◇
ヒロにいとの旅行から帰った翌週
○この辺では珍しいオーガニックサラダボウルのお店
(お店に入ってすぐのカウンターで注文してから、2階のテーブル席へ行き運ばれてくるのを待つお店。
数種類のサラダボウルから、選ぶ。様々なサラダが玄米雑穀ご飯の上に乗っているサラダ丼のおしゃれな感じ。席はローテーブルに、ソファという組み合わせの4人がけに陽菜、なつみ、さあちゃんの3人で座る。)
注文を終え、席についてすぐに、はいとお土産を渡す陽菜。それを受け取りながら、「どうだった?!」聞くなつみとさあちゃんに、陽菜は若干苦笑いをしつつ、話をする。
なつみ「はあっ?!何それ!」
さあちゃん「超ムカつく!その女!」
二人揃って、目を三角にして怒り出す。二人の言葉に友香里を思い出し、更に苦笑いの陽菜。
(陽菜心の声『いや…まあ…結果的に少しの時間、嫌な思いはしたけれど。
私、途中で逃げ出したし…ヒロにいは迎えに来てくれたし…。』)
陽菜「友香里さんの言ってることって、その通りだなって思ってさ…」
言った陽菜に、なつみとさあちゃんは、目を三角にしたまま、ぴたりと動きをとめ、お互い顔を見合わせてそれから陽菜に少し顔を寄せる。
なつみとさあちゃんは眉間に皺がよってて、目が白黒している。
なつみ「…何言ってんの、ヒナ。問題は、そっちじゃないでしょ。」
さあちゃん「まあ、友香里ってヤツも大概ムカつくけど…」
陽菜「え?ど、どう言うこと?」
ルイボスティーを一口飲んで、キョトンとした陽菜を見て、二人とも今度はほおを緩ませ、その後、くーっ!と悶え始めた?
なつみ「もー!やっぱりヒナはヒナだ!」
さあちゃん「本当に!可愛すぎか!」
陽菜の隣に座っていたさあちゃんが陽菜の頭をなでなでする。
さあちゃん「…まあ、ヒナに勝てないって思ったから余計にマウント取ろうとしたのかもね、ソイツ。」
さあちゃんがそう言って、陽菜に微笑むと、アイスティーを一口飲んだなつみが、ソファの背もたれに腕組みをして寄りかかった。
なつみ「に、してもだよ?したたかだねーその羽純って女!あーヤダヤダ!」
陽菜「え…は、羽純さん?で、でも…羽純さんはずっと友香里さんを嗜めたり、『昨日はごめんね』って。話し方も丁寧で優しい感じだったし。気を使ってくれていたよ?」
陽菜が困惑し、そう言うとなつみは腕組みしたまま目を細める。
なつみ「ヒナ、わかんない?」
陽菜「う、うん?」
なつみ「じゃあ…教えてしんぜよう。」
神妙になったなつみに合わせて陽菜も箸を置いて、姿勢を正して少し前のめりで、言葉を待つ。
少し、こくりと思わず生唾を飲んだら、さあちゃんが隣で、「ヒナ!」となぜか陽菜にくっついた。
なつみ「ちょっと、さあちゃん!陽菜が意を決して言おうと思ってるのに…話の腰を折らないでよ。」
さあちゃん「いや、だって!反応が素直過ぎて、ヒナはやっぱり可愛いから。」
なつみ「だからさ。可愛いヒナがコケにされたんだから黙ってられないよねって話でさ。」
さあちゃん「それな!」
さあちゃんにぎゅーぎゅーされたままキョトンとしている陽菜に、ふうとため息をついたなつみはアイスティーをまた一口飲んでから「だからね」と口を開いた。
なつみ「もし、羽純さんが、本当にヒナを気遣っているなら、友香里さんが隣に座れって言っても断るだろうし、その時点で友香里さんを嗜めるでしょ。」
(陽菜心の声『あ…そういえば…。羽純さん、全く断らずに、「え…でも…」とは言って遠慮がちにしていたけれど、座った…。』)
なつみ「それにさ、大学の話が続いていた時も本当に気遣っていたら、ヒナが飽きる前に共通の話題を振るでしょ。お互い伊豆にいるんだから観光の話をしたり世間話に変えたりって出来るよ。
だって、もういい大人だよ?高校生の陽菜達でさえ、その位わかるよ。」
さあちゃんもなつみに相槌をうちながら、ミニトマトを一つ口に入れて食べると、ふうと息を吐く。
さあちゃん「友香里さんが、羽純さんと『ヒロにい』が仲良しで『ヒロにい』がいつも羽純さんを気にかけてるって話だって、否定しなかったんでしょ?」
陽菜「う、うん…」
なつみ「話を聞いてるとさ、羽純さんは自分が都合の良い様に立ち回ってるんだよ、友香里さんを盾にして。そんなイメージ。まあ、計算なのか天然なのかは定かじゃないけど。」
陽菜「で、でも…話題が分からないものばかりで、陽菜が疲れた顔になったら、『ごめんね、分からないよね』って…」
さあちゃん「それ!まさにそうじゃん!わざと『分からないからつまらない顔してるんだよねあなた。大人気ないね』って言われてるようなもんじゃん!ヒナがつまらなそうにしてるのを、悪い印象になるようにさりげなく誘導してるんだよ。」
陽菜「そ、そう?」
なつみ「だって、本当に気遣い出来る人なら、そんな事改めて言わずに、会話の内容を切り替えるよ!それをわざわざ、『分からないよね』ってさ…。
まあ、切り替えた内容も、勉強を『ヒロにい』に教わってることについて、友香里さんが文句言うのを分かってた可能性すら疑うよ、私は。」
さあちゃん「とにかくさ!羽純って女は気をつけないとだよ!ヒナ。」
なつみ「そういや、ヒナ、『ヒロにいが居るから相央大学に行きたい』って言ってなかった?これは…大学に入ったらもっと戦わなきゃいけなくなるよね。」
あ…そうだった、と陽菜が何かを思い出す。
陽菜「そのことなんだけど…。その…二人にちょっと相談したいことがあって。」
陽菜の代わりに、「待ってろ、羽純!ヒナに勝てるわけないんだからね!」と戦闘モードになっているなつみとさあちゃんは陽菜の言葉に、一度ぴたりと動きが止まる。目をぱちぱちとさせて首を傾げる姿が全く同じで、思わず今度は陽菜の頬が緩んだ。
(陽菜心の声『二人とも、私のこと可愛いって言ってくれるけど、陽菜からしたら、なつみとさあちゃんはかなり可愛いんだけどな。
というか、私だけじゃない。
なつみもさあちゃんも彼氏が溺愛している。
でも、彼氏の気持ちはわかる。
