地元の写真館

 どこかで見たことある顔だな、と思ったんです。

 久しぶりに実家に帰ってきた道すがらなんですけどね。
 すっかり変わってしまって寂しいなと思う町並みの中に、逆に大丈夫かなって心配になるくらい変わらない店もあって。
 建て替えが必要そうなほど古びているけれど、客の入りは良くないんだろうなっていう。
 その辺に住んでいたら大抵は知ってる写真館のことです。

 昔は証明写真機もなかっただろうから、世話になった人も多いんじゃないかな。
 自分たちの時といったら、写真館の店主が遠足や修学旅行にもついてきて、何枚も写真を撮るんです。
 後日、スナップ写真がバァっと学校の廊下に貼り出されるわけですよ。
 ほしい写真を焼き増ししてもらって購入したり。
 卒業アルバムに載せる集合写真を撮ったりね。

 で、その写真館の前を通りかかったんです。
 ガラス張りになった店頭にはそこで撮影したと思われる写真がいくつも貼ってあって。
 おくるみにうずもれている赤ちゃんや、ラケットを持って構えている少年。
 和装しているのは成人式でしょうね。
 あるいは仲睦まじく寄り添ってる家族写真とか。
 きっと特別な日なんですよね。そういうところで写真を撮るって、それなりの値段がしますから。
 人生における特別な記念日。
 幸福に満ちたその一瞬を惜しげもなく披露している。

 何気なく見たその中の一枚に、なんとなく見知ったような顔がありまして。
 といっても、すごく古い写真なんです。
 日差しにさらされているせいもあるんでしょうけど、ずいぶんと色あせていて。
 女の子が身にまとっている着物や髪型もちょっと古くさい。
 今だったら髪型も毛先が遊んでいるというのかな。ギャルみたいな髪型をしてたりするけど、その子は白無垢の花嫁みたいにきっちり髪を結い上げていて、おすまし顔で写っているんです。
 たぶん、七五三の時の写真でしょうね。だから、七歳くらいの女の子。

 細々とやっている小さな写真館だから、ここへ来る客だって近所の人だと思うんです。
 だけど、自分はもう何十年も地元に戻ってきてないから、つい最近すれ違った子ではないことは確かなんですよね。
 だいいち、最近撮った写真とは思えない。
 だったら、まだここに住んでいたころからずっと同じ写真が貼ってあって、それで覚えていたんだろうか。
 いやいや、頻繁に通りかかっていたわけじゃないし、自分がそんなに記憶力がいいとは思えない。
 もっと身近なところにいて、顔を合わせたこともあるんじゃないだろうか。
 七歳当時の女の子と何度も何度も遭遇している。
 ――そうか、同級生だったのかもしれない。
 自分と同級生なら、時代遅れの着物を着ているのも、まぁあるだろうと思う。

 このことを写真館の近くに住む小学生時代の友人に話してみたんです。
 彼は地元を離れずにずっとそこにいましたから。
 するとその写真館は近所では『遺影館』って呼ばれているらしくて。
 その写真館で撮影すると、その人はほどなくして亡くなってしまうんだとか。
 都市伝説みたいな話でしょ?
 でもね、最後に撮影したその写真を遺影として使う人が多いというんです。

 そういえばさ――と、友人は声を潜めました。
「小学生のころ、プールでおぼれた女の子がいたよね」

 ああ……と、自分もおぼろげながら思い出しました。
 たしか、夏休みの時です。
 夏休みの課題で、学校のプールに何度か行かなくてはなりませんでした。
 自分はその場にいなくてあとから聞いただけだったけど、友人はその子と同じクラスだったので葬儀にも参列したらしいのです。

 そうして友人は真顔でいいました。
「そのとき、七五三の写真が使われてた気がする」

 まさか、と思いました。
 親族の方も通りかかるだろうに、いくらなんでも、亡くなった女の子の写真を当時からずっとそのままということがあるだろうか。
 いやむしろ、忘れないでという意味があるのか。
 私たちはとても気にかかったので、その足で写真館まで確認しに行きました。

 けど、友人はあのとき亡くなった子なのか思い出せないというのです。
 自分だって同じです。
 その写真の子が同じ学校に通っていたのか思い出せない。
 あれから何十年という月日が経っているので忘れてしまっても無理はないのですが、後味の悪さだけが残りました。

 ああ、いえ、写真館の店主に尋ねはしませんでした。
 私たちが忘れているなんて、とても不憫(ふびん)ですから。
 けれども、写真館のあの子が誰なのか、わからないままというのも、モヤモヤとしてしまって。

 せっかく実家に帰ってきているのだからと、アルバムを探してみることにしました。
 自分が出て行ってからは使われていない部屋は中途半端に片付いていなくて、幸いと捨てられずに押し入れに置いてありました。
 きっと捨てるタイミングというのもなかったのでしょう。こんなことでもなければ、もう見ることもなかったかもしれない。
 とくに感傷に浸ることもなく、就学前の写真は飛ばしていき、小学生時代のページへと進めました。

 入学式に始まり、運動会などの学校行事から家族旅行まで。
 両親が撮ってくれた写真がほとんどでしたが、写真館から購入した写真というのも何枚かありました。
 それはもうすぐにわかった。両親が撮る写真と違って自分が中心じゃないし、カメラ目線ではない何気ない一コマだったり、プロの切り取り方はひと味違いました。
 できるだけ多くの児童を画角に収めようとしている構図もある。
 そういった写真をひとりひとりじっくり見ていきました。
 案外と覚えていない顔もあって、少しホッとしました。
 覚えていないのはあの子だけじゃなかった。

 すると、それらしい女の子がいました。
 三年生の時に行った遠足。潮干狩りをしている写真です。
 カメラマンは脚立に上っているのか、児童たちがわぁっと集まってきて、カメラに向かって上を見上げているような構図。
 魚眼レンズ風にゆがんだ面白い写真だったから、自分もこの写真自体はよく覚えてました。

 カメラに群がる集団の外側にぼぅっと立ってる女の子がいる。
 どこかへ向かおうとしているのか体は横向きだ。
 仲間の輪にも入れず、どこかうらめしそうに顔だけこちらに向けていた。
 濡れそぼった長い髪。
 濃紺の水着――
 いや、潮干狩りに水着は着ないでしょうからタンクトップでしょうか。
 肩の辺りまでしか見えないからはっきりとしません。

 あの女の子に似ている気がしました。
 でも、その女の子はそれ以外の写真にいませんでした。小学校の卒業アルバムも見たのですが、彼女はいません。
 転校したのでしょうか。
 だとするなら、記憶があいまいであるのもうなずけます。

 結局、写真館のあの子が誰であるのかわからずじまいです。
 いえるのは、私と同じようにあの子もこの町で育ち、そしてこの町がふるさとであるということです。
 思いがけずばったりと会うことがあるかもしれません。

 ――ええ、それが幽霊でなければよいのですが。