たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

「すごく……素敵」

 ぽろぽろと、こぼれ落ちる涙を拭おうともせずに、詩音がつぶやく。毎回、同じように詩音はこうして泣いてくれる。 

「だけど、この曲を聴くとね、胸が苦しくなるの」

 うつむきながら、詩音がつぶやいた。頬を流れた涙がまた一雫、膝の上に置いた手の甲に落ちる。

「大好きな曲だけど、すごく苦しい。何かを忘れたくないと強く願ったことがあるような気がして。――暑い、夏の日に」

「詩音ちゃん……?」

 いつもと違う彼女の反応に、蓮は戸惑いつつ詩音の顔をのぞき込む。
 もしかしてとはやる心を抑えつつじっと見つめていると、詩音は目を閉じて小さく笑った。

「……ごめん、何でもない。蓮くんのピアノ、本当に素敵だった。こんなに素敵な曲を聴いて苦しいだなんて、失礼だよね」 

「いや、俺のピアノで何かを感じてくれたのなら、それはすごく嬉しいから」

「また、聴かせてくれる? ……私、きっと忘れちゃうけど」

 少し寂しそうな笑みを浮かべる詩音に、蓮は力強くうなずく。

「もちろん。俺のピアノは、詩音ちゃんのために弾くって決めてるから」

「ありがとう。……私、何も覚えてないんだけどね、いつか誰かにピアノを弾いてもらったような気がするの。その人も、私のために弾くって言ってくれたような気がするな。――それって、蓮くんのことなのかな」

 遠くを見つめるような表情でつぶやく詩音の言葉に、蓮の目頭が熱くなった。
 忘れてしまったかもしれないけれど、蓮の弾いた音の欠片が彼女の心のどこかに残っているなら、蓮はこれから先も何度だって詩音のためにピアノを弾く。
 いつか奇跡が起きることを願うくらい、してもいいだろうか。