二人とも、裏表なくさっぱりしているけれど、こうやって友達のために一生懸命になってくれるから。』)
出会って、仲良くできたことに「ありがとう」と思いながら、内容をお話しする陽菜。
それを熱心に聞く、二人。
なつみ「塾かあ〜。ヒロにいに教わるのはもうやめようってこと?」
陽菜「うん…友香里さんに言われた事はもちろん嫌な思いはしたんだけど、一理あるなあって。陽菜の人生の節目の出来事を一部であってもヒロにいに責任が行くのは違うと思うんだ。」
ルイボスティーのグラスの中で氷が溶けて、少しカランと音を出す。
それをストローでかき混ぜてから少し口に含んだ。
そんな陽菜を見ていて、さあちゃんも穏やかな眼差しを陽菜に向ける。
さあちゃん「…私もちょっと思うかな、そこは。確か、羽純に言われたんだよね、『解放してあげて』って。」
陽菜「う、うん…」
さあちゃん「まあ、言い方は明らかにマウント取ってて、上から目線で『陽菜の方が本当のヒロをわかってます』的な感じで嫌だけど!ってか、思い出したらめっちゃ腹立ってきた!何が『ヒロのヒナちゃんに対する好きは恋愛感情?』よ!お前が都合の良い方に考えたいだけでしょうが!」
「さあちゃん、落ち着け。言いたい事から話が逸れてない?」
さあちゃん「はっ!そうだよ、なつみありがとう!とにかくね?」
ふうと息を吐いたさあちゃんは、穏やかだけど真面目な顔になる。
さあちゃん「羽純は嫌だけど、言っている内容的にはさ、ヒナにも同じことが言えるのかなって思ってさ。」
陽菜「同じ…こと?」
首を傾げた陽菜に、なつみも穏やかに笑い、姿勢を正してから少しかがみ、体を陽菜に寄せた。
なつみ「…“ヒロにい”をそろそろ卒業しても良いんじゃないかなってこと、でしょ?さあちゃん。」
さあちゃん「それ。」
陽菜「そ、それは…」
さあちゃん「あー…うん。それがどう言うことになるかは分からないけどさ。でも、今の『幼馴染』ありきの距離感を少し変えてみたらまた違う目線が持てると思うって話でさ。別れろとか、そう言う類の話ではなくてね。」
なつみ「羽純のヤツは絶対に、『別れろ』路線で話したよね。そりゃマイルドにしたら、相手は食ってかかれなくなるよ。それでヒナが怒りだしたら、ヒナが悪者になるんだから。それをわかってやってんのかな。」
さあちゃん「どっちにしても、したたかで、やな感じ!」
なつみとさあちゃんはまたプウっと頬を膨らまして、怒り始めて、サラダボウルに入っているビーツや揚げなすを頬張り出した。
“ヒロにいから卒業”か…。
なつみ「塾はいいきっかけだと思うな。」
なつみがそう言ってまた少しアイスティーを飲む。
それを見ていたら、さあちゃんも、そうだよ!と少し目を輝かせた。
さあちゃん「塾もさ、もちろん勉強をしに行くんだけど、他校の生徒もいたりとか、先生とかチューターさんとも話をするし。
色々な人が居るから、視野を広げるという意味では良いかもね!」
なつみ「そうだね。特に大手塾のチューターさんとか、個別指導の先生の一部は、大学生が多いから、歳も近いけど大人で結構話しやすいし、わかりやすく色々教えてくれるよね、大学生活のこととか、受験勉強のこととか色々。」
陽菜「二人は違う所だよね。どうやって決めたの?」
さあちゃん「色々見て回ったの。体験授業やってたりするから、申し込んでみれば?どんなところがいいの?」
陽菜「うーん…完全に個別はちょっとって感じだけど、かといって大勢すぎるのもなあって思ってて」
なつみ「少人数の個別指導ってやつかな、そうすると。それだと、この辺とか…」
さあちゃん「あ、こっちもそうじゃない?」
色々見て回っただけあって、なつみもさあちゃんも色々な所の情報を持っている。
勉強ひとつをとってもヒロにいに依存しすぎていたんだなと、実感する陽菜。
(陽菜心の声『これから…一つ一つ変えていこう。頑張ろう。』)
そう誓って、予約した体験授業。
3月最後の土曜日は、ビルの間から見える空がどこまでも晴れ渡っていて、二人で旅行した時に見た桜並木の向こう側の空を彷彿させた。
家から一番近い駅の北口から徒歩5分位の所に立ち並ぶビルの一つ。少し広めの明るいエントランスを通り過ぎてエレベーターで5階まで上がった。
扉が開いてすぐの廊下を左に曲がると入り口がすぐに現れる。
少し緊張気味に、ドアを開けると中から、濃グレーのスーツを着たショートカットの細身の女性が「こんにちは」と穏やかに出迎えてくれた。
○塾内
塾長の加藤先生「体験の申し込みをしてくれた、山本陽菜さんですね。陽菜がお電話でやり取りさせていただいた、塾長の加藤です。
今日は、よろしくお願いします。」
細身の体ながら、姿勢良く小首を傾ける姿がどことなく凛として見える加藤先生。
思わず気後れして、「よ、よろしくお願いします!」と思い切り頭を下げる陽菜に、目を細めてふふっと笑った加藤先生は、「緊張している?」と言いながら、奥へと案内してくれる。
加藤先生「うちは、対面式の個別指導だから、教室の中を5つ位に分けていて人グループ4人〜5人で机を付け合って、そこに一人の講師という形で…」
?「塾長!代わりますよ。」
奥へと進んでいくと、黒髪のセンターパートヘアの男性が現れる。
裕紀より少し年上位の人というイメージ。背も高め…180cmはない気がするけど、178cmの裕紀と同じくらいな気がする。
ジャケットにTシャツで、少し腕まくりをしている感じで…なんとなくおしゃれ。雰囲気がとても落ち着いている。社員の先生かなと陽菜は考える。
西山先生「どうも。西山と言います。」
陽菜「あ…や、山本陽菜です…よろしくお願いします。」
西山先生「おー!いい感じに緊張してるね。」
ふふっと柔らかく笑った西山先生は、塾長の加藤さんの代わりに陽菜を奥へと案内してくれる。
西山先生「山本さんの席は今日はここで。俺が今日ここのグループの講師だからよろしくね。」
言われた席に陽菜がカバンを置いたのを見ると、「じゃあ、自習室の方も案内するから」と陽菜に歩くように促す西山先生。
