわけじゃないんですけど…実は、秋本先生に私、よく呼び出されていて。今日みたいに新刊の整理とか、夏休み中は準備室の整理とか…。去年1年間は、フレンドリーな先生なのかなと思ったけど、あまりにも私だけが呼び出されて、何というか、二人きりの時の距離が微妙に近いというか…。あ、本当に何をされたって言うことでもないんですけど…」
(陽菜心の声『…いや、何もされなくたって、普通になんか嫌じゃない?それ。先生と生徒の関係なのにさ。自分だけ呼び出されて何かさせられた挙句、先生と距離まで詰められたらたまったもんじゃなよね。』)
陽菜「そんなの絶対やだ!」
早川「だよな。俺も最初知った時ドン引きでさ…これやばいだろって、若菜を担いで逃げた。」
若菜「うっ…そ、その節は…」
早川「…何?また担いでほしい?」
若菜「け、結構です!」
顔を真っ赤にしている若菜に相央大学のオープンキャンパスの時みたいなデレデレ顔になる早川。
(陽菜心の声『好き…かはわからないけれど、少なくとも早川にとって若菜ちゃんは守らなきゃって思う相手で…』)
早川「いつでも担ぐけど。」
若菜「大丈夫です!」
早川「ああ、担いで良いってこと?」
若菜「違うってば!」
(陽菜心の声『…可愛くて仕方がないんだろうな、うん。
って、そうか。言ってた『担ぐ』はそう言うことだったんだ。』)
陽菜「若菜ちゃん…大変な思いしてたんだね。」
早川の口撃に四苦八苦していた若菜が、顔を真っ赤にしたまま陽菜を見る。
陽菜「でも今は早川がいるもんね!絶対大丈夫!」
若菜「はい…ありがとうございます。」
「実はさ」と早川がまた一口コーヒーを飲んでから口を開く。
早川「…相沢さんに相談してたのって、そのことだったわけ。秋本、うちの学校に赴任してくる前、相沢さんの学校に居たからさ。どんな感じだったかっつーのと、何となく、あの人だったらどうするかを知りたかったんだよね、俺が。まあ…どうしたらいいか自分で考えても全然わかんなくてさ。」
(陽菜心の声『そう…だんたんだ。』)
早川「多分、相沢さんも、お前に話してなかったよな、このこと。あの人、そう言う所、ちゃんと弁える人だから。本人が話したがらない事を俺が誰かに話すのもと思ってたんだけどさ…困り果てて、若菜にちょっと前に居た高校の卒業生に聞いてみていい?って聞いてから相沢さんには相談した。」
若菜「早川先輩が信用している人なら、絶対平気かなって思ったので…。すみません。ヒナ先輩…彼氏さんにまで迷惑を…」
陽菜「えっ?!全然だよ!」
陽菜心の声『むしろ、私に話をしなかったヒロにいの事を、かっこいいと思った。ちゃんと…人の信用を裏切らず受け止めたんだって。』
陽菜「若菜ちゃん!私も秋本先生がまた何か言ってきたら、応戦するね!」
陽菜の言葉に反応して、煌めきの多いクリクリの目を少し細くして、唇は弧を描く若菜。
それが本当に安堵の笑顔。
(陽菜心の声『そっか…守ってくれる人がいると、人はこんなに綺麗な笑顔になれるんだ』)
若菜「…やっぱりヒナ先輩は法律家に向いてると思います。」
陽菜「ありがとう〜!若菜ちゃん大好き!」
早川「おい、くっつくなっつってんだろうが。」
陽菜「そっか、早川はヤキモチ妬いてたのか、私に。」
早川「お前…マジでもじゃこだな。」
早川に呆れられながら、若菜をぎゅーしている傍、考える陽菜。
陽菜心の声『私は…どうだろう。
ヒロにいが大好きで、ヒロにいといる時は100%の笑顔であったことは間違いない。(すぐ膨れっ面にはなってたけど)
今は…私は、ヒロにいに守られて、笑顔になりたい…のかな。』
○何となく、その思考がしっくりこなくて、二人と別れて家に帰る途中でふと見上げた空。
大きな白い雲がいくつも、ゆっくりと西から東へと動いていく。
