たとえ世界に誰もいなくなっても、きみの音だけは 忘れない

「まったく、何をしでかすかと思ったら。……こっちの寿命が縮んでしまうわ」

 舞台袖に戻った蓮を、苦笑混じりの本間が出迎えてくれた。

 蓮と入れ替わりに舞台に出て行った少女も、そして出番を待つ出場者たちも、ちらちらと蓮を気にするように見ている。

「すみません。どうしても、あの曲じゃないとだめだったんです」

 頭を下げた蓮に、本間のため息混じりの笑い声が降ってくる。

「誰かのために……って言ったのは、こういう意味じゃなかったんだけど」

「すみません」

 もう一度頭を下げて、蓮は客席に戻るべく歩き出す。
 動揺させてしまった他の出場者に申し訳ない気持ちは少しあるけれど、これくらいで動じてミスをするような人はここにはいない。むしろ、ライバルが一人減ったと思ってくれればいい。

 ロビーに出る頃には、次の演奏が始まっていた。不安定さなど感じさせない軽やかな演奏が、微かに聴こえてくる。
 そして、そこで待っていたのは蓮の母親だった。呆れたようなその顔は、怒っているわけではなさそうだが、何か言いたげだ。
 蓮は母親の前まで歩いていくと、深く頭を下げた。

「ごめん、母さん。結果を出すどころか失格になると思うけど……今日は、どうしてもあの曲じゃないといけなくて」

 下を向いたまま一気にそう言った蓮に、母親が大きな息を吐くのが聞こえた。

「あの演奏を聴かせたい相手が、今日ここにいたのね」

 ぽつりとつぶやく声に、蓮は無言でうなずく。母親は顔を上げるようにと蓮を促しながら、小さく笑みを浮かべた。

「壮大なラブレターみたいな演奏だったわ。正直、ちょっと泣けたわよ。蓮があんな情熱を秘めていたなんて、知らなかったわ」

 まぁ、失格は間違いなしだけどと言いながらも、母親は笑顔だ。

「ごめん」

 何度目かも分からない謝罪の言葉を口にしながら頭を下げた蓮の肩を、うしろから本間が笑いながら叩く。

「案外話題になるかもよ。すごくいい演奏だったから」

「このわたしの息子だもの、話題にならないわけがないわね」

 ふふんと得意げな顔を見せる母親と、それに笑ってうなずく本間を見て、蓮も思わず小さく笑った。

「まぁ、それはともかく。来週もレッスンはあるんだから、しっかりと練習しておいてね」

「そうね、コンクールはこれだけじゃないんだから。次に向けて練習しなさいよ」

 教本の譜読みをしておいてと命じられ、蓮は苦笑いしつつうなずいた。