西山先生「山本さんは今まで塾に行ったりとかしてたことは?」
陽菜「いえ…」
西山先生「そうなんだ。それで北翔高校(陽菜の高校)はすごいね。」
(陽菜心の声『…ヒロにいの教え方が上手いってだけで私の実力ではない気がする。
とはいえ、初対面の人に「幼馴染がずっと教えてくれてるんで!」なんてなんとなく言えない。
私…ヒロにいがいるのが当たり前になり過ぎていたんだな。
本当はもっと早く、こうやって自分の世界を作って行かなきゃいけなかったのかも。』)
西山先生「大学はどの辺狙い?それによって勉強内容も変わってくると思うけど…」
何気なく西山先生に言われた言葉にドキッと心音が鳴る。
(陽菜心の声『…正直言って、相央大学しかよく知らないんだよな。
この時点でそれってやっぱりやばいのかな。』)
不安もあって、「先生」と名のつく人に話を聞いてもらいたくなった陽菜。
陽菜「えっと…相央大学…」
どもりながらも、そうお話ししたら、西山先生の笑顔が、パッとさらに輝く。
西山先生「おっ!そうなんだ!俺、相央大学だよ!」
「え……っ」と思わず目を見開く陽菜。
陽菜「だ、大学生…」
西山先生「そこ?!」
「ひっでー!」と楽しそうに目を細める西山先生。
西山先生「まあ、確かにちょっと老け顔って言われるかも。」
陽菜「い、いや…そういうことではなくて…。」
(陽菜心の声『普通に社会人なのかと思ったから…なんていうか、落ち着いていて話しやすくて柔らかい雰囲気がある人だから。』)
陽菜「…私よりだいぶ大人に見えたので。」
西山先生「そりゃ、3歳も違えばオジサンだよね。」
陽菜「そ、そうではなくて!」
慌てる陽菜を楽しそうに笑いながら自習室の中を案内してくれる西山先生。
西山先生「それで?うちの大学の何学部に興味があるの?」
陽菜「そ、それは…」
くちごもる陽菜に優しく微笑みながら、横にあった椅子を少し直した。
西山先生「もしかして、彼氏がうちの大学とか?」
陽菜図星を突かれて「っ!」と顔を一瞬にして赤くする。
西山先生「おっ、図星!」
ハハって今度は笑いながら、立ち止まり少し曲がっている椅子をそっと直す西山先生。不純な動機を見透かされたと恥ずかしくなり、少し俯く陽菜。
西山先生「良いじゃん、その理由!」
……え?っと陽菜が顔を上げると、口角をキュッとあげて少し小首を傾げてニコッと笑う西山先生。
西山先生「だって、まだ17か18歳でしょ?やりたいことが決まってない人なんてザラでしょ。とりあえずどっか大学入ろうって人もいる中でさ。彼氏と大学生活謳歌したい!って立派な理由じゃん。しかも、相当頑張れるんじゃないの、そういうのって。」
陽菜「そ、そうですか…?」
西山先生「うん。理由なんてさ、なんでも良いんだよ。自分が行こうと思う気があるかどうかが大事。
受験勉強って、そう言っちゃなんだけど、俺は過酷だと思ってて。だから、自分のモチベーションが保てなければ途中で挫折するわけで。だから、『ここの大学に入りたい』って強く思ってると頑張れる。」
陽菜「西山先生は…思ってたってことですか?」
西山先生「俺?俺はね、大学はどこってなかったんだけど…とりあえず法律勉強すりゃ、最強!って思って法学部受けた。」
陽菜「…なんですか、それ。」
陽菜の反応にまたハハって声を出して笑いながら、ヘッドホンとタブレットの扱い方を丁寧に教えてくれる西山先生。
(陽菜心の声『そういえば…相央大学の法学部って相当偏差値高いけど、司法試験の合格率がすごく良いってヒロにいが言ってた気がする。』)
陽菜「今…何年生ですか?西山先生は。」
西山先生「2年。来月から3年だから、今年いっぱいかな。塾講師は。」
(陽菜心の声『そっか…司法試験の勉強しなきゃいけないんだろうしな。』)
西山先生「まあ、俺の話はさておき、とにかく山本さんがやる気があって頑張ろうと思えるなら、それは理由がなんであっても正しいと思うよ。」
鼻の奥がツンとして、少し目頭が熱くなる陽菜。
(陽菜心の声『単純に嬉しかったのだと思う。
今の自分を肯定された事が。
…このまま頑張って良いんだ、大学に入るために。』)
行こっかと促されて、自習室から席へと運ぶ足取りが軽くなる陽菜。
◯再び塾教室
……そこから、90分行われた『お試し授業の英語』。緊張していたのは最初だけ。
西山先生「その英単語はこっちの熟語と連動してて…」
西山先生「ここは、文章全体の意味を捉えないと解けないから、ポイントはここ。」
西山先生の教え方はとても上手で、渡された課題を解く陽菜の手が止まるタイミングで必ず話しかけてくれて解くためのヒントや道筋をわかりやすく丁寧に教えてくれる。
そのおかげか、かなり集中していた。
気がついたら90分経っていて、達成感と充実感で満たされている陽菜
(陽菜心の声『西山先生…凄いな。私だけじゃなくて、他の生徒さんのことも同じようにサポートしてる。』)
授業後に生徒達と楽しそうに話をしている西山先生を思わずジッと見てしまっていた陽菜の視線に気がついて、ニコッと笑顔を向ける西山先生。
西山先生「どうだった?」
陽菜「はい…なんだか、楽しい90分でした。」
西山先生「そっか。それは何より。」
陽菜の言い方が面白かったのか、ハハっと笑う。
西山先生「まあ…山本さんの今日の感じだと、うちみたいな個別でも、大手でもやっていけそうな感じはあるから、よく考えたら良いと思うよ。もちろん、うちに入るなら全力でサポートするけどね」
そう言いながら、「あえて、『またね』って言っとく。」と去っていく西山先生。
(陽菜心の声『なんだか…素敵な人だなあ。
「入ってね」というわけでもなく、「違うところに」とそっけない感じでもなく。
ああいう風に話ができるって凄いかも。』)
西山さんは再び生徒に話しかけられて、笑顔で答えている。
(陽菜心の声『…誰に対しても同じようにああやって接してるのかな。
それも凄いことなんじゃ。』)
西山先生と入れ替わりで塾長の加藤先生が陽菜のもとへやって来る。