そこにヒロにいのふわふわの笑顔が浮かぶ。
陽菜心の声『私…ヒロにいの笑顔が大好きだよな。いっつも思い出す時は、ヒロにいの笑顔だ。
あの柔らかな微笑みを見ると、本当に嬉しくて幸せで満たされるし、キュッと胸が締め付けられる。
羽純さんと今一緒にいて、それを私には言わなかったとしても、『ヒナが塾の帰りに歩かなくて済むから』『北海道に行ったときにレンタカーが借りられるから』と言ってくれたのは紛れもなく事実だから。
私は…それを信じて…ヒロにいを信じて、自分のやるべきことをやろう。』
「…よし!」と気合を入れて、一歩を踏み出す陽菜。
陽菜心の声『西山先生の宿題は…あと一人。
とはいえ、この場合ってどうなんだろうか…。西山先生に会う前に終わらせないといけないなら、確実にアウトだけど。』)
○陽菜宅、陽菜の部屋
そんなことを考えながら帰宅して、西山先生を待つこと30分。
家庭教師の時間になった。
西山先生「…で?どう?宿題は終わった?」
机の前の椅子にいつも通り腰を下ろした西山先生が、少し陽菜を見て小首傾けた。
陽菜「えっと…ルールによります。」
西山先生「どう言うこと?」
陽菜「その…私がこの3日間で会いたい人って西山先生は言いましたよね?」
西山先生「うん、そうだね。」
陽菜「…それ、西山先生に会いたい場合はどうしたら。」
腕を組み、足を組み聞いていた西山先生が、驚いたようにフリーズする。
陽菜「あの…3日間のどこかでお会いしにいけばよかったのかもしれないんですけど…今日お会いするので、わざわざお時間作ってもらうのもな…と思いまして…。」
西山先生「…そっか。確かにね。今日会うんだからって考えてくれたんだ。」
また余裕の笑顔に戻った西山先生は椅子の背もたれから体を起こすと、ポンと陽菜の頭をその大きな手のひらが撫でる。
西山先生「…でも呼んでくれたら、俺は会いに行ったかな、山本さんに。」
陽菜「いや…それはちょっと…迷惑をかけすぎ…」
西山先生「そんなことないでしょ。だって、山本さんが俺に会いたいって思ってくれたんでしょ?それは会いに行くよ。」
その優しい感触になのか言葉になのかは定かじゃないけれど、頬が紅潮する陽菜。
西山先生「ありがとう、“会いたい”って思ってくれて。」
陽菜「い、いえ…。」
手のひらの重みをそのままに、何となく恥ずかしくなってそのまま俯く陽菜。
陽菜心の声『…会いたいと思っていたのは本音だけど、こんなに穏やかな笑顔でお礼を言われたらなんか恥ずかしいかも。』
西山先生「まあじゃあ…クリアにする?それとも、超難問の課題をやってみる?」
陽菜「…クリアで。」
そう言った陽菜をあははと笑う西山先生。
西山先生「まあ…山本さん、だいぶ復活したみたいだから、課題としてはクリアかな。」
(陽菜心の声『復活…。やっぱり、西山先生、わざとこういう課題を出して、私が前を向けるようにしてくれたんだ…。』)
陽菜「あ、あの…ありがとうございます…。その…宿題。」
今度は、クッと笑うと。陽菜の頭をなでなでとしてから、コーヒーカップを手にとる。
西山先生「…どうだった?会いたい人たちとの話は。」
陽菜「は、はい…」
陽菜心の声『…羽純さんや友香里さんの言葉に囚われていたことに気がついたし、誰かが困ってる時に自分が声をあげることができることもあるんだってわかった。
ヒロにいが羽純さんと二人で泊まりがけで出掛けていたとして、私もこうやって西山さんと会っている。だからおあいこなんじゃないかってことにも気がついた。だったら、ヒロにいを信じることを優先にしようと思えた。
そして…ヒロにいは、きちんと状況を考えて、人の信用を裏切らないかっこいい人だってことも知った。』
陽菜「色々と発見は多かったように思います。何と言うか…自分には思いつかなかった考え方に出会ったり、大切な人達だって改めて気が付いたり。」