塾長「どうでしたか?」
陽菜「はい…なんだかとても充実していた気がして…」
塾長「そうですか。よかったです。山本さんの感じだと、個別も大手の集団もきっと大丈夫だと思いますよ。」
陽菜「あ…西山先生にも同じことを言われました…」
塾長「そうなのね。西山先生は、生徒さんのこと、よく見てるから。」
ふふっと柔らかく笑う塾長の加藤先生
(陽菜心の声『そう言えばさっき、塾長の加藤先生は他の生徒や先生と話す時も同じように優しい顔をしていた。
他の先生も…皆なんていうか、優しく柔らかく、楽しいってイメージ…。』)
塾長「…うちは大手ってわけでもないし、講師も大学生が居るから、教えられる時間帯は限られてしまっているんです。同じ時間帯に、高校三年生だけではなく、他の学年や中学生も居る。その環境の方が合っている人もいれば、周りが全員受験生の方が合っている人もいる。よく考えていただいて…もし、うちを選んでくれるならば、大学合格まで全力でサポートします。」
加藤先生に見送られ、塾を後にする陽菜。
陽菜心の声『もう…心は決まったな。
塾長の加藤先生や西山先生はじめ、雰囲気がとても良い気がした。生徒さんの表情も。
もちろん、加藤先生が言った通り、合う、合わないがあると思う。
私には…
◯陽菜回想
西山先生『良いじゃん、その理由!』
笑顔で言う西山先生。
◯再び現在
(陽菜心の声『…絶対、ここだって思う。』)
◯陽菜の自宅リビング
陽菜「お父さん、お母さん!私決めた」
塾から帰りリビングのドアを開けてすぐに、お父さんとお母さんに「ここの塾がいい!」と熱弁をふるう陽菜。
陽菜父「陽菜が良いと思った所が良いよ。」
陽菜母「そうね。陽菜、頑張れ!」
微笑みながら同意する陽菜父母。
◯週末塾にて
陽菜と陽菜父で、再訪し、塾の面談室にて、入塾の手続きを済ませ、出て来た所で西山先生とバッタリ会う。
西山先生「おっ!入ってくれるんだ。」
にっこり笑う西山先生。
陽菜「はい、これから1年間、よろしくお願いします!」
笑顔で言う陽菜に、笑顔で「全力でサポートさせていただきます」と会釈する西山先生。
西山先生「言っとくけど、スパルタだよ?俺は。お試しの時は、猫被ってたからね。」
冗談ぽくにっと笑う西山先生。
そこに頼もしさを何となく感じる陽菜。
じゃあ、また、授業でね、と去っていく西山先生。
陽菜父「良い先生がいるみたいだね」
その背中を見送りながら、微笑む陽菜父と陽菜。
◯家の食卓にて
陽菜母「良い塾がすぐに見つかってよかったけれど…問題は、帰りよね。終わるの10時でしょ?迎えに行かないと」
お昼ご飯の、キャベツとベーコンのパスタを3人でダイニングテーブルに座り食べながら、カリキュラム表を見て、うーんと唸る陽菜母。
陽菜父「リモートワークの方が迎えにいく感じかな」
陽菜母「そうね…水曜日がちょっとバタバタだけど…やれなくはないわね!」
両親二人で、うん、大丈夫とやる気の表情になる。
(陽菜心の声『そっか、お父さんもお母さんも水曜日が比較的遅い。
会議が入ったり、残業することも多いから、一人でお夕飯を食べたり、それこそヒロにいのお家にお邪魔することもあった。』)
陽菜「一人で帰ってくるから…」
陽菜父・母「「危ないからだめ!」」
(陽菜心の声『…過保護なんだよな基本、うちの両親。
夜の10時ってどうなんだろう。結構人は歩いてると思うけど。』)
陽菜「大丈夫だよ!自転車で帰ってくるから!」
陽菜母「そう?あー!でも!」
うーん…と考えている陽菜母。
(陽菜心の声『仕事の後に迎えに来てもらうって、心苦しい気がするしな…。』)
陽菜もうーんと考え出す。
陽菜父「とりあえず、やってみて体力的にキツかったら、考えようか」
そんな二人を見て、笑顔で、穏やかに言う陽菜父。それに二人は頷く。
陽菜心の声『そうだね、とにかくまずはやってみよう』
○翌月曜日夜、塾を出た所のコンビニ前
裕紀「…お帰り。塾、楽しかった?」
初めての塾の帰りに、お母さんとの待ち合わせ場所のコンビニ前に行ってみたら何故か裕紀が立っていて、驚く陽菜。
陽菜「な、何で…?」
裕紀「や?おばさんが迎えに行くの大変そうだったから、『俺が行きます』って言った。つか、これから迎え、週何回かは俺が来るから。」
(陽菜心の声『た、確かに、先週の土曜日に入塾した後ヒロにいと会ったから、「塾に入った」って報告して、月曜日からだとは言ったけど。』)
裕紀「…何、嫌なの?俺が迎えに来るの。」
陽菜「そ、そうじゃなくてさ…」
裕紀「じゃあ、良いじゃん。ほら、帰るよ。」
陽菜の手をそっと握るとそのまま上着のポケットに突っ込んで歩き出す裕紀。
(陽菜心の声『あったかい…。
嬉しくて思わず頬が緩ん…でる場合じゃない。
これじゃあ、結局ヒロにいに負担をかけてるじゃん!』)
焦る陽菜。手を繋がれたまま、裕紀に話しかける。
陽菜「ひ、ヒロにい…あの…大変だよ?平日にお迎えなんてさ…」
裕紀「俺は、暇なんで。」
陽菜「それは、春休みだからでしょ?」
裕紀「今はね。でも、おじさんとおばさんのが大変じゃん。仕事終わって、家のことやって…それからヒナのお迎え。」
陽菜「そ、それは…そうだけど…」
裕紀「自転車だって危ないでしょ、このご時世。」
陽菜「結構人、歩いてるよ?」
裕紀「人は人。ヒナはダメ。」
(陽菜心の声『…幼馴染が、お父さんとお母さんと同じレベルで過保護ってどうなの?
いや、これは彼氏だから?どっちなの?』)
ビル風に少し吹かれながら、テクテクと少し歩いた所で、信号待ちで立ち止まる二人。
ポケットの中で繋いでいる手が少し緩み、指を絡め直す裕紀。
裕紀「ま、これからヒナは受験勉強で忙しくなるんだから。会う時間の確保にもなるでしょ?」
陽菜「それは…そうだけど…これじゃあ、ヒロにいばっかり私に合わせてくれてるじゃん。」
裕紀「そりゃそうでしょ。ここから一年はヒナに合わせないと。なんせ、受験生ですから。」
そう言われ、ふと考え出す陽菜。
(陽菜心の声『受験生…だから??
いや、待って。
ヒロにいが受験生の時って、うちに結構来てくれてた気がするんだけど。
陽菜のテスト前とかさ。
一緒に勉強してくれて。
土日も陽菜が居ると家に来てくれてたし。
まあ、受験の1年間はゲーム機やらスマホが単語帳や参考書に変わってた気もするけど。
どちらかと言うと…ヒロにいが合わせてくれていた様な。
というか、ヒロにいって塾とか行かないでA大学に入ったってこと…だよね。
それって、めっちゃ頭いいじゃん!』)
陽菜「ヒロにいは天才…」
裕紀「…どうした、いきなり。」
ふふっと笑う裕紀の横顔が柔らかくて、何となく距離を詰めたくなって腕に少しだけくっつく陽菜。
そうしたらまた、ポケットの中で絡められてる指に少し力がこもった。
裕紀「…じゃあ、ヒロにいは天才って事で迎えに来て大丈夫だね。」
陽菜「超人ではないよ。」
裕紀「あんま変わんないじゃん。」
陽菜「…私をバカだと思ってるでしょ。超人と天才の違いくらいわかるもん。」
裕紀「ふーん。」
陽菜「…ヒロにいのバカ。」
裕紀「あ、今度はバカ認定。」
楽し気に笑っている裕紀にきゅうっと気持ちが掴まれ少し苦しくなる陽菜。
(陽菜心の声『…確かに『ヒロにい卒業』が目標ではあるけれど。
ヒロにいに全く甘えないは無理かも。
だって、大好きなんだもん。
すぐに距離を置くなんて無理だよ…。』)
家の門の前まで来ると何となく離れがたくなって、立ち止まってしまう陽菜。
陽菜に引っ張られる形で、止まった裕紀はくるりと向きを変えると、躊躇なく陽菜を左腕で抱き寄せる。
陽菜「ひ、ヒロにい…い、家の前…。」
裕紀「へーきだよ。このくらい。」
陽菜「………。」
誘惑に負けて陽菜も左腕で裕紀を抱き寄せ、目を閉じる。くふふと満足気な吐息が頭の方から聞こえてきて、全身に穏やかな気持ちが染み渡っていくのを感じる陽菜。
裕紀「…ヒナ、明日も塾?」
陽菜「うん…春期講習は土日以外ほぼ毎日かな。」
裕紀「そっか。んじゃ、夜しばらく会えるね。」
陽菜「……。」
裕紀「…何?会いたくないの?」
陽菜「………。」
裕紀「ヒナ?」
陽菜「あい……たくなくない…。」
裕紀「どっちなんだよ、それ。」
優しく楽しそうな声色に、ここ数週間色々なことを考えて何となく入っていた力が抜けていく陽菜。
(陽菜心の声『そっか。私、知らない間に、『ヒロにいと距離を置くために頑張らないと』って力が入って、ストレスを感じてたんだ。』)
よりヒロにいを引き寄せたら、より満たされ、嬉しくなる陽菜。
(陽菜心の声『こんなに大好きなんだもん。すぐに距離を置くのはやっぱり無理だよね。
…ごめんね、ヒロにい。
ちゃんと少しずつ、『ヒロにい卒業』を目指すから。今はもう少し甘えさせてね…。』)
陽菜、穏やかな気持ちをそのままに、そう心の中で思う。
.
◇
○裕紀回想
ー櫻燈庵の部屋にてー
裕紀「悪いけど、二人とも部屋に戻って」
友香里「えー!いいじゃん!もう少し」
裕紀「いいから、戻れって!」
羽純「ほ、ほら…友香里、行こう?ごめんね、ヒロ」
友香里「羽純はもう…ヒロに甘いんだから…」
苦笑いの羽純と不服そうにする友香里が部屋を出ていく。その後、すぐに、裕紀も部屋を出る。
裕紀心の声『…羽純には悪いことしたかなって思ったけど。
羽純をフォローする余裕なんてなかった。
と言うか、フォローしてたら、もっと大変なことになってたんだって、ヒナを見つけて思った。
枝垂れ桜の下で、何やら楽し気に話をしている相手はあの『ハヤカワ』で。
…俺と旅行に来てんのに、電話かける先『ハヤカワ』なんだ。
なんて、身勝手な感情が沸々と湧き起こったあの時。
ついさっきまで散々ヒナに嫌な思いをさせといて、こんな感情…マジで人間ちっさいなって思ったわ。
つか、“ハヤカワ”に電話かけたのだって、結果的に部屋を追い出した俺のせいなのにさ。
部屋に連れ戻して、何だかんだ言いながら、露天風呂にも入れさせて。
全部、自分の不安と独占欲を満たすため。
本当にどうしようもないヤツだって、自分で自分に呆れたけど。
俺が触れるのをいつも通り受け入れてくれてはいるけれど、どこか憂いの雰囲気を出しているヒナに不安が払拭できなくて、結局朝までずっと、ヒナを自分の腕の中に閉じ込めてた。
次の日、朝早くから大浴場に出掛けて行ったヒナは帰ってきたら、やっぱりニコニコはしてるんだけど、何となく元気がなくて。
…昨日言われたこと気にしてんだろうな、ヒナのことだから。
なんて、思っていた。
そんな俺の考えはどうやらビンゴだったようで。』)
○旅行から帰って来た後、3月最後の土曜日、陽菜の部屋
陽菜「来週からここに行くことにしたの!」
にっこり笑いながら裕紀に塾のパンフレットを見せる陽菜。それを受け取り、パラパラとめくる裕紀。
そっか…と相槌は打つ。
裕紀心の声『…やっぱり気にしてたんだ。友香里に旅行の時に言われたこと』
「いいじゃん、今まで通り俺が教えてあげるよ?」と喉まで出かかってグッと堪える裕紀。
裕紀心の声『…おじさんとおばさんと話し合ってヒナが考えて決めたことだしな。
それに…今塾に行くことを反対するのは、俺がヒナを独占したいって欲だろ。
こう言うことでヒナが俺の言葉に影響されるのは、ナシでしょ。』
自分の気持ちがわからないように、いつも通りの笑顔で、ニコニコしているヒナの頭を撫でる裕紀。
裕紀「すごいじゃん。ヒナ、やる気だね」
陽菜「うん!頑張るよ!ちょっと帰りが遅くなるけど…お父さんとお母さんが迎えに来てくれるって言ってくれてるから。お仕事したあとに一つ手間を増やしちゃうけど…だからこそ、頑張ろうかなって思って!」
裕紀「おー。大人じゃん。」
陽菜「本当?!大人??」
褒めると、目を細めて嬉しそうにくふふと笑うヒナに、思わず優しい表情になる裕紀。
(裕紀心の声『…ヒナは自分がどんなにすごい人間か分かってないんだよね。
いつだって、真っ直ぐで素直。だからこそ、友香里みたいに良いことも悪いこともはっきり言うヤツには傷つけられたりするけど、それも自分に吸収できる所があるかもって考える。
それって実は誰でもできることじゃないし、凛としてて強い人間だからだって俺は思ってる。』)
裕紀が陽菜の華奢な体を抱き寄せる。なんの違和感もなく裕紀の腕の中に収まって、ついでにその細腕で裕紀を抱き寄せる陽菜。ヒナのその温もりに、癒されながら
『まあ…この一年はヒナが受験勉強に専念できるように色々我慢かな』と思う裕紀。
その後、妙案を思いつく。
(裕紀心の声『じゃあ、おじさんやおばさんの代わりに迎えに行っちゃえば良くない?我慢するはそうだけど…“ヒナと会わない”って選択肢は俺の中に無いかも。』)
◯裕紀回想
裕紀の迎えに驚いた後、どことなく憂鬱な顔をする陽菜。
裕紀心の声『「俺が大変だ」とかって言うけどさ。
俺にとっちゃ、陽菜と会えなくなる方が一大事なんだよ。
それに、ヒナが夜道を一人で歩いてるのなんて、絶対心配でしょうがないから迎えに来た方が心配も減るし。
「夜10時頃なんて、まだ人が沢山いる」というヒナに、ピシャリとダメと言ったら、ヒナは何か考え込んでいたけれど。