陽菜がそう言ったら、そう、まさにそれ!と、にっこり笑う西山先生。
西山先生「人はさ、それぞれ色々な意見を持ってる。見方もその人によって変わる。でも、人って、意外と厄介でさ。自分の気持ちの持ちようで、相手の話をスルッと聞けるか聞けないかって変わるんだよね。だから、“今”会いたい人ってところが重要なわけ。」
西山先生がコーヒーを一口飲むと少しだけ喉がコクリと動いた。
(陽菜心の声『…凄いな、西山先生。3つしか変わらないのに、そんな風に物事を考えられるなんて。』)
マジマジと見つめた陽菜に苦笑いを見せる西山先生。
西山先生「感心してもらって心苦しいんだけど、これ、実体験でさ。俺も人から教わった切り替え方だからね。」
陽菜「そう…何ですか?」
西山先生「そ、ほら、何を言っても動じないニコニコしてる大物の塾長さんいるでしょ?」
陽菜「あ…」
西山先生「あの人にさ、受験生でスランプになった時に、『特別課題!』ってニコニコしながら言われたんだよ。まあ、怖いよね、逆に笑顔が。やります!ってなったよね…。」
コミカルな顔で首をすくめる西山先生に、陽菜もフッと頬が緩む。
陽菜「すごい人なんですね、加藤塾長。」
西山先生「そう、あの人のおかげで俺も合格できたって感じ。」
(陽菜心の声『そう何だ…。確かによくみてるかも、加藤塾長。生徒達一人一人のこと。』)
西山先生「ま、俺の話は置いといて、とにかく山本さんがだいぶまた前向きに戻ってよかったかな。」
陽菜「…はい。」
西山先生「じゃあ…仕上げと行こうか。」
(陽菜心の声『仕上げ??』)
目を瞬かせた私に、今度はにっこりと目を細めてニカっと白い歯を見せ、イタズラな笑顔の西山先生。
西山先生「つーわけで、行くよ。」
突然ふわっと腕を引っ張られ、そのまま階段を降りて玄関まで行く。
陽菜「に、西山先生…?」
西山先生「今日の課題は、『絶叫』!
山登りして、頂上でヤッホーでもする?それとも、お化け屋敷がいい?それとも…絶叫系の乗り物?カラオケ?」
陽菜「え、えっと…な、なんで…。」
西山先生「だいぶ前向きになってきたのを加速するために、今日はとにかく声を出す!そうすると、不思議とスッキリするから。」
陽菜「な、なるほど…」
西山先生「あ、ちなみにこれは俺のオリジナル。塾長の受け売りじゃないけど、テキメンだよ?」
ニヤリと得意気な顔を見せる西山先生の表情に陽菜もまたつられて笑顔。思わず握られている手のひらをギュッと握り返した。
陽菜「…じゃあ、遊園地…あ、でもやっほーも捨て難いですね!」
西山先生「んじゃ、両方できる体験型パークに行けばオッケーなわけだ。」
そう言うと、陽菜の手を解放し靴を履く西山先生。
それに続き陽菜も靴を履いた後、玄関の鍵を閉めた。
陽菜が肩掛けの鞄に鍵を仕舞うのを見届けるやいなや、「じゃぁ行くよ!」と走り出す西山先生。
陽菜「え?!ちょ、ちょっと待って…」
西山先生「ほら、走れ〜!」
笑いながら走っていく西山先生の後を陽菜も軽い足取りで追いかけた。
○電車の中
陽菜心の声『“体験型パーク”と言っていたけれど、どこに行くんだろうか…。』
そんな疑問はあったけれど、西山先生が連れて行ってくれる所だからと何も不安はなくて、寧ろワクワクとしている陽菜。
電車の中、ふと出来た沈黙。思わず西山先生を見たら、ニコッと優しく微笑まれてドキッと心音が鳴る。
西山先生「後一駅だから。意外と混んでて座れなかったね。ごめん。」
陽菜「いえ…それは大丈夫です。その…パークまで走ったらどうしようとは思ってましたけど。」
陽菜の答えに、今度はふふっと楽しそうに笑う西山先生。
電車のドアにもたれかかり、腕組をするその姿が何だか様になってかっこいい。
陽菜心の声『…西山先生ってモテそうだな。
これだけイケメンなのに、優しいし、言動が何というかスマートで。』
陽菜「…西山先生、彼女いないんですか?」
ふとそう聞いた陽菜に、西山先生の目線がまた窓の外から陽菜に移る。
西山先生「…“いない”って答えたら、山本さん、なってくれるの?」
陽菜「?!い、いえ!そう言うことじゃなく!」
西山先生「しー!」
思わず大きな声を出してしまった陽菜に、西山先生が、人差し指をたて、顔の前に持ってくる。顔が一気に紅潮し、熱を持った陽菜の代わりに、周囲に「すみません」と少し会釈をすると、また陽菜に視線を戻した。楽しそうに笑ってるその余裕ぶりが何か気に入らなくて、思わず、ムッと唇を立てる陽菜。
陽菜「西山先生が変なこと言うから。」
西山先生「別に言ってないよ?『なってくれるのかな〜』って思っただけ。」
陽菜「…なりません。」
西山先生「そりゃそうだ。なんせ山本さんには、大好きな彼氏がいるもんね。」
そう言われて、不意に思い出した、裕紀の柔らかい笑顔と「ヒナ」って呼んでくれる優しい声色。
陽菜心の声『…この前は会いたくないって思っていたけれど、今は恋しい…な、ヒロにいが。
早く帰ってこないかな…ヒロにい。』
西山先生「そういや、車の免許場って近いの?彼氏が行ってる合宿の所。」
陽菜「え?」
西山先生「や、この3日間で会いに行ったんだろうなって思って。」
(陽菜心の声『あ…そっか。
西山先生には事情を話していないんだった。
友香里さんに会って気持ちが沈んでいたから、それが原因なんだと言うのは知っているだろうけれど、内容は知らない。
そうか…それなのに何も言わずに3日間の猶予を与えてくれて、今も無理矢理その理由を聞き出そうとはしていない。
けれど私は前向きに戻れた。
やっぱりすごいな、西山先生は。』)
陽菜「あの…」
陽菜が話をしようと思った瞬間、電車のアナウスが駅の到着を告げる。
西山先生「あ、着くね。とりあえず行こうか。話は到着してから。」
陽菜の背中を軽く押して下りるように促してくれるその手が優しい。導かれるように足をホームへと踏み入れた。
西山先生「ここからバスが出てるから。車酔う人?」
陽菜「大丈夫です。」
西山先生「そっか、だったら良かった。」
バスに乗り換えて、言った先は、少し街中から離れたグランピング場もある綺麗な施設。
丸太で作られた吊り橋が高い所にあるものや、水上コースターのようなものまで、バラエティに富んでいるアトラクションのある所だった。
西山先生「よし、まずは吊り橋からいく?」
陽菜「え…、あ、あれですか…」
西山先生「ほら!行くよ!何事も体験!」
西山先生にグイグイと背中を押され、逃げ腰になりながら高いところまで登っていく陽菜。地上…100mはあるだろうか。転落しても安全なようにハーネスががっちりとつけているけれど、揺れる吊り橋と、真下に見える景色に足がすくむ陽菜。
それでもゆっくり前に進んでは行けたけど…
西山先生「お、行ける。すごいね、山本さん。」
陽菜「ちょっ!揺らさないで!」
前を行く西山先生が、余裕で振り返り、少し足元を揺らす。
陽菜「やめて…ってば!ぎゃ!ちょっと!」
必死な陽菜は、ぎゃーぎゃーと声を出して大騒ぎ。
その後も、水上コースターに乗ったり、小高い丘をロープを伝って登ったり…本当によく叫んで夢中だったと思う。
丘を登り切って、頂上に着く頃には、汗びっしょりかいていたけれど。
陽菜「わ…すご…っ!」
ウッドデッキの様な展望台に立つと、景色が開け、街の向こうに海が見えて夕陽が薄オレンジの光をその水面に伸ばしていた。
その景色に思わずほおが緩む陽菜。
夕方の風が汗を拭うように体を包み、熱をさらって行ってくれる感覚に、気持ちが本当に爽やかな感じがする。