結局、俺の押しに弱いから。
最後には俺が迎えに行くことを承諾してくれて、春休みは毎晩会うことができていた。…けれど。
学校が始まるとそう言うわけにはいかなくて。
一番大きいのは、朝一緒に行けなくなったこと。
授業のカリキュラムの関係で、少し早めにでなきゃいけなくなって、帰りもバイトが入ったりしてて。
結局、水曜日位しか迎えに行けなくなった。
土日もバイトが入ったりするし…ヒナの勉強の邪魔になるのも嫌だから、家に行くのも控えたりしてるし…。
何か…自分が受験の時より数倍しんどいかも。
自分が受験の時は自分が会いたいタイミングでヒナの所に行ってたし。
ヒナがテスト期間中は、ヒナも一緒に勉強するって口実で、朝から晩まで一緒に居たりもできてたし。
俺にとっては、それが癒しになってて、勉強に集中できてたからな…。』)
◯陽菜と裕紀が週一回水曜日しか会えなくなって丸1ヶ月。
5月の中旬になろうかという、金曜日。
バイトで遅くなった帰り道、珍しく徒歩で帰っていて、家まで後少しと言うところで、見つけた陽菜の後ろ姿を見つけた裕紀。
裕紀「ヒナ…」
偶然会えた事に嬉しくなって、声をかけようとしたけれど、そのまま固まる裕紀。
月明かりと街灯に照らされて、笑う陽菜。
その笑顔の先には…隣を歩く裕紀の知らない男。
裕紀心の声『いや…どっかで見たことある気がする。でも、思い出せない…。
まあ、どっちでもいいわ。
見た事あろうがなかろうが。問題は、何でヒナがあんな楽しそうに話をしながら、夜道を男と歩いてんだって話で。』
警戒心丸出しのまま、近づいてって、改めて「ヒナ」って声をかける裕紀。一瞬驚いた陽菜は、「ヒロにい!」って笑顔に変わる。
陽菜「バイト帰り?」
裕紀「うん…まあ…」
気にして見る裕紀に、細めの目でニコッと微笑み余裕の表情で軽く会釈する西山先生。
長めの前髪をセンター分けしてて、ツーブロックの短髪。さらりとした黒髪が街灯に照らされて艶をもっている。
裕紀心の声『背丈は俺と変わんないけど…何だろう、少し大人な感じがして大きく見える。
俺より体格がいいからか?』
陽菜「ヒロにい、こちら塾の講師の西山先生だよ!西山先生、こちらはヒロにいです!」
西山先生「どうも初めまして。西山と言います。」
裕紀「初めまして…。」
『塾の講師が何で一緒にいるんだよ』と、表情を険しく…というか、完全に眉間に皺を寄せて睨む裕紀にも変わらず西山先生は変わらず微笑んでいる。
西山先生「ちょうど、帰り道が同じ方向だったので、水曜日に送らせてもらっているんです。」
(裕紀心の声『ちょ、ちょっと待ってよ。
それ…いつからの話?
会えなくなってたとはいえ、水曜日は俺、迎えに行ってたよね。
でも、ヒナからはそんな話一度も出てなかった……。』)
「そうですか」と少しため息まじりに言うと、ヒナの手を取る裕紀
裕紀「…じゃ、こっからは俺が一緒に帰りますんで、大丈夫ですよ。家が隣同士なんて。行こ、ヒナ」
陽菜「え…?う、うん…」
(裕紀心の声『何で、そんな困惑して…つーか、迷惑そうな表情すんだよ。
そんなに、西山さんと居たいわけ?』)
ムスッとしながら陽菜の手を引っ張る俺裕紀とは裏腹に、相変わらず優しい表情のままの西山先生は、陽菜に微笑む。
西山先生「じゃあ、俺はここで。山本さん、また塾でね。」
陽菜「は、はい!ありがとうございました。」
少し、西山先生が手を挙げると、陽菜も嬉しそうな顔で控えめに手を振る。
裕紀心の声『…何その、伝わり合ってる感じ。
めちゃくちゃ嫌なんだけど。』
裕紀「…ほら、行くよ、ヒナ。」
陽菜「う、うん…」
無理矢理前を向かせて、陽菜の手を握ったまま歩き出す裕紀。
明かに不機嫌な裕紀に困っている陽菜。
(裕紀心の声『俺からしたら、受験勉強頑張ってるはずのヒナが男と楽しそうに歩いてたんだから、不機嫌になって当然でしょうがって話でさ。』)
裕紀「…何、浮気?」
陽菜「っ?!そ、そんな分けないじゃん!そんなこと、西山先生に失礼だよ!」
(裕紀心の声『…すげームキになんじゃん。
そして、『西山先生に失礼』ってさ。西山先生がその気だったらヒナはいいってことなわけ?』)
裕紀「俺に迎えに来てもらうのは、嫌そうなのに、塾の先生に送ってもらうのは嬉しいんだ。」
陽菜「ち、違うよ!西山先生、たまたま同じ帰り道だったからついでにって…」
裕紀「…俺らと別れた後、来た道戻ってったけど、あの人。」
陽菜「え?!うそ!」
慌てて振り向こうとした陽菜をまた、引っ張って前にむかせる裕紀。
(裕紀心の声『…大手ってわけじゃなくたって、それなりに塾には沢山生徒がいるわけで。
特定の生徒を『帰り道が同じだから』って理由で送るとか……どう考えたって下心あるに決まってんだろ。
何でそんなこともわからないかね、ヒナは。』)
裕紀「明日土曜日でバイトもないから、ヒナんち行くわ。」
陽菜「あ…えっと…明日は朝から塾に行こうかと思ってて…。」
裕紀「………。」
陽菜「ご、ごめん…」
(裕紀心の声『…や、俺は別にヒナに謝ってほしいわけじゃなくてさ。』)
裕紀「…いつから送ってもらってんの?」
陽菜「5月の連休明け位からかな…。お父さんとお母さんが仕事が今忙しくなっていて、大変そうだって話を西山先生にしたら…『帰り道が同じ方向だから送るよ』って…」
裕紀「おじさんとおばさんの仕事が忙しくなったんだったら、俺に相談すればいいじゃん。」
陽菜「ヒ、ヒロにいには言えないよ!」
裕紀「何で?」
陽菜「な、何でって…だって…」
くちごもる陽菜に、ふうとため息をつく裕紀。
(裕紀心の声『まあ、理由は何であれ、俺には言いたくなかったけど、西山さんには気軽に話せたってことでしょ?』)
裕紀「…わかった。もういい。」
陽菜「え?」
裕紀「や、ヒナが俺が関わる事でストレスなら、水曜日の迎えもやめる。」
陽菜「そ、そう言うことじゃない…」
裕紀「じゃあ、どう言う事なんだよ。」
陽菜「そ、それは…だから……ヒロにいに負担をかけたくなくて…」
裕紀「………。」
(裕紀心の声『…またそこか。
結構根深く残ってんだね、ヒナの中で。』)
裕紀「俺は、ヒナと居て負担なんてかけられたこと一度もないけど。」
陽菜「そ、そんな事ないよ!いっつも負担ばっかりかけてるもん…。」
裕紀「だから、俺には迎えに来てほしくないって?」
陽菜「そ、そうだよ…だって、疲れてるのに…」
裕紀「西山先生だって同じじゃん。仕事の後でしょ?」
陽菜「ち、違うよ。自分が帰る『ついで』だもん。」
(裕紀心の声『や…だからさ。
その『ついで』がね?下心があるからだつってんだよ。
そうは思うけど、おそらくそれをヒナに言ったところで、「そんなわけない」って言われて終わりだろうなって思った。
その位…気を許してる表情だったから、ヒナの西山先生に向ける笑顔が。』)
裕紀「…ヒナはさ。どうしたいわけ?」
陽菜「え?」
裕紀「や、俺が迎えに行かなくなりゃ、多分ほとんど会えなくなるでしょ?それで良いと思ってるの?」
陽菜「そ、そうじゃない…けど…。」