気持ちが…それだけすっきりとしていたのかもしれない。
何も考えず、自然と話をし始める陽菜。
陽菜「…私、この3日間でヒロにいには会ってません。」
陽菜を一度見た西山先生は、「そうなんだ」とまた前を向く。
陽菜「実は、今回私が気持ちが不安定になってしまったのは、ヒロにいの免許合宿が原因なんです。先生と塾のビルの前で3日前
会った時に、話していた人に、『ヒロと羽純は二人で免許合宿に行った』って聞いてしまって。羽純さん…あと、この前話していた友香里さんは、ヒロにいの大学の友達なんですが…。ヒロにいからは免許合宿に行くと言うのは聞いていたけど、羽純さんと一緒に行くなんて話は知らなかったので…気持ちがその…ざわついてしまって。」
「……。」
西山先生は、ただ穏やかに吹いてくる風を受けながら、陽菜と同じ景色を見て、静かに聞いてくれているだけ。
(陽菜心の声『…すごく話しやすい。
凄い人だな、本当に。
どんな場面でもこうやって、ちゃんと人の居心地を良くできる。』)
陽菜「…友香里さんには前々から言われていたんですけどね。”ヒロと羽純はニコイチだ”“恋人同士みたいだ”って…。あの日は、“前からそう伝えてるのに、それでもヒロを独占したいのか”なんて言われてしまって。
ああ…私は邪魔者だったんだって…痛感してしまって。」
水平線の太陽は、どんどんと沈み行き、次第に周囲は薄暗さを増してくる。それでも吹いてくる風が涼しさを運んできて、これだけあの日の辛いことを話しているのに、なぜか気持ちは前向きな陽菜。穏やかな顔で西山先生を見る。
陽菜「…だけど、西山先生に3日間の宿題をいただいて、訳もわからず必死になって、“今”会いたい人に会いに行ってみたら、どんどん前向きになれて。結局やっぱり、私はヒロにいが好きなのは変わらないから。それならヒロにいを信じていようって思いました。西山先生のおかげです。本当にありがとうございます。」
西山先生の方に向き直って会釈をした私に、ふうと少し息を吐く西山先生。
西山先生「…もし、友香里って子の話が本当であっても、事実はわからないしね。」
陽菜「はい、友達にも言われました。だから…色々あれこれ詮索していても仕方ないかなって。事実がちゃんと見えるまでは。」
西山先生「だね。その通りだって俺も思うわ。」
そのサラッとした黒髪を夜風が少し攫って動かす。それに気がついてかなのか、少し髪を片手で梳かす仕草をした後、また景色の方へと視線を向ける西山先生。
西山先生「…山本さんはさ、強いと思う。そうやって行動出来るんだから。」
陽菜「そ、それは西山先生がきっかけを与えてくれたから…」
西山先生「そう、きっかけはね。でも俺は何も手伝っていないし、助けることもしなかったでしょ?それでもやり切った。それはね、凄いことだって俺は思う。誇っていいと思う。自分は踏ん張れるんだって。」
西山先生は「けどさ」と話を続けながら今度は、長い両腕を上に持ち上げ指を絡めると上にんーっと伸びをする。
西山先生「強いからって、山本さんに対して誰かが何でも言って傷つけて良いって訳じゃない。山本さんは、少し覚えた方がいいかもね。」
陽菜「覚え…る…」
西山先生「そう、自分を傷つける人に対して、『お前にそんなことされる筋合いはねえ』って…理不尽なことをする人を撃退する術をね。」
陽菜心の声『撃退する…術。』
陽菜「それは…やはり、最強になるべく…」
陽菜の返しに西山先生はハハッと楽しそうに笑うとくるりとむきを変えて、背中をウッドデッキの柵へもたれさせた。
西山先生「まあそれも自分を守る手段ではあるけどね。そうじゃなくてさ、もっと『違う』とか『怒り』とかそういう感情を不快だと思った時に毅然とした態度として出しても良いと思うんだよね。相手じゃなく、自分の気持ちが自分にとっては正解だって。」