(裕紀心の声『受験勉強に集中しなきゃいけないヒナに、こんな風に迫ったらいけないって頭のどっかではわかってる。俺が一番ヒナを理解して、支えなきゃいけないのに…どうしても、苛立って仕方ない。
…付き合いだしてからずっと感じてはいたけど。
俺がヒナをいっくら大切にしても、好きだって示しても、ヒナはどこか俺の「好き」を信じきれていなくて、幼馴染の「ヒロにい」としての愛情なんじゃないかって…。
それはまあ、幼馴染としての関係の方が、遥に長いわけだからね。わからなくもないけど。
でもさ。
『好き』の感情なんて、どっちだって良いんだよ、俺にとっちゃ。
“ヒナと居たい”
ただ、それだけなんだから。』)
もう一回、大きく息を吐き出して、自分を落ち着かせる裕紀。
裕紀「…ヒナ。俺はヒナが受験生でも、そうじゃなくても、ヒナと会いたいし、一緒に居たいって思う。だから、そのために時間を作るのは負担ではないから。」
陽菜「……。」
(裕紀心の声『まあ、すぐに話を理解してくれるとは思ってないけど。
俺に『迷惑をかけたくない』『負担をかけたくない』って思ってくれてるヒナには、俺への愛情があるってそこは信じられるから。』)
裕紀「…とりあえず、水曜日は迎えに行くよ?」
裕紀が優しくそう聞くと、俯いたまま、小さくこくりと頷く陽菜。
(裕紀心の声『まあ…今はこれで良しとするかな。』)
陽菜の家の前までくると、少しその体を引っ張って抱き寄せて、おでこ同士をくっつける裕紀。
裕紀「んじゃ、ヒナ。浮気してるバツとして、チューして。」
陽菜「え?!い、今?!」
裕紀「うん。今。ここで。早く。」
陽菜「や、やだよ…っていうか、浮気なんてしてない…」
裕紀「そ?」
鼻をすり寄せて、「ほら早く」とねだる裕紀に困り顔の陽菜。気まずそうに、上目遣いに裕紀を見た後、その尖った唇を裕紀に近づけて唇同士をくっつけた。
陽菜「ヒ、ヒロにい…」
裕紀「ん?」
陽菜「……好き。」
裕紀「……。」
陽菜「…です。」
裕紀「くっ」
陽菜「なっ!」
辿々しい陽菜の言葉に、嬉しくなって顔がにやける裕紀
「人がせっかく言ったのに!」と怒る陽菜の唇を今度は裕紀が強引に塞ぐ。
(裕紀心の声『さっきまで、散々不機嫌になって、負の感情が渦巻いてたのにね。
ヒナの一言で、今度はこんなに舞い上がってる。
絶対知られたくないけどね、ヒナには。』)
◇
○陽菜回想
裕紀『水曜日は迎えに行っていくよ?』
裕紀と陽菜家の前で手を繋ぎ見つめ合っている。
○朝、通学の電車の中
(陽菜心の声『…結局。
ヒロにいには負担をかけてしまうことになってるな。
大学2年生になったヒロにいは、朝から授業の日がほとんどになって、朝一緒に通学できなくなった。
小学校の時からずっと、“通学はヒロにいと一緒”っていうのが私の日常だったから。
とても、心細くて、寂しい感じがしたけれど。
…これが普通なんだよね。
本当に私、ヒロにいに頼り過ぎていた…というか、守られ過ぎていたんだな。』)
満員電車と格闘しながら、そんな風に考える陽菜。
(陽菜心の声『今までも、ヒロにいのことはずっと考えて思い出していたけれど、会える時間が限られたら、ますますヒロにいが恋しくなって。
水曜日の夜が本当に楽しみになった…けど。
本当は、無理して水曜日にお迎えに来てくれているって知ってるから。申し訳ない気持ちでいっぱいで。けれど、お父さんもお母さんも忙しいし、水曜日もお願いします!とは言えなくて。
どうしようかな…と思っていた矢先。』)
○塾にて、授業後
西山先生「…何か、最近帰り間際になると集中力切れるね。どした?」
西山先生が、授業終わりに陽菜に声をかけると、少し驚く陽菜。
(陽菜心の声『…凄いな、西山先生。よく見ている。
お迎え時間が近づいてくると、ケアレスミスが増えてくるから気をつけていたのに。』)
テキストをカバンに仕舞いながら、苦笑いする陽菜
陽菜「いえ…ちょっと送迎問題が。」
西山先生「ああ、帰り道?」
陽菜「そうなんです。危ないから一人で帰って来ちゃダメって親に言われてて。」
西山先生「じゃあ、毎日ご両親が迎えに来てるの?」
陽菜「そうなんですけど…うちの両親仕事で結構忙しいから、申し訳ないなあって…」
西山先生「なるほどね…確かに毎日のことだと、そういう気持ちも起こらなくはないか。つか、偉いな山本さん。両親にそこまで気を遣えるなんて。」
陽菜「いや…その…一日だけは、違うんですけどね。」
西山先生は、話を聞くのがとても上手だから、ついつい、一番気になっている水曜日についても口にしてしまう陽菜。西山先生も話を聞いて、関心した表情になる。
西山先生「へー!彼氏すごいね。」
陽菜「……。」
西山先生「何、嬉しくてモチベーション上がるんじゃないの?山本さんとしては。」
陽菜「まあ…私はもちろん嬉しいし、両親にとってもありがたい話かなとは思います。もともと、私が生まれた時からずっと一緒にいる人なので…両親も安心して任せられると思うから。」
西山先生「彼氏、幼馴染なんだ。」
陽菜「そう…ですね…。」
「なるほどね…」と少し考え出した西山先生が、口角をキュッとあげて陽菜を見る。
西山先生「まあ、さ。とりあえず一個ずつ解決していこうか。」
陽菜「一個ずつ…。」
西山先生「そう。まずは、ご両親の負担を軽くすることで山本さんが勉強に集中できる環境を作るって所から。」
陽菜「どう…やって…」
西山先生「手っ取り早いのは、塾通いを減らしてその分家庭教師をつけるとか、授業の時間を一個早めるとか…」
陽菜「授業時間を早めるのは塾長に相談したんですけど、やっぱり一つ前はほとんどが小学生か中学生だからどうかな…って。」
西山先生「まあ、確かにね。中学生はともかく、小学生がいると少し騒がしかったりするしね。」
陽菜「家庭教師は…考えてみます。」
西山先生「そうだね。」
「で、」と西山先生が、自分も上着を着て、リュックを背負う。
西山先生「とりあえずはさ、もっと簡易的な方法で行ったらいいかなって。」
「もっと簡易的…??」と小首を傾げた陽菜に、ふわりと目を細めて優しい笑顔。だけどちょっとだけ、何というか…面白そうな表情を見せる西山先生。
西山先生「俺が送ってくよ。家庭教師をどうするか決まるまで。」
陽菜「えっ?!」
陽菜が驚き過ぎて、思わず大きな声をあげてしまうと、塾長はじめ、残っていた先生方や生徒さん達が一斉に振り向く。
加藤塾長「山本さん?どうしたの?」
塾長と数名の先生や知り合いになった生徒が何事かと寄ってくる。
陽菜「い、いえ…その…」
しどろもどろになってる陽菜の反応が面白かったのか、さらに楽しそうな表情の西山先生。
西山先生「すみません。俺が、『送ってく』って言ったら驚かれちゃって。山本さんの家の方、俺帰り道なんですよね。山本さんがご両親に迎えに来てもらうのが、頻繁だから悪いって言うから。」
加藤塾長「そういえば、そんなこと言ってたわね…。」
塾長が心配そうに陽菜を見ると、今日、陽菜と一緒のグループで勉強していた友美ちゃんが、キョトンと小首をかしげる。
「ヒナちゃん、送って貰えば?だって帰り道ならどうせ大体通る場所なんだしさ。私も、加藤先生と一緒に帰ってるよ?」
…え?そうなの?