不意に思い出した、いつしか言われた若菜の言葉。
○回想、相央大学法学部教室前で若菜と陽菜が話しをした時。
若菜“ヒナ先輩が感じていることが正解だって思って大丈夫だと思います。”
○現在
鼻の奥がツンと痛みを覚えて目頭が熱くなる陽菜。
西山先生「…山本さんはさ、自分が思ってるよりもずっと物事を見聞きして冷静に見ているし考え方だってしっかりしている。だからさ、もっと自分を信じてあげて良いんじゃないかと思うよ。」
陽菜「信じて…」
西山先生「そ。だって、会いたいって思った人達に会ってみたら、前向きになれたでしょ?」
陽菜「は、はい…」
西山先生「それって、山本さんが“会いたい”と思った人は皆んな山本さんを好きだったってことの明確な証じゃん。
それはつまり、山本さんが少なくともその人達にとって、魅力的な人間だってことなわけ。会いたいと言われれば、自分も会いたい。落ち込んでるなら話を聞いてあげたい、気分転換をしてあげたい、応援したい。そう言う人達が居るんだってちゃんと実感出来て良かったね。」
夜風に乗せて、西山先生の言葉が優しく陽菜に響く。ポタッ、ポタッと涙がこぼれ落ちた。
西山先生「思わなかった?『私、こんな風に話を聞いてもらえて幸せ者だなあ』とか『突然なのに会ってくれて嬉しいな』とか。」
陽菜「思い…ました。」
西山先生「でしょ?そう言うの、凄い大事だって思うよ?特に、受験勉強に身を置いている最中は。
前を向けた山本さんは確かに凄いけど、でも、強い自分で居ないととは思わなくて良いと思う。つか、誰だって弱くて当たり前だし。傷ついた自分に焦ってはいけないよね、こう言う時は。傷ついたんだったら、ちゃんと癒して、自分を大切にしないと。
じゃあどうやって癒すか…まあ、そこはその人次第だけど、やっぱり、『自分は一人で悩まなくて良いんだ』って気が付くことが近道な場合は多いよね。
もちろん、悩みを解決するのは本人だけどさ。でも、山本さんを好きな人達はそれに寄り添うことができる。意識的じゃなくて無意識に。そんな人が何人もいるなら、それはやっぱり山本さんは凄いってこと。」
陽菜心の声『ああ…本当にこの人が先生で良かった。うわべの励ましなんかじゃなくて、私が、ちゃんと知っておかなければならないことを教えてくれる。
私…この人のような人間になりたい。』
グッとお腹に力が入り、全身が強くなった気がする陽菜。
陽菜「…西山先生。」
西山先生「ん?」
陽菜「私、絶対受かります。誰が何と言おうと、法学部に入る。」
西山先生「お、凄いね。やる気のオーラがめっちゃ出てる。」
陽菜「はい!今、カメハメハ飛ばせる勢いです!」
西山先生「えっ?!カメハメハを知ってんの?!山本さん。」
陽菜「お父さんが好きで読みました、ドラゴンボール。」
西山先生「そっか、じゃあ、俺も山本さんに気を注入させてもらお。」
そう言うと、柵から体を起こして、その手のひらを陽菜の頭の上にポンと乗せる西山先生。
西山先生「…山本さん、カメハメハも良いけど、せっかく皆から気を分けて貰ったんだから、でっかい元気玉を落とすよ。」
陽菜「はい!フリーザを一発で仕留めて見せます。」
西山先生は陽菜の返答にあははと笑うと、「んじゃ、帰ろう。」とポンポンと撫でた後、その手をふわりと離す。その余韻が心地よくて、思わず頭に自分の手を乗せた。
(陽菜心の声『…受験勉強、絶対にやり通す。
“誰のための受験”?
答えは出た。
受験は、私の為だと言うのは、当たり前。でもそれだけじゃない。
私の意志を見守り応援してくれている人達に恥じないよう頑張る為でもあるんだ、私にとっては。』)
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