塾長を見ると、ニコリと笑う。
加藤塾長「山本さんが嫌でなければね。方向が違うのにわざわざ送るのは違うと思うけれど、同じ方向ならば一緒に帰るのはいいんじゃないかなとは思うけど。」
妙ちゃん「こう言う所が、小規模塾の良いところだよね!なんて言うか、アットホーム!」
友美ちゃんの隣にいた、妙ちゃんという子も「私も方向一緒の先生と帰ってるよ!」と笑う。
(陽菜心の声『そっか…このご時世。先生達だって、途中まででも誰かと一緒の方が心強いのかもしれない。お互いに。』
その日は、西山先生が「一応ご両親にご挨拶をしておこっか。」と言ってくれて、迎えに来ていたお母さんに挨拶。
恐縮したお母さんに、ついでなのでと笑って了解を取り付けてくれた。)
○火曜日塾帰り
西山先生「意外とさ、こう言う授業外の時間でコミュニケーション取るのも大事かなって俺は思ってて。ほら、大学の話とか、世間話って、塾内では限界があるでしょ?」
一緒に歩く帰り道。
(陽菜心の声『今まで、早川とかクラスの男子とか…部活の先輩とかとは話したことがあったけれど、ヒロにいより年上の大学生の人とかと沢山話す機会ってなかったから、ちょっと不思議だな…。』)
大学の話をたくさん聞かせてくれたり、逆に「今時の女子高生ってどんな感じなの?」なんて聞いてくれたり。
何だか話しやすくて、結構盛り上がる二人。
(陽菜心の声『ヒロにいと話す時とはまた違った距離感だな…。
近過ぎない距離だからこそ、素直に自分の思ってることを言えるってこともあるんだなって、送り迎えのことを西山先生に相談して良かったと思った。
きっとヒロにいに相談していたら、「じゃあ、やっぱり俺が迎えに行く」って言い出しかねない。
それは、“ヒロにいを卒業する”と頑張っている今、本末転倒になるし、忙しい毎日を送っているヒロにいに無理を強いることにもなるから。』)
○陽菜回想、櫻燈庵大浴場の前にて
羽純『解放してあげて欲しい』
陽菜に真顔でそういう羽純。
○陽菜回想、ベジタブルカフェにて
なつみ『ヒナにも同じことが言えるよね』
さあちゃん『そろそろ、してもいいかもね、“ヒロにいからの卒業”』
○水曜日裕紀と帰る道。
手を繋いで他愛もない話をして帰る夜道。
陽菜心の声『…ヒロにいにも私の知らない世界があるわけで。私も同じ。
それぞれに世界があって、お互い自立した関係で…それが大人としての付き合い方なのかな。』
そんな風に思い、水曜日にわざわざヒロにいにいうことでもないかなって思って特に話題に出さなかった陽菜。
○いつも通り、西山先生と帰っていた木曜日の夜。
「ヒナ!」と後ろから追いかけてきたヒロにいに、偶然会えた嬉しさで、満面の笑みで西山先生を紹介した陽菜。
それとは裏腹に、笑顔も見せないで西山先生に「どうも」とだけ言うと、私の手を引っ張る裕紀。
(陽菜心の声『ちょ、ちょっと…待って。
どうしてそんな態度を取るの?
西山先生に失礼だよ…。』)
特に表情は変えずに「じゃあ、俺はここで」って帰って行く西山先生。
裕紀「…浮気?」
陽菜心の声『そんなわけないじゃん!
私が悩んでいることをいち早く気がついてくれて、手を差し伸べてくれたんだよ?そんなこと言うなんて失礼だよ!』
一生懸命に説明しても、いまいち納得してくれないひろきに困惑する陽菜。
挙げ句の果てに「水曜日、迎えに行かない」って言い出す裕紀。
「会えなくなるけど、それで良いの?」と聞く裕紀に、モヤモヤとした感情が芽生える陽菜。
(陽菜心の声『…どうしてそうなるの?そんなわけないじゃん。
できるなら、毎日会いたいよ。
だけど、ヒロにいが忙しいのもわかってるしさ…。せめて、ヒロにいに心配かけないように、お父さんとお母さんの負担を減らす方法を考えてただけなのに。』)
裕紀「ヒナの事で負担な事なんて一つもない」
(陽菜心の声『そう言い張るヒロにいに、そんなわけないって言ってみたけどそれは否定されるだけ。昔からそう。ヒロにいは絶対私優先にしてくれて、私がこうしたい、ああしたいっていう事を否定しない。
バレンタインの時だって、突然押しかけたのに、怒ることもなく、煙たがることもなく、私の心配ばっかりしてさ…』)
不意にまた羽純に『麻痺している』と言われた事を思い出す陽菜。
改めて、ちゃんと距離を置かないといけないと思う。
けれど、「ちゅーして」ってねだる裕紀にどうしても気持ちが掴まれる陽菜。
(陽菜心の声『…こんなに好きなのに、やっぱり距離は取らなきゃダメなんだよね。』)
その事実に寂しさを覚えて、思わず「好き」と言ってしまった陽菜に、機嫌よく笑う声の後少し乱暴により引き寄せ、キスをする裕紀。
(陽菜心の声『ちゃんと理解はしている。ヒロにいの居ない私の世界をもっと広げていかなければいけないって。
だけど…どうしても、『ヒロにいとずっと一緒に居たい』って思ってしまう…。』)



